山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

今年のバレンタインデー

2007-02-17 15:09:07 | トラックバック練習・ご意見板
ふと気がついたときは2月10日土曜日でした。
会社では13日の火曜日に打ち合わせをしなければ間に合わないという忙しさ。
昼休みに職場の女性とトイレで会った時にパパッと決めて、当日の昼休みに女性社員さんがちょっとしたおやつのケーキを買ってきてくれるということになりました。

去年は私個人で、小さいチョコレートの玉を2こずつ男女を問わず身近な人の机に配っただけだったのですが、同じ部署の女性正社員さん3人が共同でシュークリームを同じ部署の男女を問わず全員に差し入れしてくれました。私はそれをご馳走になり、3月14日のホワイトデーでは、男性社員からお返しとして高級なショートケーキをご馳走になってしまいました。
そりゃあ、男性社員さんも、女性正社員にだけお返しをして、机を並べているパートのおばちゃんの私を除外するわけにはいかないということで、同じものをプレゼントしてくれたようです。

去年そんなこともあったので、今年のバレンタインデーには自分も仲間に入れてくれと、昨年から女性社員さんに言ってありました。

こんなところでもいろいろと正社員とパート、派遣などの立場によって軋轢があります。

今年仲間に入れてもらって初めて知ったんですが、正社員さんがプレゼントをする男性社員というのは、組織上同じ部署になっている人でした。つまり、はるか遠くの場所で働いている人も同じ部署なので対象に入っていたことを知りました。
パートの私は日頃周囲にいる人しかつながりがないわけですが、正社員の場合は、会議や打ち合わせのときにはその部署に属する集団で集まるわけで、つながりの強さが組織図と一致しているということなのでしょう。そのあたりの感覚にズレがあります。
また、私はたまたま同じ組織図の中の女性正社員さんの席の近くで働いているので仲間に入れてもらったのですが、パートタイマーは組織上では便宜上ある人の部下となって管理下におかれているものの、実際の仕事ではひとりだけ別の部署に配置されていることもあるのです。
そうすると、そのひとはどっちに加わればいいんだ?という問題に陥ります。

そして、同じフロアで仕事をしていても第1課から第3課などに分かれている場合、1課は男女同数で、2課は男性10人に対して女性1人、3課は逆に女性10人に対して男性1人などという大奥のような課もある、というわけです。結果的には別の仕事をしている全然違う課の人とのやりとりも過密だったりするので、課ごとにバレンタインを分担というのも、なかなか複雑だな~と思うわけでした。

適当な女性が結束してプレゼントした場合、自分は差し上げていないのに男性からお返しが来たので辞退したなどということもあるようです。

ま、要するに、バレンタインデーなんか面倒くさい!というのが結論かな~
男性もお返しの仕方に、苦労しているのではないでしょうか?
でも、全く何にもしないのも寂しいな~という気はしますね。

ところで、自宅では、今年は夫のためにチョコを買いませんでした。
前日にある店の前で買おうとしたら、自転車を止めるところがないので、やめちゃいました。子供がクッキーを焼いていたから、それでいいやと思い、また、15日に半額になるのを期待したのですが、値下げはされずホワイトデーのために撤収されたようです。
このごろ、コンビニやスーパーでもなんとなく気合が入っていない感じがしますが、気のせいでしょうか?形骸化してるんじゃないかな~

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10年を振り返っての転機

2007-02-17 01:51:46 | トラックバック練習・ご意見板
ちょうど10年前くらいに、“顔面神経麻痺”というものにかかりました。
これは“ベル麻痺”と言って、ある日突然顔の半分が動かなくなる病気です。
顔面につながる末梢神経が損傷したか炎症を起こしたかして機能しなくなり、顔の筋肉がまったく動かなくなったのです。どん底です。回復までには何ヶ月もかかり、この麻痺の経験で人生観が変わりました。
人間はいつどうなるかわからないものだという恐れもありましたが、治ったからには今まで以上に有意義な人生を送ろうと思いました。
そして、年齢もちょうど中年にさしかかり、外見やかわいらしさで世を渡る歳でもなく、子供の手も離れてきたので、自分の内面を充実させて、世の中のためになるような仕事をしたいと思いました。
1998年から日本語教師養成講座に通い、2000年に日本語教育能力検定試験に合格し、日本語学校の非常勤講師になりました。この頃は今までの自分では無いような自己実現を達成したといえるような活発な時期でした。
最初の2年は順調に働きました。しかし、そこである学生の人権に関わる問題が起こり、その学生のために動いたところ、それが学校全体にとっては非常に迷惑な、損失につながることだったので、私はその学校を辞めなければならなくなりました。
その後、すぐ別の学校に転職しましたがうまく行かず3ヶ月でやめ、不動産会社に勤めました。でもまた7ヵ月後に日本語教師に復帰し、スーパーの仕事と掛け持ちで1年働きましたが、その後の契約は更新されず、なんだかヤル気がなくなって、日本語教師から足を洗いました。
何をやっているんでしょうね。
転機と言えば、10年前顔が全く動かなくなった時もそうだし、日本語教師になろうと養成講座に行き始めたのも転機だし、検定に受かって就職できたのも転機です。そして最初の学校をクビになったのも転機だし、その後職場を変えるたびに転機で、めまぐるしく、ジェットコースターに乗っているような方向転換と浮き沈みの激しい10年でした。
それで、2年前から文書の校正の仕事をしていますが、ま、いい場所に収まったって感じです。やはり私は黙々と人知れず文字を読んでいるのが性に合っているようです。
もともと国文科なのですが、なぜか畑違いの化学や物理の文書を読んでいます。文系から理系へ、これが1番新しい2年前の転機でした。
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