山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

心落ち着かず

2012-05-30 22:20:14 | 日記


大昔の日記を引っ張り出してきて、読むにつけ、ある意味客観的に自分の若かりしころのことを見つめ直すことはできるのだけど、自分の事であるゆえに、やはり真に「客観的」というわけにはいかない。若いころから今に至るまで、人生でやり残したこと、達成できないままのことを思いだし、悶々としてきてしまうこのごろだ。

どうも、心の整理がつかないし、日記なんか読みなおしていると、過去を振り返るばかりで、現実、この現在には何の進歩もなく、無為な毎日を過ごすだけだということに気がついた。いったい、今現在、何をすれば満足できるというのだろうか。

同じ振り返るにも、「若い時は奮闘してたな」と思うだけでなく、「金閣寺」や「仮面の告白」でも読んでみるかと思い、本棚を探してみた。
無い。
捨てたのだろうか?
漱石はあるけど、三島はない。あったところで、昔の文庫本は文字が小さいから読めそうもないが、買ってまで読むかなあ・・・

だいたい、今、本を読むことなんて、ただの気休めではないか。
現代の作家の作品を読むにしたって、人の書いたものから何かを感じたりして、その内容に満足したとして、それでどうなるっていうのだろう。

実際には、満足できるもの、私を夢中にさせてくれる作品には、まだ出合ったことがないのだ。

とにかく、することもないので、新聞を開いてみた。

讀賣新聞 本日の夕刊
作家 藤原智美 スパイス“金環日食 見逃した”というエッセイがあった。
なかなか、面白い。
著者が金環日食を見逃したこと。まれなものは特にきれいだと感じる事。
どんなにきれいなものも見慣れてくると感動がなくなること。
「しかし本当に幸せなのは、慣れ親しんだものにも美しさを感じるときだ。」
「珍しいこと、まれなことばかりを追いかけ続けるのも疲れる。」
最後は、
「金環日食を見逃した悔しさからか、へそ曲がりな思いにとらわれた1日だった。」と結ばれていて、笑った。

1955年生まれ。福岡県出身。明治大学政治経済学部卒業。
1990年に「運転士」で芥川賞受賞。

この人の作品でも読んでみるか。
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万人向けの話題なんてない

2012-05-30 01:32:09 | 日記


日ごろ、自分はどうも、好みや関心事が普通の人と違っているのではないかと思う。
でも、ふと思ったけど、それは誰しも同じなのかもしれない。
世の中に、一般的な人が、絶対多数いるわけではなく、みんなそれぞれの好みや関心事を持っていて、たまたまそういうものが合う人同士が友だちになったり、夫婦になったりしているのだろう。

だから、仕事場が一緒ということで、同じ場にいるからと言っても、趣味や関心事が一致するとは限らない。ある話題にはついていけるけど、他の話題はチンプンカンプンというのは、私に限らず、別の人にもあるのだろう。

個人的なことを話したり聞いたりして、楽しいと思う人もいれば、つまらないとか面倒臭いとか思う人もいる。
すべての人が楽しめる話題なんてありえないのであり、それを探そうとすると、何にもない。

共通の話題なんて、天気がどうのっていう話くらいだ。

だから、やっぱ、自分が好きなことを聞いたり、話したりしないかぎり、何もなくなってしまうんじゃないかな。

ブログだってそうだけど、結局のところ、みんな書きたいこと書いてるし、それぞれに関心事は違うし、万人向けの内容で書いている人なんかいないし、不可能だ。
自分が好きな内容のブログを選んで、いくつかは毎日読んでるけど、それでも、関心が持てる記事と持てない記事はある。あまり関心のなかったことでも、読むことで関心が起きたりすることもあるし、相変わらず自分には無縁の内容であることもある。

まあ、何事も適当にやっていきましょう。
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コミュニケーションの難しさ

2012-05-30 00:39:56 | 日記
今朝、テレビで気に入らない上司の行動、部下の行動というのをインタビューしていた。
それによると、若者が上司からされていやなことの1つに、「休日はどこに行ったの」などと、仕事とは関係のない個人生活について、聞かれることというのがあった。私生活に立ちいられたくないし、答えるのが面倒臭いのだそうだ。

そういうもんか、とちょっと驚いた。確かに、私の会社でも、後から転任してきた上司などが、朝の仕事前などに、「ゴールデンウィークはどこか行くんですか」などと、唐突に声をかけてきたりして、驚くことがあるが、なるべくコミュニケーションを図ろうとしているのだろうと感じ、普通に話している。その上司は、新人の人にも「仕事は慣れましたか」などと、声をかけている様子だ。最初は、ぎこちない感じでも、そういうことのやり取りで、人間関係がいくらか出来ていくようにも思う。しかし、確かに若者というのは、若者同士ならばよいのだろうが、上司には話したくないのかなと、テレビをみて思った。

私も上司ではないが、年代的には上司と同じ世代であり、お茶などを入れに行って、若い社員に会ったりすると、「お子さんは大きくなったでしょう。」などと、聞いてしまうことがある。以前に社内の誕生報告などで知らされていると、あれからどれだけ経ったかな?もう歩くころか?などと思ったりするからだ。
しかし、もしかしたらそういうのも、答えるの面倒臭いな~と思っているのかもしれないと思った。個人的なことは聞かないほうがいいのかな?

コミュニケーションの方法を観察してみると、個人的なことは聞かず、個人的なことは、話したい人が話すというのが、よいのだろうか?
私は、とかく「徹子の部屋」みたいにインタビューしてしまうのだが、どうも間違っているのかもしれない。数人集まっても、次々に「あなたはどう?」のように聞いてしまったりするのだが、後になると、みんなは話したけど、誰も私のことは聞いてくれなかったな、と思うことが多い。そもそも、その人たちも、聞かれたからしかたなく答えたのかもしれないし、人にものを聞くのは難しいことだ。
親しい仲間うちでは自分のことを聞かれもしないのに話したりするけど、それはそれで、「あなたの個人的なことなんか関心ないから」と思われているかもしれない。

ということは、ちょっとした休憩中などには、個人的なことを言ったり聞いたりはせず、世の中で話題になっていることなどを話すのがよさそうだ。ちょっと前だと、ダルビッシュがどうしたとか、最近では、スカイツリーがどうしたとか。

私の場合、世事に疎いので、そういう話題は苦手であるため、ついつい個人的なことを話題にしてしまうが、20代前半の次女なども、私の会話にはいら立つらしく、「そんなことは聞きたくない」などと言われるし、何かを聞けば「そんなこと、いちいち返事したくない」などと不快をしめす。いったい、なんだったら話題にしていいものか、わからなくなる。次女の場合、どうも思考回路が我が家の人間とは違い、世間の若者的である。日ごろ、店でお客や同僚と会話をしているからかもしれない。

他人が興味のあるものとは、いったい何なのだろう?
他の人たちは、いったいどういうことを話題にしているのであろうか?
どういう話題が、無難であり、楽しめるものなのだろうか?

これから、研究しなくてはいけないなあ。
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