ヴュルツブルクから無事帰宅した。宿を10時過ぎに出て、12時半までに帰宅する想定であったが、途中工事渋滞などもあって一時間程遅れた。
総括として、出発前に予定通りいかず、動機付けもなかったのだが、結果としてはやはり出かけたことで得られることは少なからずあった。ミュンヘンでヴュルツブルクでとそれなりの成果があったということだ。百聞は一見に如かずに尽きる。
往路はネットで調べていたように、ニュルンベルクに出ずに真っ直ぐに短絡して宿の部落へとアンスバッハでアウトバーンを下りて、国道を走った。一部混んでいたり、街中を通過しなければいけなかったが、それ以外はすんなりと走れて20kmほど近く短縮した燃費も悪くならなかった筈だ。到着予定時刻も殆ど変わらずで15時に到着した。
16時にはミュンヘンへと向かえて、17時18分にオペラ劇場駐車場に入庫した。そこへの経路も今迄走ったことのない市街区を通った。やはり真北から旧市街に入ると異なる。昨秋は宿泊地が西側だったので、それ程いつもと変わらなかった。直ぐにそこはシュヴァービンクだと分かった。あれだけ通っていてもあまり通っていない地域がある。「ヴェニスの死」におけるとても印象的な描写が目前に現出する。
ダルマイヤーではいつものような買いものしかできなかったのだが、コーヒーも確保した。駐車場も工事が進んでいるようで、一部アプローチがよくなったところもあるのだが、まだまだ暫定的な配置だろう。
演奏会まで時間があったので、レジデンツのホーフ内にあるプフェルツァーレジデンツシュテュ―ベに腰掛けた。ヴァインカルテも各地のものを様々に集めているようでそれなりの種類があった。場所がいいのがなによりもだ。個人的には出かけることは少ないだろうが、プファルツとバイエルンの歴史が詳しく載っていて興味深かった。やはり歴史的な場所でもある。
奇しくも翌日に宿からヴュルツブルクに向かう道筋はマンハイムからプラハへのブルゲンシュトラーゼというのが通っていて、これもクアープファルツの本家プファルツ選帝侯によるチェコのハプスブルク家からの独立に関わっていて、歴史的にも興味深い。ニュルンベルクからヴュルツブルクへの経路はやはり今回初めて走った可能性があって、風光的には取り分け言及することはないのだが、旧街道との繋がりがとてもに気になる。
「我が祖国」の解釈に関してあまりにも偏狭な思い込みのようなものが流布している今日、このように実感を伴った歴史探訪にはとても価値がある。この件はまだまだ夏の終わりにかけて話題になることだろう。
ヴュルツブルクはここワイン街道ともそれ程遠くはないので、そこで宿泊するのは初めてだった。やはり急いで往復するのとは異なり、あの辺りの雰囲気がより分かるようになった。バーデンヴュルテムベルク州との境界が迫っていて、その割にはやはりバイエルンだけに異なっている。
参照:
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
既視感と焦燥感の恍惚 2007-12-03 | 文学・思想
総括として、出発前に予定通りいかず、動機付けもなかったのだが、結果としてはやはり出かけたことで得られることは少なからずあった。ミュンヘンでヴュルツブルクでとそれなりの成果があったということだ。百聞は一見に如かずに尽きる。
往路はネットで調べていたように、ニュルンベルクに出ずに真っ直ぐに短絡して宿の部落へとアンスバッハでアウトバーンを下りて、国道を走った。一部混んでいたり、街中を通過しなければいけなかったが、それ以外はすんなりと走れて20kmほど近く短縮した燃費も悪くならなかった筈だ。到着予定時刻も殆ど変わらずで15時に到着した。
16時にはミュンヘンへと向かえて、17時18分にオペラ劇場駐車場に入庫した。そこへの経路も今迄走ったことのない市街区を通った。やはり真北から旧市街に入ると異なる。昨秋は宿泊地が西側だったので、それ程いつもと変わらなかった。直ぐにそこはシュヴァービンクだと分かった。あれだけ通っていてもあまり通っていない地域がある。「ヴェニスの死」におけるとても印象的な描写が目前に現出する。
ダルマイヤーではいつものような買いものしかできなかったのだが、コーヒーも確保した。駐車場も工事が進んでいるようで、一部アプローチがよくなったところもあるのだが、まだまだ暫定的な配置だろう。
演奏会まで時間があったので、レジデンツのホーフ内にあるプフェルツァーレジデンツシュテュ―ベに腰掛けた。ヴァインカルテも各地のものを様々に集めているようでそれなりの種類があった。場所がいいのがなによりもだ。個人的には出かけることは少ないだろうが、プファルツとバイエルンの歴史が詳しく載っていて興味深かった。やはり歴史的な場所でもある。
奇しくも翌日に宿からヴュルツブルクに向かう道筋はマンハイムからプラハへのブルゲンシュトラーゼというのが通っていて、これもクアープファルツの本家プファルツ選帝侯によるチェコのハプスブルク家からの独立に関わっていて、歴史的にも興味深い。ニュルンベルクからヴュルツブルクへの経路はやはり今回初めて走った可能性があって、風光的には取り分け言及することはないのだが、旧街道との繋がりがとてもに気になる。
「我が祖国」の解釈に関してあまりにも偏狭な思い込みのようなものが流布している今日、このように実感を伴った歴史探訪にはとても価値がある。この件はまだまだ夏の終わりにかけて話題になることだろう。
ヴュルツブルクはここワイン街道ともそれ程遠くはないので、そこで宿泊するのは初めてだった。やはり急いで往復するのとは異なり、あの辺りの雰囲気がより分かるようになった。バーデンヴュルテムベルク州との境界が迫っていて、その割にはやはりバイエルンだけに異なっている。
参照:
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
既視感と焦燥感の恍惚 2007-12-03 | 文学・思想