Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ルネッサンスの倫敦交響曲

2024-06-04 | マスメディア批評
承前)全く楽譜を読めていなかった指揮者タルモ・ペルトコスキ―がプログラムのメイン曲ヴォーンウイリアムスで見事な演奏をする。この偽印象派の作曲家の作品はそれなりに録音もされている。比較的有名なのはダニエル・バレンボイムが英国の室内合奏団で小曲を重ねて録音などをしたりしていたことであるが、今回のような交響曲を立派に演奏はしていない。

今回はプレヴィン指揮等の録音は聴いていたのだが、恐らく英国人指揮者で得意な人はいるのだろう。しかしタルモが指揮するような素晴らしい演奏は出来ていない筈だ。この若い指揮者がルネッサンスとなる演奏をしていることになる。「オペラ座の怪人」の音楽で喜んでいたのだろうが、その奥にある英国の音楽素材を丁寧に読みだしていて、五音階の終止も上手につけていて、中華民国雑技団とはならない。

そして今回の放送で繰り返し流してみても、演奏もとても上手にやっていて、練習にも時間を割いているようだが、それ以上に指揮でリズムを保持しながらの音出しは、自らのピアノでしっかり確認してあるようで、とても微妙な管弦楽となっている。

同年齢時のラトル指揮もここまでの指揮は出来ておらず、この指揮者の能力の高さが明らかである。

つまり時間を掛ければ楽譜も読めて深いところまで理解しているのだが、レパートリーを作りながら大交響楽団にデビューするというところで、客演続きではやはり厳しい。同様な無理はラトルが日本デビューした時にフィルハーモニア管弦楽団といざこざになったというのはまさしくそうした似通った背景があったからだろう。それでもそれなりにどの曲も纏めて来てはいたのだが、要求されるものはそれ以上だった圧力があったに違いない。既にそういう立場にいたからだ。

今回の場合には既にそうした20世紀中盤の指揮者像などは過去のものとなっているのにも拘らず、ビジネスモデルとしてポップスターにもならないタレント発掘をしているメディア業界の滅亡があり、そこに関わることで今回の演奏会のように一夜のそれとして完成させられない状況があることが大問題なのである。

ストリーミング生中継された一方予定されていた期日にはオンデマンド化されない背景には、前半のプログラムをカットしてもそれでも後半のメイン映像を容易にアップできない事情があるのだろう。

最終的にはどのような形になるかは分からない。恐らく今回の録画はタルモが指揮した演奏の中では最も商業的な価値も高いものだと思われる。そうなるとレーベル側もヴォーンウィリアムス全集で一儲けとなるところだ。しかし指揮者がそこ迄準備しているとは限らなく、先ずは今回のロンドン交響曲を持って一流管弦楽団で成功を収めないとお話しにならない。

ボストン交響楽団ぐらいで後任指揮者になれるかどうかなど、そうなるとまだまだ準備不足が甚だしい。やはり、じっくり適当な劇場で数年間振る方がその後の上り詰める早さが違う。



参照:
なんじゃらほい交響楽 2024-05-19 | 音
お家芸の指揮棒飛ばし 2023-03-26 | 音
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