電車の中で、近くの横ならびの座席に座っていた中年男女の会話です。
「ねえ、見て見て、あの木すごいわよ。」
「ああ、ほんとだ」
「きれいねえ。あれなあに?」
「あれ?あれはビワだよ」
「ビワ?あの黄色いのいっぱい、ビワなの?」
「うん、ビワがたくさんなってるね」
「あんなにいっぱいなってるなんて、めずらしくない?」
「そうだね、鈴なりだなあ」
「ほんとうにすごいわ。あれ、食べられるのかしら?」
「あれは、・・・食べられないだろ。実が小さいからね」
「あら、そうなの?」
「うん、あれは全然手入れをしてないから、枝が茂りすぎて実が小さすぎる。」
「ああ、そうか。売ってるビワってもっと大きいわよね」
「普通は、もっと枝を落としてすっきりしてるだろ」
「そうねえ。」
「あんな大きなビワの木がある家って古い家なんでしょうね」
「うん、そうだろうね」
「最近の家で、ビワを植える家なんかないものね」
「そうだなあ」
女性はなんか天真爛漫風で、男性は落ち着いて物知り風でした。正直言うと、ビワは小さくても食べられるとは思いましたけどね。男性を信頼している関係っていいかもしれませんね。
こんな会話を交わすのは夫婦じゃないような気がしたのですが、途中の駅で連れ立って降りていく姿はご夫婦のようでした。
なんか、いい関係ですね。夫婦にしては新鮮すぎる!!!
私はビワをみてもあまり感動しないかも知れませんが、
うちの場合、
「見て、すごいいっぱいビワがなってるよ」
「・・・」
「ほら、あそこ見てみなよ」
「ふ~ん」
「ちょっと!ちゃんと見てるの?」
「ビワがなってんだろ?」
「そうだよ。すごいいっぱいなってるけど、あれはちょっとなりすぎかもね」
「・・・」
「でも、あんなになるなんてみごとだね。」
「・・・」
「今はいいけど、実が落ちたらかたづける大変だろうね」
「・・・
」
てな感じで、ぜんぜん会話になりませんね。
「ねえ、見て見て、あの木すごいわよ。」
「ああ、ほんとだ」
「きれいねえ。あれなあに?」
「あれ?あれはビワだよ」
「ビワ?あの黄色いのいっぱい、ビワなの?」
「うん、ビワがたくさんなってるね」
「あんなにいっぱいなってるなんて、めずらしくない?」
「そうだね、鈴なりだなあ」
「ほんとうにすごいわ。あれ、食べられるのかしら?」
「あれは、・・・食べられないだろ。実が小さいからね」
「あら、そうなの?」
「うん、あれは全然手入れをしてないから、枝が茂りすぎて実が小さすぎる。」
「ああ、そうか。売ってるビワってもっと大きいわよね」
「普通は、もっと枝を落としてすっきりしてるだろ」
「そうねえ。」
「あんな大きなビワの木がある家って古い家なんでしょうね」
「うん、そうだろうね」
「最近の家で、ビワを植える家なんかないものね」
「そうだなあ」
女性はなんか天真爛漫風で、男性は落ち着いて物知り風でした。正直言うと、ビワは小さくても食べられるとは思いましたけどね。男性を信頼している関係っていいかもしれませんね。
こんな会話を交わすのは夫婦じゃないような気がしたのですが、途中の駅で連れ立って降りていく姿はご夫婦のようでした。
なんか、いい関係ですね。夫婦にしては新鮮すぎる!!!
私はビワをみてもあまり感動しないかも知れませんが、
うちの場合、
「見て、すごいいっぱいビワがなってるよ」
「・・・」
「ほら、あそこ見てみなよ」
「ふ~ん」
「ちょっと!ちゃんと見てるの?」
「ビワがなってんだろ?」
「そうだよ。すごいいっぱいなってるけど、あれはちょっとなりすぎかもね」
「・・・」
「でも、あんなになるなんてみごとだね。」
「・・・」
「今はいいけど、実が落ちたらかたづける大変だろうね」
「・・・

てな感じで、ぜんぜん会話になりませんね。