山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

明日健康診断

2006-06-08 23:10:25 | 未分類過去
さっき、問診票に書き込もうとして改めて注意書きを読んでみたら、なんと、今夜は8時までしか食べ物を食べてはいけないのでした。そして、水分は少量の水ならばよいと書いてあるんですが、検査は明日の午後だというのにずいぶん厳重なんですね。夜食をたらふく食べておこうという計画は、はかなく消えてしまいました。

なんで前夜の夕飯の制限時間が午前も午後も同じなのかと思います。仕事などで8時までに夕飯が食べられないひとはどうするんでしょう。私は知らないで8時半頃まで夕飯を食べていましたが、まあ30分くらいなら大丈夫でしょう。

よく考えると、明日できるのは、血液検査とレントゲン関係です。しかもレントゲンは、肺と胃と乳がんのためのマンモグラフィというものとで、そんな一気に3つもレントゲンやって大丈夫なのかな?そのほかに血圧くらいは測るんでしょうけど、心電図も測ってもらえるのかな?

考えてみたら、生理中は、便潜血検査と子宮ガン健診に加えて、尿検査もだめでした。
実は尿検査も前回区の健診で受けた時に異常があり気になっていたので調べたかったのですが、残念です。

これだと、誕生日の月にもう一回区の健診を受けたほうが良さそうです。
そうなると、決められた日に中途半端に会社でやることになるよりも、自分の都合の良い時に医療機関に行って受けることのできる区の健診で全項目ちゃんと受けたほうが良いようです。
せっかく会社でやってくれるものですが、来年は希望するのはやめようと思います。
パートは保険がきかなくて会社が負担するとのことで、1人15000円近くするらしいです。
区でやれば会社も私もお金がかかりません。
今回は血液から判明する腫瘍マーカーで大腸がんがわかるものをオプション自己負担(2100円)で受けることにしました。様々な部位の癌に対してそれぞれ違うものなので、一種2000円~3000円するため、全部はうけられません。父方の叔父が2人、母方の叔母が2人大腸がんになっているし、私自身大腸ポリープの経験があるので、一番気になるものを調べることにしました。マンモグラフィも有料オプションで、5250円かかります。金かかる~。

できない検査が多いので早く終わればいいな。
終ったら、早く帰って、おいしいものを食べよう 
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すべり込み

2006-06-08 18:22:32 | 放送大学
5時5分前くらいに郵便局に駆け込んで、「20世紀の中国文学」の通信課題を速達で出してきました。今日午前中からやれば遅くとも3時頃には終わるだろうとたかをくくっていたら大変なことになりました。

課題は、教科書の2つの課を選んで、その時代の中国文学の状況を1200字以内で書くのですが、それに際しては、作家または作品を1つずつ取り上げること、それについての自分の意見・感想を入れるのが望ましい、ひとつの課から2~3箇所を引用すること、(ただし引用部分は全部書く必要はなく最初と最後の数文字でよい)という条件がついています。

このような細かな条件がなければ、それなりに自由に書けるのですが、特に2~3箇所引用するとなると、どこを引用していいんだか?
そもそも教科書にある内容しか知識がないのだから、重要なところを省略した引用の形にしてしまったら意味がわからなくなるし、教科書の内容を自分の言い方で書きなおしたら、引用するところがなくなるし、なんだか頭が支離滅裂です。
「じゃあ、引用は作品のすじとか、実際にあった出来事のあらましの部分にするのがいいのだろうか?」などと、いろいろ迷い続けてしまいました。無理に何箇所も引用を入れようとするとそれだけ内容も膨らんでしまい、最初に書きたかった本筋とはそれてきてしまったりするのです。
2つの課で1200字ですから、1つの課では600字で、概況と、作家や作品の実例と、自分の感想、などを書くと、どうしても文字数が超過してしまいます。

こういうのって、きっと書き方のパターンがあるんだと思います。そのノウハウが私にはありません。お手本みたいなのがあったら読んで見たいものです。
先生の意図するものがどういうものなのか、わからないんですね。
ちゃんと放送を聴いていないからわからなのかな~。

4時半頃になり、もうあきらめるかと思ったのですが、もうばっさりと省けるところを切り捨てて無理やりまとめて、プリントアウトし、提出用の書類に貼り付けて、あせって学生番号などを書き込み、郵便局に走りこみました。
セーフです。締め切りの明日に、必ず届くそうです。

内容はめちゃくちゃですが、書いただけなんとか合格点をもらいたいです。

実は前回は1つの課の分だけ書いて挫折していました。そのとき書いたのはもう没にして、今回は新たに別の課を選んで書いていたので、最初からやり直しでした。前回もわけがわからず急いで書いたものですからろくなもんじゃありませでした。
しかし、いくらなんでも、2期続けてもう少しのところで挫折するというのはしゃくにさわります。最後の踏ん張りです。

とは言うものの、「日本語基礎」はあっさりと敬遠しました。これは次の期に回します。今、日本語教育に触れるのは私にとって精神衛生上よくないです。これはなんか精神病の一種だと思いますが、いやなものを我慢してやる義務はないのですから、これのことはもう考えません。一生やらないかもしれません。

とりあえず、今日は打ち上げだ
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仕事の役割

2006-06-08 00:27:36 | 未分類過去
今日は、もともとは私が健康診断に行く日程になっていたのだが、もうひとりの別のグループで同じ内容の仕事をしているパートタイマーのKさんが休みの日なので、同種の仕事をする人間が皆無になることを避けて、健康診断は他の方と交替してもらい、私はいつもどおりの仕事をした。片方が休みのときはもう片方が補うようにしているからだ。

このことは、「悩める日程」(5月26日)に書いたが、パートごときがわざわざ日程を変えてもらってよかったのかなと後悔したりしていた。
私の担当している仕事はムラがあって、とても忙しいときと暇なときがあり、もし今日が暇だったら、最初の日程でよかったじゃないかということになるからだ。

また、パートが全体の状況をいちいち考える必要はないということと共に浮かんでくる考えは、パートはもともと自分の置かれた部署の仕事を自分がいるときだけ一所懸命やればよいのであって、そうしていれば、他人から、ある時は「山本さんがいてくれて助かる」と思われ、ある時は「山本さんがいなくて困った」などと思われ、かえって自分自身の存在価値も意識されるかもしれないと思ったりするわけである。

でも、今日は、ものすごく忙しかったので、「暇だから山本さんがいても意味はなかった」と思われることは避けられた。また逆に健康診断に行ってしまい、「誰もいなくて困った」という事態も避けられた。最低ひとりのパートが待機するということを優先したことで、全体の仕事がスムースに消化できたから、その判断は正しかったということでほっとした。

書類の校正は1件平均2時間くらいかかるので、1日3件くらいしかできない。今日は全4件(私分2件、Kさん分2件)の書類があり、30分残業して3件(私分2件、Kさん分1件)を消化した。さらに帰り際に1件(私分)が新に追加される様子だったので、明日はすでに2件の仕事が待っていて、さらに増えるかもしれない。

私は明日休みで、あさっては健康診断で1時間くらいしかいられない。いつも2人で分かれてやっている仕事を、明日とあさってはKさん1人にお願いすることになる。
でも、今日私がKさんの分までやったのと同じように、明日と明後日はKさんが私の分をやってくれるから安心だ。やはり、補いあってやっていくという考えで動くのが合理的である。

人に頼まないで自分が何もかもやるというのは無理なことだし、仕事というのは実際代理がきくものなのだ。だからそうできるものはそのように手配するのがいいだろう。

先日、社員さんが一人辞めて行かれたが、その人がいなくなったからと言って、会社は何も変わらず、ちゃんと誰か別の人が仕事を引き継ぎ、代わってやっているのである。そう思うと人の個の存在価値とは何なんだと思うが、仕事とはその人が役割を担うことが大切なのであって、それがその人個人そのものでなければならないということではない。同様の能力や手際があれば別の人でもいいのであり、極端なことを言えば、緊急事態の演劇の代役でさえ、偉大な本来の役者に代わって演じた代役がほぼ満足に役を果たせることも多いわけである。

例えば会社を辞めていく人間が、「最後にこの仕事だけはまとめておきたい、この仕事は自分にしかできない」などと思い、力を尽くしたとしても、その思い入れが会社に残っている人にどれだけ通じるものであろうかと思う。辞めていく人間の情熱は、残念ながらその当人固有のものである。
ある人がやめる前に最後の仕事として、ある仕事を全うしたいと思っていても、会社のほうでは今後も残って働く人にそれをゆだねるというのが普通の感覚であろう。

だから私は昔から「現役」じゃなければ意味がないと思うことが多く、「現役」こそがすばらしいと思っている。何でも「元」とか「OB」とかになってしまったらおしまいだと思っていた。もし、個人の固有の能力や個性が本当に価値のあるものであるなら、現役よりも「元~」というような人が尊重されるであろうが、大方は忘れられていくのであって、現役に勝るものはないと思う。

それで、毎日の仕事に対しては、「自分の情熱」よりも「役割を担い合う」ことが大切だと思うようになった。それは、あるときは「執着」せずに「任せる」ということでもあり、臨機応変に任せたり任されたりして仕事を効率的に消化していくことがいいことだろうと思う。
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