山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

今週も雨

2006-06-18 22:11:03 | 放送大学
たしか、先週も雨でした。
今日は放送大学に行ってきました。
この写真は放送大学近くのものですけど、なんか思ったより明るく写っているようです。
晴れているような明るさですが、本当はもっと暗かったと思います。
地面が濡れて光っているので、雨だとわかりますね。
遠くに傘をさして歩いているのは、中学生か高校生くらいの男の子3人づれです。

        

面接授業は今日で1科目終わりました。
とても充実したいい授業だったと思います。
ただ、自分がちゃんと把握していないので、最後のテストはあまりまともな内容が書けなかったのが残念です。

面接授業は成績の優劣はつけないので、一応書けば単位はもらえるだろうと甘く考えています。

とにもかくにも、すばらしい授業を提供してくださった先生に感謝です。
ちなみに、「芸術・文化・社会」の中の「映画」を専門とされている加藤先生です。


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退職金の課税

2006-06-18 21:04:31 | 未分類過去
退職金の税金の計算について、いい加減なことしか判らなかったので、ちょっと調べてみました。

今までは、「退職金には所得税がかからない」と思いこんでいたのですが、それは間違いでした。退職金の場合、優遇措置があって、課税率が低いのであって、税金がかからないわけではありませんでした。

例えば、20年を超えて勤めた人の場合、「800万+70万×(勤務年数-20年)」が支給額から控除されるそうです。
例えば、うちの夫の場合は、約30年勤めましたので、大雑把に計算すると、
「800+70×10」ということで、1500万円控除されるわけですね。
悲しいかな、うちの夫の退職金は30年勤めても、1500万円はありませんでしたから、全体から退職控除所得額を引いたらマイナスですね。だから税金は取られないのでした。
ハハハハハハ

★退職所得の金額=(退職金の額-退職所得控除額)×1/2

★税額=退職所得の金額×税率-控除額

例えば、外資系の会社に勤めたある人が、たった10年勤めて6000万円もらったとします。
(外資系でも国内でも税計算は同じとのことですが、短期間の勤務で多額をもらうという特徴で、外資系の一例とします)

すると、退職控除所得額は20年以下の場合、「40万円×年数」なので、
退職所得の金額=〔6000万円-(40万円×10年)〕×1/2=2800万円

所得税額=2800万円×税率0.37-控除額249万円=787万円

(控除額は、1800万以上の場合は249万円となっています。)

住民税は13%なので、2800万円×0.13=364万円となります。

両方たして、1151万円。
受取り額6000万円から1151万円引いても、4849万円残りますね。

退職金として支給されればそうなりますが、退職金でないと控除なしで計算されるので、ずっと多くなると言うことのようです。

上の計算法は正しいかどうか自信がありませんが、税金のHPを見て計算してみました。

最近は、外資系でも日本の習慣に合わせて退職金を出すところが増えているようです。
一方、退職金にすれば税金が優遇されるということで、税金対策のためにわざと支給時期を遅らせて退職金にしてしまうという方法をとる企業があるために、問題にもなっているようです。
現在の税法では、長年勤めたものに控除が多く、優遇されているため、短期間の人には不利であるという意見もあり、控除の方法が今後見直されるかもしれないとのことです。
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鈴香容疑者

2006-06-18 02:07:44 | 未分類過去
鈴香容疑者というのは、怠け者で非常識などうしようもない女だったようだが、それにしても高校のときの卒業文集を見ると、クラスメートたちが、二度と故郷に帰ってくるなとかひどいコメントを書き込んだり、将来予測として、自殺だの殺人だのと呪いの言葉のようなものを書き込んでいるのには驚嘆する。あまりにもひどすぎる。

何か事件があると、よく犯人の昔の文集などが取り上げられ、その当時から将来が予言されているかのような内容が言われることが多い。そういうものに人間形成があらわになっている場合が多いということなのであろう。

若い頃から人から嫌われるような要素のある人間だったとはいうものの、周りの人間に露骨にそのように扱われては、さらに屈折して行き、悪循環で変な方向に歩んで行ってしまいそうだ。
こどものころの家庭の教育も悪かったのだろうと思うが、学校もひどかったような気がする。

鈴香容疑者が故郷を出た後の数年後、派手で自信をもった女性として変身して帰ってきたという。彼女はそこで、過去の汚名挽回、誰にも相手にされなかった自分が、そうではなくなることを期待していたに違いない。

しかし、人間というのはそう簡単に過去から脱皮できるものでもなく、本当に変身したりすることもできるものではないのだ。二度と戻ってくるな、死ねなどと書かれたものの、変身したら受け入れてもらえるのではと思っていたのだろうが、そんなことはなかった。

なんか、かわいそうだな、と初めてそこで思い、涙まであふれてきた。

人間って、やはり故郷から出て戻るときには、自分が何がしか出世していたいと願うものだと思う。以前の評価が悪ければ悪いほど、すくなくとも輝いている存在として戻りたいという潜在意識があるような気がする。

私自身も、子どもの時にはけっして目立つ存在ではなかったが、故郷を出た後、それなりに努力してるんだと自分で思っており、同窓会に出席するときなどは、歩み続けてきた結果を故郷の誰かが目に留めてくれるのではないかと期待していた面があったと思う。

鈴香容疑者の件とは離れるが、私は高校を卒業した時に、自分が決していい大学に入れなかったという残念さみたいのが強くあった。4年制の大学に行きたかったというのがあった。そして学歴に限らず、何か専門職につきたいという気持ちがあった。

同窓会の時、先生たちは生徒がどこの大学に進んだというようなことを覚えているので、有名大学に進んだ人などはそれに関連して、今、何をしているのかと聞く。友人などには看護学校に行ったことを先生が覚えているから、どこで看護士をしているのかなどと先生が聞いてくる。
しかし、私には何も聞かない。こいつは何もしていないにちがいないから聞くこともないと思っている。たしかに聞かれたところで、現在の私には何もないが、例えば日本語学校に勤めていた数年前だったなら、「そういえば山本は国語だけはできる子だったけど、そうか日本語を教えているのか」などというやり取りがあることを自分は期待していたような気がする。
だが、結局のところ、高校時代にめだっていた人が同じように注目され、同じようにちやほやされ、楽しくやっているというのが事実だった。勢力も愛情も人気もその構成はまるで変わることがない。なんだ、結局何にも変わっていないんだと思う。
それがあらかじめわかっている人はバカらしいから同窓会には参加しない。
かえって東京にいるほうが現在の自分の価値を自分だけでも事実として自分の中で確認できる。東京の人には私に対する過去の固定観念がないからである。

しかし、田舎に帰ると、他人の目を通した自分は、鈴香容疑者ではないが「心霊写真」みたいなものである。気味が悪いものではない点においては、昔も今も「空気」のような存在なのかもしれない。誰からも評価されない、害はないが居ても居なくてもいい人間なのだ。
故郷というのは、挽回の余地のないそのような一種の残酷性を持った人間集団なのである。
そして、自分自身もそういう目で過去の知人を見ているという反省はある。

故郷に帰った鈴香容疑者の場合、実際に本人が気付かない欠点が改善されたわけでもなんともなく、変身したつもりであっても、相変わらず嫌われ者だったのだろう。
その鈴香容疑者のやりきれない毎日の気持ちがわかるような気がしたし、孤独の中で娘を育てていたんだろうと思った。

朝のテレビ朝日の「スーパーモーニング」を数日前に続けてみていたのだが、鈴香容疑者の今までの人生や内面について吟味されているものだった。
ある日、司会の渡辺さんは、涙をためて子どもの不幸を悲しみ、鈴鹿容疑者に向って憤っていたが、翌日この高校時代の鈴香容疑者に対する仕打ちが取り上げられると、教員や同級生に対する憤りを隠さず、鈴香容疑者に同情していた様子だった。
子ども時代から現在に至る鈴香容疑者の写真がパネルになって並べられていたが、途中で急に派手になっていた。そして、自分の娘と一緒に写る写真。そして事件後の写真。

自分の子どもを普通に愛せず、人並みの方法で育てることもできず、他人の子まで殺めてしまった鈴鹿容疑者は哀れな女だ。

そして、そんな女を幼児期から今に至るまでを通して作ってしまったのが、彼女の育った家庭・学校・地域環境に違いない事に愕然とする。

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