山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

引き際のタイミング

2006-06-20 21:03:34 | 未分類過去
加わるタイミングを逃す人というのは、引き上げるタイミングもあまり上手じゃないように思います。

これも私の場合がそうですが、例えば私と誰かが話しているところに別の人がやってきて要件を話し出す。その場合、「それじゃあ、私はこれで」と言ってすばやく引き上げてくれば無駄はないわけですが、まだもう1つ話すべきことがあるという場合、帰るに帰れなくてそこで一緒になって次の話の人に加わり、あるいは話が終わるのを待ち、その人の話が終わってから元の話題に戻ってようやく用件を済ませるということがあります。
ちょうど話が脱線していたときに割って入られると、もう話は終わっているかのように思うのですが、実は重要なことが残っている場合もあります。その用件が急いで話せば3分でおわるくらいのものでも、間に人が入ってきて20分くらい待たされたりしてしまったりするわけです。
このような場合は、割り込んできた人が話し始めた時に、間髪置かず、「じゃあ、○○だけ手っ取り早く決めちゃえる?」などと言ってその方向に持って行ったり、逆に「○○のことは改めて決めます?」などと言えば、「ああそうだ、それも今決めておかなきゃ」と相手が気付き、次の人にもう少し待ってもらうということができます。

しかし、こういうのもとっさのタイミングをのがしてしまうことが多いです。

以前、何かの催しの後、夜間9時過ぎですが、帰宅が同じ方向の人と帰ろうとしていたときに、ある人がもうひとりの人に頼みごとをしてきました。それが、日本文化紹介の催しに講師としてきてくれないかというような内容だったのですが、道端に立ち止まった状態で、それができるかできないかどんなことをすればよいかなど、引き受ける引き受けないの選択を含んで内容に至るまで、延々と話し始めてしまいました。
こういうときには、「それでは私はお先に」などと言って自分だけ引き上げるのがいいのですが、その判断を誤まってしまったのです。

どっちの人とも日ごろ親しくしているだけに、「じゃあこういうのをしたらいいんじゃないですか?」などと私も加わっていろいろ提案したりしていましたが、いつになっても話は埒があきません。さらにそんなに面倒な話なら道路の片隅に立ち止まってなんかではなく、日を改めて別の時に話すとか、帰宅後に電話で話すとかしたらどうなのかと思うのでした。こんなところで話すからにはすぐに終わるだろうと最初は思っていたのです。しかし、話は一向に終わる気配も見せず、そのうち話しかけて来たひとは、もともと私ではなくもう1人に用件があったので、わたしには理解できないような内容をもう1人の人に向ってのりのりに話し始めました。それは本筋ではなくどうでもいいような別の方向に進んでいる部分もありました。この人、用件を済ませて分かれようという気がないなと私も感じ始めました。というか、私を去らせてから、本当の用件が別にあるのかもしれないとその時に初めて感じたのです。しかし、もともと一刻を争って帰宅する状況でもなく、一緒の電車で帰るつもりで20分くらい立ち話をしていたので、今さらお先にというタイミングもないまま、さらにわけのわからない話に加わったのちにやっと話が終わって帰ることになりました。帰宅するといつもよりもかなり遅い時間になっていて、あの時間はなんだったのだろうと思いました。数分間一緒に電車に乗って帰って来るために1時間も付き合わされたということでした。

こういうときには、最初から先に帰るのが無難ですね。
そっけないと思われても遠慮気味のほうがいいかもしれません。
じゃまだなと思われるよりは、残っていてもらいたかったけど、さっさと帰っちゃったと惜しまれるほうがいいでしょう。

また、人が待っていて、時間がかかりそうな場合は、先に帰っていてと声をかけることも必要だと思います。

誰もがそこにいたいわけでも、居る必要もないんですから、うまい引き際を作ってあげることも必要ですね。
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再び「タイミング」の話

2006-06-20 14:47:07 | 未分類過去
私は運動神経がえらくにぶいのです。
それで、苦手なものの1つに「おおなわ」があります。
高校のとき、ぐるぐる回っている縄跳びの縄に入っていけなかったのですが、今もきっとそのままです。クラスで2人くらい私と同類がいました。
絶対に飛び込もうとする間にまた回ってきちゃって飛び込む間がないと思えます。

なんか、テレビのコマーシャルで、幼稚園くらいの女の子が、回っている縄にちゃんと飛び込んで、楽しそうにみんなで大縄を飛んでいる場面がありますが、あんなにちっちゃくてもできるのに、なんで私にはできないんだろうと思います。

こんな私の子どもである娘たちももしや・・・と思って聞くと、「簡単じゃん」「信じられん」という返事なのでほっと胸をなでおろしました。
私の二世にならなくてよかったです。

子どもたちは幼稚園や小学校でさかんにやったようです。
どこかで、子どもたちが大縄をやっている様子をみたことがありますが、「ほら今だよっ」とポンと背中を押している児童館の先生なんかを見たことがあります。
ああやって、覚えていくんだなと思いました。

私が小さい頃って、「おい、入るなら早く入れよっ!」などとガキ大将が怒っていて、わざとものすごい速さでまわしたりして、なんかもうむちゃくちゃにわけもわからず走りこんでいくと、びゅんびゅん回っている縄が頭や肩を直撃してだめになり、先に入っている人ががっかりする。次にはそんなことがないようにと様子を見ているばかりでいつまでたっても飛びこんで行く思い切りができません。みんなは痺れをきらし、「飛鳥ちゃん、何やってるの!あんたはもう大縄には加わらないでっ!!!」という感じだったんです。
それで、いつも遠くから眺めている子どもだったのでした。

ボールもそうでした。私にパスするといつも受取れないでどこかに転がしてしまって、それを拾いに走るばかりなので、飛鳥ちゃんに渡すと大変なことになると思われるのです。
それで、体育の時間のボールのゲーム中には、なるべく受取らないで人に迷惑をかけないようにと思って時を過ごすようになりました。

今思うとそれは非常に悪循環ですね。

これが現在、交差点なんかで自転車を走らせるタイミングとなると、そう反射神経がにぶいわけではないです。信号がない道路でも車が来ない合間にさっさとわたることができます。
夫の場合、運動神経は悪くないようですが、信号が青になってもしばらくは発車しないという特徴があり、自転車の運転ではどう考えても私のほうが機敏です。

ところが、満員の店で店員さんに我先に物を注文して買物をするのは、断然夫が早いです。私は延々待ちくたびれてしまいます。店員さんに注文を伝えようとするうちに、つぎつぎに後から来た人が注文を言ってしまって、後まわしにされていきます。だから、安くても市場のような魚屋や八百屋での買い物は避け、スーパーで公平にレジに並んで買うのが好きです。
だから、中国に旅行に行ったときは、並ぶということをしない国民の中で、永久にトイレにはいれないし、買物もできないと思いました。
これが、夫はすぐさま現地の中国人と同じになって、平気で横入りして、私の買いたいものを代わりに買ってくるという技を発揮していました。

私がスポーツに置いても人間関係においてもタイミングをはずすのは、反射神経が原因ではなく、性格が原因のようです。

人がしゃべっているときに、どうやって割っ入って重要事項を伝えるかなど、なんかそばでおろおろして待っているのは非常に間が悪いです。

こういうのを、「お話中すみませんね。すぐおわりますから」などと一秒も躊躇せずおろおろすることもなく、すんなりと入り込んで用件を済ませて行くひとなども見かけます。

わざと躊躇したり迷っているしぐさをそばでして、気付かせるっていう人もあるようです。

人を見ていると、そんな要領のいいひとばかりではなく、話が終わるのをじっと物陰で待っている人や、何度も足を運んでは戻っていく人などもいるようで、様々な性格があるなあと思います。
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タイミング

2006-06-20 02:31:27 | 未分類過去
タイミングの良いときを待っていると、なかなかやってこなくて、結局逃してしまうということがよくあります。

2ヶ月くらい前、ビジネスキャリアの試験に合格したので、職場の上司に一応伝えておこうかなと思いました。
一番見せたいなと思ったのは、やはり最初に合格がわかったときで、その気分の乗りで、「試しに受けてみたら受かりましたよ」くらいな感じで軽く報告してみようかと思ったんですが、合格通知じゃなくて、正式な合格証書を見せたほうがいいかなと思い、それが来るのを待ちました。

いざそれが届くと、なんか物々しく大きいので、かえって気軽に見せに行くような雰囲気じゃないように感じました。それに、日ごろ親しく自分の近況などを話している間柄でもないので、ちょっとためらわれ、数日をすごしました。

しかし、せっかく受かったんだからと、4月の末か5月の初め頃、意を決して合格証書をカバンに入れて会社に出かけました。

会社に着いて、まだ部屋の中に入らない廊下を歩いていると、たまたま上司が給湯室で自分の湯飲み茶碗を持ち出しているところでした。
周りには人気もないし、ちょうどカバンに書類が入っているし、今見せればいいかも、と思ったのですが、休憩時間でもないし、昼休みのほうがいいだろうと思ってやりすごしました。

さて、昼休み前になると、上司は出張に出かけていってしまいました。

翌日こそと、また証書を持って通勤すると、今度は来客と一緒にお昼を食べにいったまま、もどってきませんでした。

それで、なんかきっかけを失い、毎日大きな封筒を持ち歩くのもいやになり、ついには合格証書が届いてからもうずいぶんとたってしまったので、もう今さら報告するのも変だなあと思い、やめてしまいました。

こういうのは、きっともともと心に迷いがあるから断行できないんでしょうね。
断固として決行する気があるならば、毎日タイミングが会うときを待ち続けたり、あるいは、仕事中でもかまわず報告に行ったりするはずで、そういうことをしてはいけないというわけでもないわけです。しかし、自分にはできません。

これが、不思議なことに、夫の場合は、逆境に合えば合うほど意志をたぎらせるようです。
例えば、電話をして留守だったら5分おきにも何回もかけまくる人です。しかし、私は時間をあけて2回つながらなかったら、かけるのを永久にやめちゃったりします。夫には押しが足りないとか諦めが早すぎるといつも言われています。

このごろ、私の仕事は暇で暇でたまりません。
それで、多少なりとも会社の部署の業務に関係する試験に合格したので、もし他に手伝える仕事があればやらせてくれと言ってみようかどうかと迷っています。
しかし、私が試験合格を通して素人なりに多少知識を得たと思っても、それが会社にとって役立つことにつながるのかどうかも判らず、その前に、その知識を得たことも未だ報告していないのですから、会社側も当然知らない状況で、それを切り札として仕事を増やすお願いをするタイミングも逃している状況です。

今、思えば、給湯室で出くわしたのは、まったく恐ろしいほどに良いタイミングだったんですけどね。みごとに自分でのがしちゃったわけでした。

その後、上司が連続して昼休みに出かけたりしなければ、きっと報告してたんでしょう。でも、もし報告していたら、それに対する反応がどう出たかはビクビクですね。
タイミングが合わなくてほっとしている面もあったことは確かです。

暇なまま適当に過ごすという道もありますが、進歩は無いです。

タイミングなんかいちいち考えてちゃだめなのかな~~~
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