山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

東京タワー オカンとボクと、時々オトン

2007-02-18 23:12:30 | 読書
昨年の秋から友達に借りていたこの本を明日までに返すために、昨日から本腰を入れて読んでいて、やっと読み終わった。
明日の夜は、久しぶりに友人4人で飲み会(すごく遅い新年会)をやる。その時にいくらなんでも返さなければと思ったわけで、友人はいつでもいいとは言っているが、期限を設定しなければいつになっても読み終わりそうになかった。
「東京タワー オカンとボクと~」は昨年単発のテレビドラマでも見たし、今は月9ドラマで、もこみち主演のを見ているところだ。なまじ内容がある程度わかっているだけに、わざわざ活字を読むという気が起きないのだった。
しかし、読まないで返すわけにもいかなくなり集中して読んでみたら、なかなか重厚なものだった。文の描写も光っているし、内容も筆者の思い入れが感じられる。そういうのはテレビドラマや映画では味わえないもので、やはり本人が書いた原作を読むにかぎる。
親子とは、家族とは、人生とは・・・いろいろなことを考えさせられた。
一番感じたのはやはり母の愛だが、その母に育てられたボクの母への愛、そして一見頼りにならず勝手なことをしていたように見える父も、肝心なときにはちゃんと妻と息子を見守っていたということを感じた。祖母や親戚、友人たちの温かさ、人間のつながりがすばらしかった。九州の言葉も私にとってはすごく新鮮で人間味を感じさせられるものだった。
人間、代々生きていくのって大変なことだ。誰しもが生まれて死んでいく。楽しんだり苦労したりしながら、幼児から老年になるまで一生懸命生きるということだ。
どの人生もそれなりの重要性がある。

このごろの私にとって読書は精神的に疲れる作業となった。子どもの頃は読書を楽しんでいたが、こうやって人の一生や半生を読んでいると、病気で亡くなっていった父や義母、今老いて田舎で一人暮らしをしている母、これから老いていく自分と夫、そしてこれからひとり立ちし、新しい家族を持ち、そしてまたいつしか老いていく子供たち。
そんなことがあまりにも現実的にのしかかってくるように感じるのだった。それを負って生きていくのが人間なんだ。そこに幸福と楽しみも多いはずなのに、なぜか人生の哀愁みたいなものがのしかかってきてしまう。親に世話をされた自分、子供の世話をした自分、将来親の世話をする自分、もっと将来子供の世話になる自分、それを避けることはできない。そうやって移り変わっていくのが人生だ。そしてやり直しのきかない1度だけの人生。
だから、いつでも常に今ある幸せを大切にしなくちゃいけないなあと思う。
オカンは料理が上手でいつもみんなにおいしい食べ物を用意していた。私もそんな人になりたいものだ。
コメント