山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

ふじ

2012-05-12 10:42:07 | 日記
このところ、旅行というものをしていないので、夫婦でバスツアーかなんかに行きたいと1か月くらい前から言っていた。
夫が持ち出して来たのは、讀賣新聞で募集していた日帰りバスツアーだった。その日程が、4月末のゴールデンウィークの初めだったので、まずは道路が渋滞するだろうと思った。
それから、夫の話では「つつじ」と「富士」を見るのだというので、そんなものは私の故郷でざらに見る風景であるため、どうも気が進まなかった。それで、その案はボツとしたが、いまだに行き先も日程も決まっていない。

ところで、つつじの花は毎年見ているが、藤の花はあまり見たことがない。ピンク系の花は多いけれど、紫の花というのは珍しくていいなあと思っていた。藤が見たいけど、藤とはいつ咲くのやらと思ったら、4月から5月の初めなのだそうだ。

それを知ったのが5月のゴールデンウィーク明けで、ちょっと遅かったなと思ったが、近隣に藤の名所がないかと調べてみた。すると都内に「亀戸天神」というのがあったが、もうちょっと別のものはないかと探してみた。
すると、栃木県に「あしかがフラワーパーク」というのがあって、そこにはいろいろな藤の花が咲いて、かなりみごとな場所のようだった。

そこで、夫に「藤の花を見に行きたい」と持ち出した。
すると、夫が「だから行こうと言ったじゃないか」と言いだした。
夫が行こうと言っていたゴールデンウィークの日帰りバスツアーの行き先は「あしかがフラワーパーク」だったという。
「はあっ?あれはつつじだったでしょう」
夫が見せたパンフレットには確かに一面のつつじの写真が載っていた。

「富士もあるんだよ」
「富士??? 富士って何?」

「だから、富士の花だよ」
「???」

なんと、そのツアーは、つつじと藤を見るツアーだったことが後でわかった。

「富士じゃなくて藤って言ってよ」

夫は東北人であるため、アクセントが非常におかしいのだ。夫の言う「フジ」が藤のことだとわかったのは、さんざんわけのわからない会話を繰り返した後である。夫の話からは、足利富士とかいう富士山に似た山でもあるのだろうとしか受取れなかった。

遅ればせながら、あしかがフラワーパークへのバスツアーを探してみたが、やはり5月の前半までであり、紫の藤は4月中に時期を越して、5月は白の藤が咲いているのだという。
4月の末に行けば、ゴールデンウィーク前半は高速道路もそんなに渋滞していなかったようなので、行ってくればよかった。残念ながら今年は見送りだ。

来年は、あしかがフラワーパークか亀戸天神に行って藤を見たい。

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クラウン

2012-05-12 01:16:58 | 運転・車・道路の事
自動車のことには無知なのですが、国産車で高級なものというと「クラウン」と聞いたことがあります。「いつかはクラウン」と言う言葉があるそうですね。
最もオーソドックスで真面目な、信頼性のある車って言うイメージを私は持っています。
新しさや面白みはないかもしれません。
車を見るとその持ち主がわかるって気がするのですが、名が体を表すように、クルマが持ち主を表す。その人間の好みや生き方、財力などが車からわかると思います。

先日、従兄弟が駅まで送ってくれた車が白のクラウンでした。「すご~い、クラウンだ」って思いました。やっぱり、内装も乗り心地も、私が乗ってる軽自動車なんかとは全然違います。
従兄弟は普通の会社員のようですが、家も建てて車も買って、妻子もいて、50代としては、納得できる人生を築いて来たんだな~とつくづく思いました。
まあ、それが「普通」なんでしょうけど、そうなれなかった自分にとっては、かなり一目置いてしまう状況でした。

その車が、同じ高級車といっても、スポーツカーではないというところが、いかにも従兄弟の人格を表しているようです。そして、「白」というのも、いかにもその人柄を表しているような気がしました。

クラウンと言えば、ペーパードライバー教習を何度か受けた自動車学校の先生が、黒のクラウンに乗っていると言う話でした。自動車好きで、若いころから数年ごとに色々な車に買い替えているらしいですが、やはり50代半ばを過ぎて、黒のクラウンに行きついたようです。
これも、いかにもその先生の車という感じがしました。
クラウンを運転する人は、きちんとした運転をするというイメージがあります。スピード違反などの交通違反はしないというような印象があります。

会社の社長さんの家に、専属運転手の人が毎朝迎えに来ているクルマも、黒のクラウンという感じです。乗り心地も良く、きちんとした安全運転をして、大切な人を送り届けるイメージです。

タクシー乗り場に停まっている車をふと見ると、クラウンでした。タクシーはクラウンでもすごいとは思えず、高級な感じもなんにもしなくて、全くなんのへんてつもないクルマのように見えました。でも、やっぱりお客様を乗せるきちんとした車なんでしょうね。
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実家でみつけた過去

2012-05-12 00:15:41 | 日記

今日は、竹野内豊出演のドラマ「もう一度君に、プロポーズ」を見た。
あんまり面白いともいえないけど、一応毎週見ている。

もし、自分が夫と知り合う以降の記憶をなくしたらどうなるのかな?と思う。
ドラマでは5年くらいなものらしいが、私が結婚前の記憶に戻ったとすると30年間の記憶をなくすことになる。

結婚したことも子どもを産んで育てたことも記憶になくなり、実家に帰ったとしたら、それは大変なことだ。
実家の母は、50歳だった人が80歳のおばあさんになっているのだから、まるで別人であろう。自分自身も自分とは思えないにちがいない。
30年以上前の記憶は、今の私からはずいぶん薄れているので、記憶喪失になっていないはずの部分も記憶喪失みたいなものである。

先日、実家に帰って、ふと本棚を見てみた。実家には高校時代までに私が読んだ本が残っている。そこに国木田独歩の「武蔵野」の文庫本を見つけた。これを高校のときに自分が読んだのかどうか覚えていない。確かに、この本を買ったことは覚えていた。このたび、読んでみようとしたら、文字が小さいし、文体も古く、なかなか困難な感じだ。
当時は、東京なんか行ったこともなかったので、「武蔵野」という地名は、私にはなんら縁もゆかりもないものだった。今はずいぶんと親しみのある土地である。不思議な気がする。

それから、当時好きだった伊藤整の「若い詩人の肖像」を見つけた。これは、かなり丹念に読んだ本で、いろいろなところに線など引いてあるが、ほとんど覚えていない。重田根見子と小林多喜二が出てきたことだけ覚えている。これも読み直そうと思ったが、あまりにも文字が小さくてひるんでしまう。その他に、「青春」と「イカルス失墜」があったので、「武蔵野」と共に、東京に持ち帰ってきた。

そして、水上勉の「うつぼの筐舟」という本があった。水上の作品は、高校時代はよく文学座などの演劇を見たのだが、小説を読んだことがあるのかないのか記憶がなかった。これも自分で買ったものらしいけど、まるで記憶がなかった。これも持ち帰って来た。

いったい、私のアタマの中はどうなっているのだろうか?
これらを読み直したら、過去の記憶が戻るのか戻らないのか、戻らないにしても何か新しい発見があればそれでいいのかと思うけど・・・。

とにかく、これらの本は文字が小さいのが難関だ。それに黄ばんでいる。

テレビドラマとは無関係の話になってしまったけど、夫と知り合う前に戻ったら、高校時代に好きだった人の記憶が鮮明に戻って来るのだろうか?

高校時代には、日記を書いていて、それはまだ実家の押し入れの中にあるはずだ。それを読み直したら、何の本を読んだのかも、思い出すことができるかもしれない。

(あのドラマ、どうして本人ではなく夫が日記を読んでいるのか不思議である。)

それにしても、知らないうちに、長い年月が経ってしまったなあと思う。
実家に帰ったら、父が昔パチンコで取ってきた人形が本棚に飾ってあった。当時、同じ人形が2つあって、その1つを、短大に進学する時に東京のアパートに持ってきていた。そのまま結婚後もあったのだけど、色々な場所に放置していたため、きたなくなっていて、2年半前の引っ越しのときに捨ててしまった。
実家の同じ人形は全く汚れてもいなくてそのままきれいに残っているというのに、どうしてあれを捨ててしまったのだろうかと悔やまれた。
本当に物持ちが悪い人間だ。

実家の時間は止まっているようである。


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