そういえば、もうひとつあった。
人が自分の悪口を言っているのを聞いたこと。
それも、以前勤めていた会社でのことだった。
入社する前は、その会社がどんなものか、会社案内を見たりして、そこに載っている社内行事などの写真を見てイメージを膨らませたりする。
その会社には社員の吹奏楽部があり、演奏会などをやっている写真が載っていて、私は入社したら、高校時代にやっていたクラリネットでも買って、吹奏楽部に入りたいと思っていた。仕事が終わったあと、みんなで音楽を作っていくのはどんなに楽しいだろうかと期待していた。
会社には吹奏楽のほかにも、いくつかのクラブがあり、吹奏楽団は野球部の試合の応援にも行ったりするようだったので、楽しい会社生活ができるような気がしていた。
ところが、いざ入社してみると、私はある営業所に配属され、吹奏楽部の活動には遠すぎて物理的に加わることが不可能だった。
唯一入部して活動できるクラブが、柄にもなく華道部だった。
もともと特に関心があったわけでもなかったが、それしかないし、何もしないよりはいいだろうくらいな感じで入社後何か月もしてから華道部にはいった。
しかし、その華道部も別の営業所まで電車に乗っていかなければならない状況で、そこに着くと、そこの建物に勤めている人たちはもう席を独占し、花を活け始めてから40分くらい経っている状況だった。
最初は同じ部署の先輩と2~3人で一緒に行って、先輩が場所なども誘導してくれ、座りきれない会議室の会場から少し離れた社員の机などを貸してもらって活けたりしていた。そして、先輩と一緒に華道の先生を呼び、活け方を指導してもらったりした。
しかし、程なくすると、先輩が会社をやめてしまったので、私ひとりで通うこととなった。
ひとりで全然知らない部署の会議室に行くわけで、誰一人顔も名前もわからなかった。ここ空いてますか?などといくらか空いていそうなスペースを見つけてきいてみると、すこしずれてくれたりはするものの、私に関心をしめす人はいなかった。
今となっては、自分で「どこそこの部署の山本といいます。遠くから来るのでいつも遅くなってしまい、今まで会場の外で活けることも多かったんですが、ひとりになっちゃったので今後はこっちに座らせていただけますか?何もわからないのでよろしくお願いします。お名前は何とおっしゃるんですか?」などとずうずうしく売り込んでいけばよかったと思うわけだが、最初なまじ先輩と一緒に片隅でやっていたばかりに、今さらあらためて自分をアピールするような雰囲気ではなかった。入部してからはすでに何ヶ月もたっているという状況なのだ。しかしながら知り合いはいない。
それで、大勢の中に座りながらも言葉を交わすこともなく、黙々と花を活けるのだが、やはり始めるのが遅いのでひとりだけ出来上がるのも遅くなってしまい、終り頃に遠慮がちに先生に声をかけて出来上がった花を見せ、なんとか指導してもらうような状況だった。
そんなある日、その華道の先生が、ちょっと離れた席で他の女性社員の活けた花をアドバイスしつつ、楽しく話したりしながら言っていた。
「あの人は、自分から仲間に入ろうとしないからだめねえ。いつも遅く来てひとりで活けてるだけで人と交わろうとしないから、あれじゃいつになっても親しくなれないわね。みんな楽しくやっているのに、あの人だけがあんなふうなのよ。ああいう人はどこへ言ってもだめね」
聞こえよがしだった。
その先生は70歳はすぎているというような年齢の老婦人だったが、自分を慕ってなついてくるような人には優しいが、そうでない人に対しては思いやりも何も持たない人のようだった。社長の知り合いだとかで、社長に頼まれているから断わりきれずに好意でその会社に華道を教えに来ているとかいっていた。
それにしても、同じ生徒(弟子)の中の一人についてそんなことを言う人がいるだろうか?人間性を疑ってしまう。
他の女性社員たちは私に対して無関心だったわけだが、その先生には目障りだったようだ。
そんなことを言われては、先生に声をかけて指導してもらうのも、さらにためらってしまうような状況だった。
その後もしばらくは通い続けたが苦痛以外の何ものでもない。
華道部に属していた私は、会社のお金で各部署に届けられる花材を使って課長の机のそばに花を活ける役割もあったので、他に活ける人がいない以上やめるわけにはいかなかった。
せっかく無料で職場に花が飾れるのにそれを廃止させるわけにもいかなかった。後輩に入部を誘ったものの入る人もなく、結局あとを引き継ぐ人もいないまま私は会社をやめた。
やめる段になって、退職することになったので華道部にはもう参加できなくなったと連絡すると、遠い部署の華道部の女性社員から「退社するとは驚きました。とても残念です」という親切な手紙が送られてきたが、手紙の主の顔もわからないような状況だった。もしかしたら、その人とは友達になれたのかもしれないと思った。
閉じた集団(固まってしまっている知人集団)っていうのは、取り付く島のない雰囲気というのがある。その中に外部の人間が入って行くのは非常に気がひけたりするわけだ。声をかけてもその場限りの最低限の返答や反応しかしない人たちの心にどうやって入っていけというのか?
そういう状況なのに、外から入ってきた人間の心構えや行いに落ち度があるから仲間になれないのだとするのはどうなんだろう。
私は、自分の集団に新人が入ってきたりしたときは、こちらから進んで声をかけ緊張をほぐすように勤めている。不安そうにしている人などを見ると、特に用件がなくても適当なことを話しかけてみたりする。
また、必ず紹介をして知らない人同士を引き合わせるようにしている。
そんなことがためらわずにできるようになったのは、中年になってからだが、自分の心細かった経験にもとづくものでもある。
人が自分の悪口を言っているのを聞いたこと。
それも、以前勤めていた会社でのことだった。
入社する前は、その会社がどんなものか、会社案内を見たりして、そこに載っている社内行事などの写真を見てイメージを膨らませたりする。
その会社には社員の吹奏楽部があり、演奏会などをやっている写真が載っていて、私は入社したら、高校時代にやっていたクラリネットでも買って、吹奏楽部に入りたいと思っていた。仕事が終わったあと、みんなで音楽を作っていくのはどんなに楽しいだろうかと期待していた。
会社には吹奏楽のほかにも、いくつかのクラブがあり、吹奏楽団は野球部の試合の応援にも行ったりするようだったので、楽しい会社生活ができるような気がしていた。
ところが、いざ入社してみると、私はある営業所に配属され、吹奏楽部の活動には遠すぎて物理的に加わることが不可能だった。
唯一入部して活動できるクラブが、柄にもなく華道部だった。
もともと特に関心があったわけでもなかったが、それしかないし、何もしないよりはいいだろうくらいな感じで入社後何か月もしてから華道部にはいった。
しかし、その華道部も別の営業所まで電車に乗っていかなければならない状況で、そこに着くと、そこの建物に勤めている人たちはもう席を独占し、花を活け始めてから40分くらい経っている状況だった。
最初は同じ部署の先輩と2~3人で一緒に行って、先輩が場所なども誘導してくれ、座りきれない会議室の会場から少し離れた社員の机などを貸してもらって活けたりしていた。そして、先輩と一緒に華道の先生を呼び、活け方を指導してもらったりした。
しかし、程なくすると、先輩が会社をやめてしまったので、私ひとりで通うこととなった。
ひとりで全然知らない部署の会議室に行くわけで、誰一人顔も名前もわからなかった。ここ空いてますか?などといくらか空いていそうなスペースを見つけてきいてみると、すこしずれてくれたりはするものの、私に関心をしめす人はいなかった。
今となっては、自分で「どこそこの部署の山本といいます。遠くから来るのでいつも遅くなってしまい、今まで会場の外で活けることも多かったんですが、ひとりになっちゃったので今後はこっちに座らせていただけますか?何もわからないのでよろしくお願いします。お名前は何とおっしゃるんですか?」などとずうずうしく売り込んでいけばよかったと思うわけだが、最初なまじ先輩と一緒に片隅でやっていたばかりに、今さらあらためて自分をアピールするような雰囲気ではなかった。入部してからはすでに何ヶ月もたっているという状況なのだ。しかしながら知り合いはいない。
それで、大勢の中に座りながらも言葉を交わすこともなく、黙々と花を活けるのだが、やはり始めるのが遅いのでひとりだけ出来上がるのも遅くなってしまい、終り頃に遠慮がちに先生に声をかけて出来上がった花を見せ、なんとか指導してもらうような状況だった。
そんなある日、その華道の先生が、ちょっと離れた席で他の女性社員の活けた花をアドバイスしつつ、楽しく話したりしながら言っていた。
「あの人は、自分から仲間に入ろうとしないからだめねえ。いつも遅く来てひとりで活けてるだけで人と交わろうとしないから、あれじゃいつになっても親しくなれないわね。みんな楽しくやっているのに、あの人だけがあんなふうなのよ。ああいう人はどこへ言ってもだめね」
聞こえよがしだった。
その先生は70歳はすぎているというような年齢の老婦人だったが、自分を慕ってなついてくるような人には優しいが、そうでない人に対しては思いやりも何も持たない人のようだった。社長の知り合いだとかで、社長に頼まれているから断わりきれずに好意でその会社に華道を教えに来ているとかいっていた。
それにしても、同じ生徒(弟子)の中の一人についてそんなことを言う人がいるだろうか?人間性を疑ってしまう。
他の女性社員たちは私に対して無関心だったわけだが、その先生には目障りだったようだ。
そんなことを言われては、先生に声をかけて指導してもらうのも、さらにためらってしまうような状況だった。
その後もしばらくは通い続けたが苦痛以外の何ものでもない。
華道部に属していた私は、会社のお金で各部署に届けられる花材を使って課長の机のそばに花を活ける役割もあったので、他に活ける人がいない以上やめるわけにはいかなかった。
せっかく無料で職場に花が飾れるのにそれを廃止させるわけにもいかなかった。後輩に入部を誘ったものの入る人もなく、結局あとを引き継ぐ人もいないまま私は会社をやめた。
やめる段になって、退職することになったので華道部にはもう参加できなくなったと連絡すると、遠い部署の華道部の女性社員から「退社するとは驚きました。とても残念です」という親切な手紙が送られてきたが、手紙の主の顔もわからないような状況だった。もしかしたら、その人とは友達になれたのかもしれないと思った。
閉じた集団(固まってしまっている知人集団)っていうのは、取り付く島のない雰囲気というのがある。その中に外部の人間が入って行くのは非常に気がひけたりするわけだ。声をかけてもその場限りの最低限の返答や反応しかしない人たちの心にどうやって入っていけというのか?
そういう状況なのに、外から入ってきた人間の心構えや行いに落ち度があるから仲間になれないのだとするのはどうなんだろう。
私は、自分の集団に新人が入ってきたりしたときは、こちらから進んで声をかけ緊張をほぐすように勤めている。不安そうにしている人などを見ると、特に用件がなくても適当なことを話しかけてみたりする。
また、必ず紹介をして知らない人同士を引き合わせるようにしている。
そんなことがためらわずにできるようになったのは、中年になってからだが、自分の心細かった経験にもとづくものでもある。