山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

単位認定試験

2007-02-01 22:13:47 | 放送大学
今日は、放送大学の単位認定試験を3科目受けてきた。

・「芸術の理論と歴史」 たぶん大丈夫だろう。
昨夜すこし復習をしたが、教科書を読んでいたらキリがなさそうだから、いいかげんにしておいた。放送のほうが整理されていてわかりやすい。実際、試験も教科書を思い出すよりも放送を思い出して解答することが多かった。前回単位を落としているので、いくらなんでも同じ失敗はしたくない。まあ、放送をみただけあって、前回よりはよく回答できたとは思う。

・「日本の古典―江戸文学編―」  これはやばい
放送も聴いていないし、教科書も読んでいない。課題を提出するときに拾い読みしただけだ。短大は国文科だったが、すでに忘れている。前回、近世の日本文学を取ったから、少しは重なりはあるものの、それも忘れている。昼休み中に適当に拾い読みしたが、以前から知っている作者や作品のことは頭に入るが、今まで記憶になかったような名前が出てきても全然覚えられない。たぶんダメだろう。
ただ、だめだとわかっていても試験は受けておくといい。次回どんな感じの問題がでるかを知ることができる。

・「文化人類学」たぶん大丈夫だ。
持込可能で、その上択一式というもの。しかも、試験問題の選択肢に出てくる文が教科書と同じだから、教科書のどこにどんなことが書いてあったかだいたい覚えていれば、該当箇所が見つかり、不明点を確認することができる。時間にもある程度余裕がある。しっかり勉強していなかった人でも、一通り目を通してあれば、高得点は取れないにしても単位はとれそうだ。

というわけで、今日のところは2科目合格という感じ。
試験はあと3科目残っているが、そのうちの2科目はなんとしても合格しなければ卒業できない。
かなり瀬戸際状態である。
コメント

やっぱりこの話題

2007-02-01 20:01:38 | 未分類過去
柳沢大臣のことは、もうどうでもいいやって感じではありますが、一応書いておきます。

今朝、フジテレビの「とくダネ」を見ていたら、またこの問題をやっていた。辞めさせるべきという強い意見の蓮舫さんは、自民党の女性議員にもそのように動けと強く言い、その議員は、それは本人と安倍さんが決定することだというようなことを言っていた。
私の考えは蓮舫さんの考えには反対なのだが、言っている声とことばがはっきりしているので、蓮舫さんの言うことはよく聞きとれ、内容が理解しやすく、自民党の女性議員のほうは、うつむきがちにぼそぼそと何を言っているのかよくわからないような感じで、明らかにオーラが違った。こういうのは、外にどれだけアピールできるかで人の心を動かせるかどうかが決まる。内容よりも言っていることがわかりやすいかどうか、強い意志を持っているかどうかで勝ち負けが決まるものだと感じた。

ところで、その後にコメンテーターが意見を述べたが、眞鍋かをりさんが「私はそんなにひどい言葉だとは感じなかった。本人も謝っているんだし、やめるほどのことだとは思わない。」というようなことを言っていて、私の意見に一致していたので、ちょっとほっとした。
また、ノンフィクション作家の岩上安身氏も、「どうして機械に喩えたのか、その辺を本人によく聞いて調べてもらいたい」というようなことを言っていて、それも私の思ったことと同じだったので、なんか嬉しかった。
閣僚を選ぶときに、新人を就ける場合は慎重に吟味したり調べたりするらしいが、柳沢氏は今まであまり失言などのない人で特に落ち度もなく自分の職務をやってきた人なので、安倍さんも安心していたはずだとのことだ。だが、今までとは畑違いの分野に配置されたので、本人も慣れない部分があるのではないか、と言っていた。

そして、私は今日初めて全文を確認したのだが、問題となるのは「機械の数は限られているから」という部分のみならず、「産める女性に自分の役割を果たしてもらうしかない」とかいうような部分も問題のようだった。産むのが女性の役割だ、などというのも、女性たちにとってはむかつく部分らしい。「産む産まないは自由で、女の役割などとこんなジジイに言われてたまるか、そんな指図をされては余計に産みたくなくなる」と思う人たちもいそうだ。

今の世の中は自由だからな~
確かに「女なら子供を産んで女の役割を果たしなさい」などと強制されてはたまらないと思うが、私自身はそういう気持ちが無いではなかった。夫婦2人からは2人の子供が生まれて命を引き継いで行くのが自然だというようなあたりまえの気分というのがあって、何の疑問ももたずに、子供を産み育ててて来たのだ。それは、「男なら妻子を養って男の役割を果たしなさい」というのと同じようなことである。
当然何がなんでもそうしなければいけないというわけではない。体の具合の悪い人や置かれた状況によってそれができない人もいて、そういう人にまで強制するものではないし、男は仕事女は家庭と決め付けているわけでもないから、それから外れたからといってどうこういうわけでもない。一般的に言って望ましいだろうと思うことを大ざっぱに勧めてにすぎない。
子供に対して「よく学びよく遊べ」と言っているようなものだ。学べない子供もいるとか、体が弱くて遊べないこどももいるのに、どうしてそんなひどいことを言うの!などと怒る人はいないと思う。
社会のために働くというのと同じように、子供を産み立派な社会人に育てるのが自分の役割と考えるのはそれほどおかしいことだろうか。そのためには、多少は無理をしても子供を産むということも有りうるんじゃないだろうか?当然夫だって社会だってそのために協力し頑張るのは大前提だ。

思うに。柳沢大臣などの男野郎が、日本の人口は何人、男は何人、女は何人、20代30代は何人、などと統計上の数字を見て吟味していたときに、「女は○万人いるんだったら、赤ん坊は○万人くらい生まれるんじゃないの?」などと言う話になり、「いや、このうちの何割はおばあさんでもう産めませんし、何割はまだ子供ですから、実際に産むことのできる人口は、こんなに少なくなります」などということになり、「あっ、そうか、女が全員産めるわけじゃなかったんだ」などと気がつき、また、若い人間がたくさんいてもそのうちの半分は男だということになれば、「男はどうがんばったって産めないな~、産みたくたって産む装置が体にないからな~」などと残念に思ったりし、そんなことで産む装置だとか機械だとかいう発想が出てきたとしても不思議はないような気がする。

「女というものは子供を産む機械だ」とは言ってない。「産む機械が限られているんだから~」といういい回しだ。そのあたりはかなりニュアンスがちがってくる。

人を物に喩えたからって、それがそのものものだと言っているわけではないだろう。
「体がビヤ樽だと、飛行機のいすが苦しいものです」と言ったからって、太った人は樽なのか!人間を樽扱いにした!などと言って怒る人はいないと思う。

過剰反応である。
そして、結局は野党がこの発言にかこつけて自民党を崩したいから、こんなに大騒ぎしているのだ。

また、多くの女は「機械」を何だと思っているんだ!
機械とはすばらしいものだ!と仕事で毎日機械の発明を読んでいる私は思う。
そして、そもそも人体などの自然物がほかならぬ装置であって、それを真似して人工の装置が作られているのではないか!
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