現代社会において、芸術というのは、さも個人特有の才能の表現のように考えられがちだが、実はそうではなく、過去においては職人=芸術家ということも多かった。
つまり、その時代の中に生まれる多くの職人に共有されている創作技術とか様式というものが芸術といえるのであり、その中でより高度なものを求めているうちに、新しい表現法やその人固有の作品が発生するのであって、最初から別個のものを生み出そうとしているわけではない場合も多い。
その場合、大部分は模倣から始まるのであり、摸倣もできないものに新しい芸術が生み出せる可能性は少ない。
そのようなことは、芸術に限ったことでもない。
自分がどのような人間になりたいかは、どこかにお手本の人間がいて、その人間を尊敬し、目指して行くから、その人間に近づくことができる。
そして、そのときに、自然に自分の個性や才能がにじみ出てきて、お手本となる人間とはまた違った魅力や能力を発揮するという結果になる。
あくまでも、摸倣から始まったものが、結果として別の固有の価値となって形作られていくのだといえる。
固いことを書いてきましたが、
そこで、やっと今思っていることです。
私には尊敬する人がいなので、尊敬する人を見つけなければいけないと思っています。
それから、私は文を書くのが好きなのですが、尊敬する作家や評論家、エッセイスト、随筆家などはいません。愛読書などもありません。
つまり、人生の先を歩いている尊敬すべき人がまだ見つからない。
それは、政治家でもいいし、何かの活動家でもかまわない。
あるいは、会社の中の仕事で尊敬できる人でもかまわないです。
もしかしたら、主婦業を極めている人でもかまわないです。
私はこれから、その人の行き方を摸倣したいと思えるような尊敬すべき人間を探したいと思います。
つまり、その時代の中に生まれる多くの職人に共有されている創作技術とか様式というものが芸術といえるのであり、その中でより高度なものを求めているうちに、新しい表現法やその人固有の作品が発生するのであって、最初から別個のものを生み出そうとしているわけではない場合も多い。
その場合、大部分は模倣から始まるのであり、摸倣もできないものに新しい芸術が生み出せる可能性は少ない。
そのようなことは、芸術に限ったことでもない。
自分がどのような人間になりたいかは、どこかにお手本の人間がいて、その人間を尊敬し、目指して行くから、その人間に近づくことができる。
そして、そのときに、自然に自分の個性や才能がにじみ出てきて、お手本となる人間とはまた違った魅力や能力を発揮するという結果になる。
あくまでも、摸倣から始まったものが、結果として別の固有の価値となって形作られていくのだといえる。
固いことを書いてきましたが、
そこで、やっと今思っていることです。
私には尊敬する人がいなので、尊敬する人を見つけなければいけないと思っています。
それから、私は文を書くのが好きなのですが、尊敬する作家や評論家、エッセイスト、随筆家などはいません。愛読書などもありません。
つまり、人生の先を歩いている尊敬すべき人がまだ見つからない。
それは、政治家でもいいし、何かの活動家でもかまわない。
あるいは、会社の中の仕事で尊敬できる人でもかまわないです。
もしかしたら、主婦業を極めている人でもかまわないです。
私はこれから、その人の行き方を摸倣したいと思えるような尊敬すべき人間を探したいと思います。