いまさらながらですが、近代に入ってからの日本の発展のサマを振り返ると、目を見張るものがあると、再認識されられる今日このごろです。
日本人は明治に入って、すさまじい速さで世界の様々なことを、すごい意欲と体力と能力でもって取り入れて突進していったようです。
「日本人って何者?」と自分も日本人でありながら、脅威に感じるのでした。
放送大学の人間の探究コースでは、芸術や文学と共にいやでも日本の歴史のついて学ぶことになりますが、その中でも感じるし、また、テレビでやっている歴史番組などでもよく感じることです。
今も放送大学の「20世紀の中国文学」(藤井省三)の教科書を読んでいたら、
「魯迅来日の翌年1903年には鉄道営業キロ数は約8000キロ台に達している」とありました。ちなみに同年の中国では、4530キロに過ぎなかったそうです。
そして郵便や電話なども発達し、通信改革がおこり、「1909年には東京では「報知」「万朝報」の1日の発行部数がそれぞれ30万部と20万部に達し、全国の小学校就学率が98%に達した。」のだそうです。それに対し「中国では1914年の調査で北京紙は数千、上海紙でも「新聞報」が2万を記録しているに過ぎず、就学率に至っては1919年でも11%に低迷していた。」とのことです。それで、中国人留学生がなにもかも自国より進んだ日本を目指してたくさんやってきたわけですね。
いかに、日本人の吸収と適応と実行力が優れていて、勤勉で積極的な国であるかがわかりますね。
そして、このころは、弾力性のある乾いたスポンジが大量の水を吸うように、知識や技術を吸収したんだなあと感心せずにはいられません。
そうなると、その前の江戸時代にも関心は及びます。つまり、きっと江戸時代に栄養があって潜在能力を発揮できる地盤があったから、それができたのではないかと思うのです。
日本人というのは、静かで控えめな国民だと思っていたのですが、実はそうでもなくて、なかなかしたたかなものだなあと思いました。
戦争時代に日本紹介の映画を作って、世界に向けてアピールしていたなんてことも放送大学で知りました。
その日本が今、すごく回顧趣味みたいになっていないでしょうか?昭和30年代を懐かしむブームというか、高度成長が始まったころのことが映画やドラマにされることが多くなっているようです。そのころの発達する前の時代を懐かしんでいるのですね。同時に発達する過程をも懐かしんでいるのかもしれません。
それは、今の日本社会や現代人が失ってしまった情熱のようなものを求めているからかもしれません。
また、もう一段階昔の明治維新の発展前を懐かしむ様子も見えます。
今日、テレビで東海道五十三次の絵になっている同じ宿場の場所で、同じ構図をとって写真を撮るという試みをしていました。二つのグループがどっちがうまく撮れるか、それぞれ別のシーンを再現して写真に収めるのです。写真に写る人間は昔と同じ格好をするので、和服にふんどしとかで、本物の馬や籠なども使われました。
同じ場所で撮りながらも、景色や建物などの情景が大分変わっていて、長い年月の経過を感じましたが、たしかにその場所が今もあって同じ民族が生活しているのが不思議な気分になりました。そして、とてもおもしろかったです。
そのころ、まだ鉄道がない江戸時代には、東京―大阪間は徒歩で2週間かかっていたそうですが、明治時代に鉄道が引かれてからは22時間になったそうで、高度成長後の今は、新幹線で数時間になっていますね。それはすごく変わったことですが、そこに住んでいる人間の気質はあまり変わっていないのかもしれないと思いました。
日本人、頑張ってきたよ。
懐かしいものを失ってしまった悲しみがあるかもしれないけれど、得てきたものも多かった。そして、今、IT革命などもあって、インターネットや携帯が普及し、また1段階文明が過度期に入っているようです。
昔の情熱と夢を復活させて、何かに向って歩みたいと渇望しているんじゃないかなと思います。何かを過去にもどすということが新たな発展であるかもしれず、選択肢にないとは言えないでしょう。
日本人は、今、何をめざすべきでしょうか?
日本人は明治に入って、すさまじい速さで世界の様々なことを、すごい意欲と体力と能力でもって取り入れて突進していったようです。
「日本人って何者?」と自分も日本人でありながら、脅威に感じるのでした。
放送大学の人間の探究コースでは、芸術や文学と共にいやでも日本の歴史のついて学ぶことになりますが、その中でも感じるし、また、テレビでやっている歴史番組などでもよく感じることです。
今も放送大学の「20世紀の中国文学」(藤井省三)の教科書を読んでいたら、
「魯迅来日の翌年1903年には鉄道営業キロ数は約8000キロ台に達している」とありました。ちなみに同年の中国では、4530キロに過ぎなかったそうです。
そして郵便や電話なども発達し、通信改革がおこり、「1909年には東京では「報知」「万朝報」の1日の発行部数がそれぞれ30万部と20万部に達し、全国の小学校就学率が98%に達した。」のだそうです。それに対し「中国では1914年の調査で北京紙は数千、上海紙でも「新聞報」が2万を記録しているに過ぎず、就学率に至っては1919年でも11%に低迷していた。」とのことです。それで、中国人留学生がなにもかも自国より進んだ日本を目指してたくさんやってきたわけですね。
いかに、日本人の吸収と適応と実行力が優れていて、勤勉で積極的な国であるかがわかりますね。
そして、このころは、弾力性のある乾いたスポンジが大量の水を吸うように、知識や技術を吸収したんだなあと感心せずにはいられません。
そうなると、その前の江戸時代にも関心は及びます。つまり、きっと江戸時代に栄養があって潜在能力を発揮できる地盤があったから、それができたのではないかと思うのです。
日本人というのは、静かで控えめな国民だと思っていたのですが、実はそうでもなくて、なかなかしたたかなものだなあと思いました。
戦争時代に日本紹介の映画を作って、世界に向けてアピールしていたなんてことも放送大学で知りました。
その日本が今、すごく回顧趣味みたいになっていないでしょうか?昭和30年代を懐かしむブームというか、高度成長が始まったころのことが映画やドラマにされることが多くなっているようです。そのころの発達する前の時代を懐かしんでいるのですね。同時に発達する過程をも懐かしんでいるのかもしれません。
それは、今の日本社会や現代人が失ってしまった情熱のようなものを求めているからかもしれません。
また、もう一段階昔の明治維新の発展前を懐かしむ様子も見えます。
今日、テレビで東海道五十三次の絵になっている同じ宿場の場所で、同じ構図をとって写真を撮るという試みをしていました。二つのグループがどっちがうまく撮れるか、それぞれ別のシーンを再現して写真に収めるのです。写真に写る人間は昔と同じ格好をするので、和服にふんどしとかで、本物の馬や籠なども使われました。
同じ場所で撮りながらも、景色や建物などの情景が大分変わっていて、長い年月の経過を感じましたが、たしかにその場所が今もあって同じ民族が生活しているのが不思議な気分になりました。そして、とてもおもしろかったです。
そのころ、まだ鉄道がない江戸時代には、東京―大阪間は徒歩で2週間かかっていたそうですが、明治時代に鉄道が引かれてからは22時間になったそうで、高度成長後の今は、新幹線で数時間になっていますね。それはすごく変わったことですが、そこに住んでいる人間の気質はあまり変わっていないのかもしれないと思いました。
日本人、頑張ってきたよ。
懐かしいものを失ってしまった悲しみがあるかもしれないけれど、得てきたものも多かった。そして、今、IT革命などもあって、インターネットや携帯が普及し、また1段階文明が過度期に入っているようです。
昔の情熱と夢を復活させて、何かに向って歩みたいと渇望しているんじゃないかなと思います。何かを過去にもどすということが新たな発展であるかもしれず、選択肢にないとは言えないでしょう。
日本人は、今、何をめざすべきでしょうか?