デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



外に出てまず思い切り深呼吸した。するとコンサート会場の準備を行っている光景が目に映った。


遠くを眺めて深呼吸

朝は食べていないも同然のまま、大きい美術館内を歩き回ったので、腹と背中がくっつきそうなくらい空腹を覚えていた。
そんなときに、ひょいと横をみるとなんと大きい野外ビュッフェがあるではないか!
カウンターにはたくさんの料理が並べられていて、何かにいる兄ちゃんに「あれを盛ってくれ、これを盛ってくれ。ビールも頼む」と欲望のままにお盆に皿を追加していった。
値段を聞いて正直飛び上がりそうになった(昼食で18ユーロ!)が、その分腹がパンパンになるまで味わいつくし、ちょうど陽射しがきつくなってきて、ビールも美味しく感じたので、まぁいいか、と納得した。
野外ビュッフェで思わぬ奮発をしてしまったが、あのゆっくりした時間を味わったのはよかった。また席が空くのを待っていたときに、写真を1枚、印象に残るものが撮れた。


ふたり

外国、とくに西欧ではこのような光景は珍しくないが、ただ何の気取りもない自然と絵になる雰囲気だったので、さっとシャッターボタンを押した。ひょっとすると女性のお腹には赤ちゃんがいるのかも、だったらタイトルは何としようと、現像してから想像してしまう。
レジにいた兄ちゃんから陽気な調子で「味はどうだい?」と訊ねられたので、私は「Very good!」と口に食べ物をほおばりながらも、手アクションまでつけて返事した。


ゲメルデガレリーよ、さようなら!

お腹が少し苦しく、ほろ酔い気分のままゲメルデガレリーを後にし、博物館島へと向かった。

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数ある公共施設の中で、職員さんから目をつけられたくないところに、図書館があると、私は思っている。
気分的なものかもしれないが、今日、やたら目立ってしまったかもと、ちょっと小恥ずかしいかったことを考えてしまう。
おそらく自意識過剰というか神経質なことなんだろうけど、他館の本の取り寄せを頼んだあとに、肝心な本を借りないまま外に出て、あわてて引き返して貸出手続きをしたり、話が済んだはずの先ほどの取り寄せの本について、いつ届くのか具体的な日付(職員もさすがにそこまで分かろうはずも無い)を訊いてしまったりと、普段しないことをしてしまった。今日一日、なんか本調子ではなかった。
加えて閉館近くに別の本を予約して帰ろうとすると「今度から予約カードと検索結果シートをセロテープで貼って出してくださいね」とやさしい口調の中に鋭さを込めて、促された。ひょっとすると以前から私が何度も同じことを繰り返していて、ここぞとばかり狙っておられたのかもしれぬ、そんな感じだった。
地域内に一つしかない施設内で「またあの人だよ」と思われるのは、正直なんかやだなぁと思うのだが、まぁこれも仕方が無い。それより、こんなどうだっていいようなことは、図書館にいた人にとってもどうだっていいようなことなんだから、気にすることはないだろう。
今日はいまいちな内容だなぁ(笑)

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ノーベル賞の季節に同調するように、今年もイグ・ノーベル賞が発表された。その概要はこちら。

http://www.excite.co.jp/News/odd/00081128820207.html
http://shinshu.fm/MHz/14.30/archives/0000081563.html

↑を読んだだけで、どういった賞なのかすぐに見当がつくと思う。いつだったかこの賞のことをTVで特集していたのを見てからというもの、時に爆笑しながら受賞内容を見ている。
今、通っている訓練との関連で言えば、興味を覚えたのはやはり文学賞だ。ノーベル文学賞受賞作は大して読まれないのが現実だが、イグ・ノーベル文学賞作品は世界中の一般大衆に最も読まれ、かつセンセーションを巻き起こし、世の中を動かし(騒がし)たのだから、そりゃあもう、受賞の資格十分である(笑)。
でも今回の受賞内容は、1938年に、H・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』のラジオドラマ放送中に、演出のオーソン・ウェルズが火星人来襲のニュースを挿入して、全米中がパニックになったエピソードと、似てるといえば似てるかも。当時はラジオ、今はインターネット、実害が出たのは残念だが、人間のやることって常に繰り返され、それは常に新しい形を帯びているんだなぁと、分かったようなことを考えてしまった。

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一日中。というわけで郵便局とクリーニング店に行った以外は、家から出ない日であった。
家では試験も近いのにまったく勉強せず、最近家に来たプリンタとずっと格闘していた。といってもプリンタの設定と付属のスキャナで遊び、画像を葉書にプリントアウトして解像度について吟味していたぐらい。。。
神経質に映るかもしれないが、読み込んだ画像の明るさをちょっと変えただけで、印刷の結果が全く異なるように感じられた。また、インクジェット用ハガキと普通の官製ハガキでも全然ちがってくる。正直、一度印刷したものは、たとえ原画像が同じものでも、決して同じように印刷されるわけじゃないと、ひしひしと感じた。とくに試しに絵画の画像で印刷をしてみたときなんか、それを否応無く思い知らされる。
ところで、この記事を見ている方は、絵画の画像を印刷するとき、インクジェット用ハガキか、それとも普通のハガキか、どちらを用いる方がいいとお思いだろうか?
もちろん絵にも因るのだが、レアリスム絵画の場合は、真っ白なインクジェット紙よりも、少し日に焼けた普通のハガキの方が断然味が出るように私は思ったのだ。後者のほうがいかにもキャンバスが下地になってます、といったような演出までこなしているように感じたのである。(あくまで私の感覚だが)

そして、スキャナ。家庭用プリンタでここまでできるとは正直思わなかった。おかげで、いろいろ好きなことができる。


イワン・クラムスコイ作 『娘ソーフィヤの肖像』(1882)


イワン・クラムスコイ作 『見知らぬ女』(1883)

My Darlingです。よろしく(笑

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今日の天気は

昨日、美術館で知り合った方からカレンダーが届き、そのお礼をEメールで送った。
それだけでは心もとないので、ルーヴル美術館展で来ていた自分の好きな絵のポストカードを送ろうと、市立美術館まで自転車に乗って行った。
迷いに迷った結果、フランソワ・ジェラールの「プシュケとアモル」を一枚だけ買って、早速切手を張りハガキを書いた。だが、書き終わってからその内容に疑わしい点があったので、ポストに投函せずに美術全集やネットで自分の書いたことが合っているかどうか、調べる羽目に陥った。
結果は、
葉書と切手代合わせて、170円を無駄にした

私の一方的な勘違いから誤っていた内容というのは、「プシュケとアモル」を某詩人が絶賛したと書いたことだったのだが、もう少しで何の根拠も無いことをあたかも史実であるかの如く扱って、大恥をかくところだった。もし、むちゃくちゃ絵画に詳しい人が読んだら、怒り出すかもしれない。

よって、葉書はボツ

ただ、投函する前に自分のあやふやな知識を疑ってみたのは、救いといえば救いかもしれない。今度からはさらに切手を貼る前に確認することも忘れないようにしたい。でも、それはそれで切手を貼る位置を十分に残さないまま、綴ったりするようなことになったりするんよね。

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以前、我が家のパソコンのハードディスク(HD)のパーテーションを切って、LinuxのFedora core4やsuse Linuxをインストールしたが、何かと不具合が起こって結局パソコンをリカバリする羽目に陥り、今のOSはWindowsのみになっていることを、少し書いたと思う。
で、今回、CD-ROMやDVD-ROMから立ち上げる安全なLinuxといわれるknoppixで、Linuxを使ってみようと思った。
だが、結果は悲惨なものだった。bootしてペンギンが出てきていろいろと認識する画面まで順調に行くのだが、knoppixのデスクトップ画面に行かず、真っ黒の画面のまま電気だけ食って何の反応もしなくなったのだ。本の中にある起動しない場合の対処法のあれこれをすべて試してみたが、全滅だった。
DVDから立ち上がる最も安全で、かつ一番認識しやすいはずという触れ込みのknoppixのくせに、どうして我が家のPCだけ立ち上がらんのだ! なぜか悔しい…。

もちろん、Winが使えなくなった訳じゃない。だが、せっかくLinux熱がある今しか学ぶきっかけはないかもしれないと思うと、Linuxに拒否反応を覚えてしまうような出来事は何とも悲しい。何年後かの次のPCでないと、Linuxがまともに動かないとなれば、などと考えると残念だなぁとか思い、そのせいでよく眠れなかった。

ま、でも今日の朝の空はだったので、気分を一新して勉強しよう! パスワード管理ツールのID Managerも6.7から6.8にヴァージョンアップしたことだし(って何にも関係無ひ…)。

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一緒にゲメルデガレリーに入った老夫婦がオーディオガイドを薦めてくれた。だが、私は英語をそこまで聞き取れないので、残念だけど、と返事せざるを得なかった。
入場料は期間中ならベルリン中の美術館に入りたい放題になるパスを購入した。
日本出発前に、コリン・アイスラー著の『ベルリン美術館の絵画』(中央公論社)を食い入るように見ていたので、とにかく見たい作品を先に見尽くすつもりで館内を回った。展示室はスペースが広く保たれていて、居心地がよかった。


ベルナルディーノ・ルイーニ作
『本を手に持った聖母と幼キリスト』

私は大体ゴシック期から印象派までどの時期の絵画も好きなのだが、この美術館ではボッティチェリとフラ・フィリッポ・リッピ、カルパッチョ、レンブラントとブリューゲルの作品が目を惹いたと思う。とくに有名なのはブリューゲルの『ネーデルランドの諺』ではないだろうか。とはいえ、『ネーデルランドの諺』の意味は日本に帰ってから改めて解説本を繰らねばならなかったが(笑


ヴィジェ=ル・ブランやユベール・ロベールの作品

すばらしい有名絵画がありすぎて、どの作品について書けばいいか大いに迷うが、私は世界に数枚(ひょっとして2枚)しか存在していない、ニコラ・プッサンの『自画像』に出会えたことがとてもうれしかった。


ニコラ・プッサン作『自画像』

演劇的、理知的な画風のあるプッサンの作品は、館内でも存在感があったが、ご本人もいたって真面目な雰囲気で存在感を漂わせていた。
ミュージアム・ショップでは絵葉書だけで節約しようと思ったのに、絵葉書をやたらたくさん買いこんでしまった。でも後悔はない。

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今日の朝刊のコラムに、動物の遺伝子(DNA)の配列を音符に置き換えてみて研究するといった、奇抜な説が載っていた。
http://www.asahi.com/paper/column.html
こういう記事を見ると、人間っておもしろい存在だなぁと思い、少したのしい気分になってくる。世界にはいろんな天才肌の研究者がいて、とてもおもしろいと思える。(もちろん、気持ちに余裕があるときだけだけど(笑))

ところで、上の事柄と今の勉強を無理やり関連付けていえば、丁度データベースのデータマイニングという概念と共通しているかも。
データマイニングという言葉を知るためには、日本の諺(ことわざ)

風が吹けば桶屋が儲かる

を知ればなんとかなる!? この諺は、風が吹けば砂埃が舞い、砂埃が目に入って盲人が増えて、盲人は三味線を弾くので猫の皮が必要になり、猫が減ればネズミが増え、ネズミは家の風呂桶をかじり、そのせいで風呂桶屋が儲かる、といった何の根拠もないのに利益の源泉を見出すことを指す。
だが、世の中には「風が~」の法則に活路を見出し、たとえば「ビールを好む人は赤いセーターを着たがる(実際にそんな法則があるのかは私は一切知らん)」とか一見何の関連性もないのに、思わぬ傾向を発見し、デカいビジネスチャンスをゲットしようと、日々情報収集を欠かさない仕事をしている人がいるのだ。まさにデータマイニング(情報採鉱)で、岩盤を砕いて金を採掘せよ、というわけだ。

話が脱線しまくったが、世の中何がヒットするかわからないから、DNA譜面も馬鹿にすることはできないと、思ったりする。

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試験も近いというのに勉強への気持ちが乗らないので、気分転換?に『イラスト図解 タコでもわかるLinux』という少し古めの本を読んでいる。
なぜこの本に手を出したかといえば、Linuxについて私はタコ(ド素人)だからである。それにネットがつながったとたんに、Vine Linuxをインストールしようとして危うくwindowsまで駄目にしかけたという、お馬鹿な背景もあったり…。
けど、この本のタコの扱いは、本当に笑えるんだなぁ、これが。それに本の中のタコがまるで私みたいな奴だから、共感すらしてしまう。

上のこととは関係ないが、ネットがつながった途端、ドメインに「.com」がついたメアドを欲しくなってアメリカのhotmailにアクセスした。無事、メアドは取れた。
私はそのメアドで、ユーザー名の頭文字にアルファベットの大文字を用いていた。再度ログインしたとき、大文字は強制的に小文字に変わっていた…。
別に使えるから問題は無いんだけど、なんか悔しいし、それにどういうわけかMS●はランタイムエラー(プログラムの実行中に発生するエラー)が、やたら起こる。
正直、いらだたしかったが、これで私も晴れて「.com」ユーザーとなった。でもこの言い方、なんか俗物チック

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ベルリンOST駅からベルリンが世界に誇る美術館ゲメルデガレリーまでは、Sバーンに乗り換えて町を見下ろしながらの移動だった。本当にベルリンに来たのだな、でもゲメルデガレリーの開館時間に間に合うだろうかと、なぜか時間的なことであせっていた。
Friedrichstr駅で乗り換えのはずだったが、路線図を持っていなかったので人の良さそうな駅員さんに尋ねた。すると、降りるべき駅を即答で教えてくれて、私が下手な英語で路線図はどこにあるのですか?と尋ねると、手にしていた路線図を「どうぞ」といわんばかりに私に差し出してくれた。私は「ダンケ(ありがとう)」を繰り返した。
ゲメルデガレリーへはポツダム広場駅(Potsdamer Platz)が近い。そこで下車し、外に出ると、まず私を待っていてくれたのはベルリンの壁だった。


小さいが存在感はあった


旅行ガイドブックに今は壁の一部が保存されている、みたいなことが書いてあったが、このような形だったとは思いもしなかった。1989年といえばまだ最近かも知れないが、今となっては遠い過去のように思えてしまう。だが、この壁は見に来る人を引き付ける。私もやはり引き付けられた。そして愚かしい過去に思いを馳せた。


この方向に行くとゲメルデガレリーへ


しばらく佇んだあと、人に道を訊きながらゲメルデガレリーへと歩いて行った。とはいえ、ここは旅行者も多いので美術館の位置を知らない人も多かったが、そんな人でも一生懸命地図をこねくりまわして必死に考えてくれたりしたことが嬉しかった。そして、ちょうどゲメルデガレリーに行く途中のドイツ人?熟年夫婦と出会い、一緒に美術館に向かった。

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