山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

まとまらない

2006-06-15 23:35:58 | 未分類過去
今日は会社が休みで、午前中は姉と母に長電話をしてしゃべっていた。
午後から久しぶりで近所の気の合う友人とお昼を食べながら夕方までしゃべっていた。
それで、ずいぶん気晴らしになったものの、何もしなかった。
ずるずるとついつい思うにまかせてしゃべりつづけていて、7時頃家に帰ってきたので、夕飯を作る暇もなくなり、すでに夫も娘も帰宅して腹を空かせていたので、途中で弁当を買ってきてしまった。
夕飯を食べると、なんか急に眠くなり、寝てしまった。
娘はバイトに行き10時過ぎに帰ってきた。
その間私はずっと寝ていて、そのあと目を覚まして、今日中にブログを更新しなければと思い、あるテーマをもとにパソコンに向って書き始めたのだが、ぜんぜんまとまらない。

若い頃、就職試験のときに作文を書かされてぜんぜんまとまらないことがあり、書いては消し書いては消しで、支離滅裂なまま終わって、案の定その会社は不採用になったことがあるが、まるでそのときの状況と同じである。蟻地獄みたい。

こういうときは、まとまったものを書くのをやめよう。

今日は、雨がザーザー降っている。
ちゃんと徹底して降っている雨だ。
こういう降り方は一種快感である。

今日の内容はこれだけ。
とりあえず、今日は気晴らしと休養になった。
明日もまた仕事を頑張ろう。



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池袋で落ちた傘

2006-06-15 01:50:39 | 未分類過去
このあいだ、池袋の駅に久しぶりに降りたのですが、そのとき傘を持っていて、ちょうど何年か前に池袋で電車を下りる時に線路に傘を落としてしまったことを思い出しました。
そのときは、片手首に傘の柄の部分をかけた状態で電車を降りようとしていた瞬間、たぶん近くの誰かが傘の下方を蹴り上げるような接触をして、私の傘を下方から押し上げ、傘の柄が私の腕から浮き上がって外れ、電車とホームの間に落ちてしまったのでした。
そのとき、後ろからそれを目撃した人が「あ~あっ、落ちちゃったあ~」というおどけたような声をだしたのを覚えています。

その予期しないできごとに、いったいどうしたら良いかと判断できず、とっさに電車の後方に走って車掌さんに止まっている電車とホームの間の線路に傘を落としたことを伝えました。
すると、車掌さんは「後で駅員に言ってください」と言い、電車は走り去りました。

そうか。そうだよね。車掌さんに言ったって急いでいるときに迷惑な話だ。しかも、電車が走り去らなきゃ、傘はとれるはずがないではないか。
なんで、そんなバカなことをしたんだろう。と思い、反省しつつ、電車が去った直後にホームにいる駅員さんに言うと、すぐに長い棒のような器具で簡単に傘を拾ってくれました。

そのとき気がついたんですが、おどろいたことに線路の上に落ちている傘は私のものだけではなく、他にも何本もあったのです。しかし、持ち主は拾ってもらおうとは思わずあきらめたのか放置したまま去ったようでした。

そのことがあってから、傘の柄を腕にかけて持つことはせず、しっかり握って電車の乗り降りをしているのですが、先日池袋に行ったときは、あのときも梅雨時だったのかなと思いつつ、電車を降りる時に隙間から線路を見下ろしていました。

待てよ。
傘が落ちた瞬間に、レール上に倒れるということはないのだろうか?
もしレールの上に倒れたらそれを電車の車輪が轢いてしまうから危険だよな。

そうだ、何で自分があせって電車が動く前に車掌さんのところに走って行ったのか考えたら、無意識のうちにそう思っていたからだったと思う。
でも、きっと物理の法則で、距離や角度の関係から落ちた傘がレールの上に倒れることはないのでしょう。

あのときの傘は、青くて縁に花の模様がついたジャンプ傘です。
最近あまり使わないので、どうしたっけ?と思ったら、ちゃんと家にありました。
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託児施設は自宅近くに

2006-06-15 00:31:13 | 未分類過去
少子化問題が深刻化し、女性が子どもを育てながらも働き続けられる環境を作る必要性が叫ばれている。
実際、保育所を希望しながら何年も待たされている出産後の女性がかなり多いと聞く。
託児してもらえなければ当然働けないのであるから、働けなくなることが判っていて子どもを生める環境ではないことは確かだ。
そこで、託児施設が充分にあれば子どもが生めるだろうというのは間違った判断ではないのだが、なにやら政府は職場に託児施設を作る方向に動いているようである。
そのような役割を企業に求めようとしているようである。

それはちょっと違うんじゃないだろうか?

今朝テレビで、丸の内の官公庁に勤める人のための託児施設が紹介されており、国家公務員はこんなにも優遇されているというようなことをやっていた。職場の中に託児施設があればすぐに様子を見に行けるし、仕事が遅くなっても大丈夫だとのことである。
それで、そのようなものが民間企業にもできればいいと考えられているようなのだ。

しかし、それでは赤ん坊や幼児が親と一緒に通勤すると言うことではないか!
ラッシュアワーの電車の中を子どもをつれて通勤などできると思っているのであろうか?
子どもを抱いたりおぶったりして移動することがどれだけ大変かわからないのか?
子どもだって疲れてしまう。親子ともどもへとへとだ。
そして、多くの会社は、そんなものを作る余裕はないのではないだろうか?
しょせん、そんなことができるのは一流企業の話だろう。

そのような施設が不要だとはいわないが、子どもを生みたい一般庶民は決して都心の大きな一流企業に勤める会社員ばかりではないのだ。
主婦となるといろいろ家庭のこともしなければならないし、出産前後は体もきつくなってくるからそんな遠くまで通勤できない状況の人も多い。だから結婚や出産を通して同じ仕事を続けるのが理想だとしても、実際的には出産後は近所で比較的楽な違う仕事に変わる女性が多い。
例えば、独身の時に、1時間半かけて通っていた会社に託児所があるからと言って、幼児を連れて通勤などできる状況ではないだろう。1人ならまだしも2人などとなったら絶対に無理である。だから、職場に託児所ができても出生率が2以上になるはずがない。どうしたって仕事は近くのもう少し楽な仕事に変わる場合が多いはずである。そしてそれは大企業ではなく小規模な零細企業であることが多い。
独身時代から勤めている遠くの会社に出産後も通勤し続けるとしたら、なおさら子どもは自宅近くの託児所に預けて、自分だけ身軽に通勤したいのだ。

だから、丸の内の官公庁にあるビルの中の託児施設のようなものではなく、単に今ある公営の保育園がもっとたくさんできて、定員が多くなればいいことであるのだ。
また、延長保育などもできればいい。

国民の出生率を上げたいなら国は公の保育園を地域に充分に確保する義務があると思う。
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