山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

日本人って

2006-06-04 03:39:21 | 未分類過去
いまさらながらですが、近代に入ってからの日本の発展のサマを振り返ると、目を見張るものがあると、再認識されられる今日このごろです。
日本人は明治に入って、すさまじい速さで世界の様々なことを、すごい意欲と体力と能力でもって取り入れて突進していったようです。
「日本人って何者?」と自分も日本人でありながら、脅威に感じるのでした。

放送大学の人間の探究コースでは、芸術や文学と共にいやでも日本の歴史のついて学ぶことになりますが、その中でも感じるし、また、テレビでやっている歴史番組などでもよく感じることです。

今も放送大学の「20世紀の中国文学」(藤井省三)の教科書を読んでいたら、
「魯迅来日の翌年1903年には鉄道営業キロ数は約8000キロ台に達している」とありました。ちなみに同年の中国では、4530キロに過ぎなかったそうです。
そして郵便や電話なども発達し、通信改革がおこり、「1909年には東京では「報知」「万朝報」の1日の発行部数がそれぞれ30万部と20万部に達し、全国の小学校就学率が98%に達した。」のだそうです。それに対し「中国では1914年の調査で北京紙は数千、上海紙でも「新聞報」が2万を記録しているに過ぎず、就学率に至っては1919年でも11%に低迷していた。」とのことです。それで、中国人留学生がなにもかも自国より進んだ日本を目指してたくさんやってきたわけですね。

いかに、日本人の吸収と適応と実行力が優れていて、勤勉で積極的な国であるかがわかりますね。
そして、このころは、弾力性のある乾いたスポンジが大量の水を吸うように、知識や技術を吸収したんだなあと感心せずにはいられません。
そうなると、その前の江戸時代にも関心は及びます。つまり、きっと江戸時代に栄養があって潜在能力を発揮できる地盤があったから、それができたのではないかと思うのです。

日本人というのは、静かで控えめな国民だと思っていたのですが、実はそうでもなくて、なかなかしたたかなものだなあと思いました。
戦争時代に日本紹介の映画を作って、世界に向けてアピールしていたなんてことも放送大学で知りました。

その日本が今、すごく回顧趣味みたいになっていないでしょうか?昭和30年代を懐かしむブームというか、高度成長が始まったころのことが映画やドラマにされることが多くなっているようです。そのころの発達する前の時代を懐かしんでいるのですね。同時に発達する過程をも懐かしんでいるのかもしれません。
それは、今の日本社会や現代人が失ってしまった情熱のようなものを求めているからかもしれません。

また、もう一段階昔の明治維新の発展前を懐かしむ様子も見えます。
今日、テレビで東海道五十三次の絵になっている同じ宿場の場所で、同じ構図をとって写真を撮るという試みをしていました。二つのグループがどっちがうまく撮れるか、それぞれ別のシーンを再現して写真に収めるのです。写真に写る人間は昔と同じ格好をするので、和服にふんどしとかで、本物の馬や籠なども使われました。
同じ場所で撮りながらも、景色や建物などの情景が大分変わっていて、長い年月の経過を感じましたが、たしかにその場所が今もあって同じ民族が生活しているのが不思議な気分になりました。そして、とてもおもしろかったです。

そのころ、まだ鉄道がない江戸時代には、東京―大阪間は徒歩で2週間かかっていたそうですが、明治時代に鉄道が引かれてからは22時間になったそうで、高度成長後の今は、新幹線で数時間になっていますね。それはすごく変わったことですが、そこに住んでいる人間の気質はあまり変わっていないのかもしれないと思いました。

日本人、頑張ってきたよ。
懐かしいものを失ってしまった悲しみがあるかもしれないけれど、得てきたものも多かった。そして、今、IT革命などもあって、インターネットや携帯が普及し、また1段階文明が過度期に入っているようです。
昔の情熱と夢を復活させて、何かに向って歩みたいと渇望しているんじゃないかなと思います。何かを過去にもどすということが新たな発展であるかもしれず、選択肢にないとは言えないでしょう。

日本人は、今、何をめざすべきでしょうか?
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触れられない領域

2006-06-04 01:27:11 | 未分類過去
小さいとき、私は姉のバイオリンには絶対に触ってはいけないと思っていた。物心ついたときからそう思っていたのだ。だから、私自身がバイオリンを習いたいなどとは絶対に考えたこともなかった。
私と姉は5歳違うが、姉が小学低学年のころバイオリンを習い始めた時に、幼児だった私は、バイオリンをいじってひどく怒られたのかもしれない。
それ以来、私はバイオリンという領域に入ってはいけないのだった。自分が小学校に入って音楽の授業の合奏でバイオリンを選ぶ機会があろうと私はバイオリンを希望しなかったし、家にバイオリンがあろうと、私は今だかつてバイオリンに触れたことはないのだ。
バイオリンとは私にとっておそろしいものなのだ。

ふと、私にとっての「日本語教育」というのが、その「バイオリン」に似ているような気がした。
日本語学校を解雇されたり、中国人や他の外国人との付き合いの中で、いつしか私はその領域に入ることができない精神状態となってしまった。
何か、確実に私自身を否定されたような出来事があったわけではなかったが、私の中で何かが浸潤するようにアレルギー反応のようなものが出てきてしまっているのである。

あなたは「バイオリンを触るべき人間でない」というのと、「日本語教育に関わるべき人間でない」「外国人と交流すべき人間じゃない」というのが、何かとても似ている気がする。

一方で、未だにそれを自分の専門領域と思っていたり、中国人や中国文化が好きだと思っている自分がいて、矛盾している。
しかし、教科書を開いてみると、どうも落着かなくなって、とても課題なんかやる精神状況ではなくなってしまう。

別れた恋人とは二度と会わないほうがいいのと同じかもしれない。
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もし、できる人間だったら・・・

2006-06-04 00:42:16 | 放送大学
放送大学の課題があと2科目全然進んでいません。
一言で言って、ヤル気がありません。

今年が編入してから6年目で、籍を置ける最後の年になっています。
ヤル気さえあれば卒業必要単位を頑張って取って卒業できるかもしれません。

問題は「ヤル気」がないことなんです。
今やってる内容は、「関心がない」の一言です。

もし、私が「できる人間」あるいは「優秀な人間」だったら、
すずしい顔でさっさと勉強して、課題をすませて、
この「人文・自然コース・人間の探究専攻」を卒業して、
その後、さらに「産業・社会コース・産業と技術専攻」に編入して、
どんどん勉強して、
こっちもすぐに卒業しちゃうでしょう。

あるいは、さっさといやなことから離れて、卒業なんかしなくて、
勉強したいことだけ選んでするっていうのもいいですね。
知識が身につきゃいいんです。
私の場合、今の仕事には物理・化学や産業財産に関する知識が必要なんです。

それが、愚図だから、
いつまでもいやになったものが転向できないし、
卒業証書にこだわるし、
そのせいで、新しい世界に踏み込めないでいる。
中国人に日本語を教えているわけでもないのに、
何で今さら、中国文学や日本語基礎なんかとってるんだろう。

踏ん切りが悪いったらない。

もう、いったいなにやってんだろう。

もしかしたら、勉強をしたくない理由にしているだけかもしれない。
別の分野に移ったとしても勉強は嫌いなのかもしれない。
もし勉強が好きだったら、関心を失う前にちゃんと卒業できていたはずだ。

要するに、怠けもの。
言い訳をしているだけだ。

ごちゃごちゃ書いてないで、やるべきことをやりゃあいいんだ!
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りんご酢

2006-06-04 00:00:55 | 未分類過去
このごろ、気に入って飲んでいるのが「りんご酢」である。正確に言うと、「りんご酢入りロイヤルバモント」とかいうもので、ただのりんご酢とはちょっと違うようだ。最初、置き薬屋さんがそれと計量線つきの専用容器を置いていったので、教えられた割合で水で薄め、冷蔵庫で冷やしておいて飲んだら、すっきりしておいしかった。それ以来、ちょっとノドが乾いたときなどに飲むのが習慣になっている。朝起きたときや風呂上りなどに飲んでいる。便秘気味の娘は便通がよくなったと言っている。

この間、また薬屋さんが来た時に、今度は牛乳で割って飲む方法を教えてもらった。
りんご酢を3割、牛乳を7割にしてかき混ぜると、ちょうど飲むヨーグルトのようになるのだ。りんご酢の割合が多いと分裂してしまうそうだ。牛乳よりさわやかでおいしいし、栄養もあるし、体に良さそうで、毎日飲んでいる。

みなさんも、飲んでみて!

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