知り合いの知り合いが足にケガをしたそうである。
知り合いの話では、その人は歩けるので、骨折ではなくヒビであろうとのことだった。
ヒビなら歩ける???
私は「骨が折れる」のと「骨にひびが入る」のとは、そんなに変わりがないと思うので、ヒビが入っても歩けないのでは?と思ったのだ。
それで、調べてみると、やはりひびだから軽いというものでもないらしい。
そうして、この度けがをされた人については、毎日電気をかけると早く治るそうだが、頻繁に通うのはなかなか大変だとのことである。
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そんなことを聞いていたら、自分が子どもの頃、手首の骨にひびが入って治療をしていたときのことを思いだした。
確かに、放課後毎日のように、父が車で骨接ぎまで通院させてくれて、電気をかけていたのだった。
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ケガの発端は、小学校6年のある放課後、高鉄棒にぶら下がり、振り子のようにふりをつけてから、なるべく前方に飛ぶというのを友人たちと競いながら遊んでいたときに起こった。
そうやって勢いよく前方に飛んで着地した私は、身体が後ろに倒れないように右手を地面に突いたのだった。砂場にはなっていたと思うが、体重がかかり、いつにない衝撃を受けた。
腕が痛いなと思いながら、友人たちと帰宅したが、腕の痛みはどんどんひどくなっていった。
家に着くと、家族は仕事で誰もいなかった。腕はどんどん痛くなり、耐えきれなくなって2階の自室のベッドの布団の中に潜り、左手で右腕を抑えながら泣いていた。
すると、一緒に帰ってきて別れた近所の友達が、一旦家に帰りランドセルなどを置いてしばらくしてから、遊ぼうと玄関から声をかけてきた。
しかし、私は腕が痛くてそれどころではなく、それを無視して痛みに耐えながら泣き続けていた。友人はあきらめて帰っていった。
そのあと、家族が帰ってきた。父も車で帰ってきた。私の腕が腫れていたため、これはただ事ではないということになり、街にある「骨接ぎ」(接骨院)に父が車を運転し母も載って診察に行った。
レントゲンを撮ると、骨にひびが入っており、押しつぶされているため、その分の骨が短くなっているそうだ。それで、ひびの部分を両側から引っ張って元に戻すとのことである。
私の前の患者さんは、手の指を骨折していたらしく、処置が行われていたが、やはり物理的な力によってあるべき位置に戻しているらしく、それがものすごい痛いようで、うめき声をあげていた。
母はその様子を見て、私もそんな痛い思いをするのではと心配したと帰宅後に言っていた。
私の処置は、それほど痛くはなかった。先生が力を加えて引っ張ってくれた。それによって凝縮されていた部分が元に戻り、痛みがすっきり消えたのだった。
そして、ギプスに包まれ、当て板みたいなのをあてて包帯でぐるぐる巻にされ、首からぶら下げられてしまった。
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翌日、その姿で学校に行くと、友達が驚いていた。
前日に遊びに来た友人は「なんで飛鳥がいないのかと思ったけど病院に行ってたんだね」と言っていた。「そういえば、おじさんの車がなかったよ」と言う。
実は布団の中で泣いていたのだけど、まあそれで納得しているようなので「そうそうお父さんと病院に行ってたんだ」ということにしておいた。
右腕だったので、字も書けず箸も持てないが、私は生まれつきは左効きだったので、普段は右でやっていることを左手ですることができたのだった。
それにしても、片手がこの状態では不便な日常生活で、それが1か月くらいかかった。
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接骨院では、ギプスを外し電気をかけるというのが日課で、最初の頃は頻繁に通っていたと思う。
それを今回の知人の話から思いだしたのだ。
今考えると、夕方仕事から戻った父親がこまめに私を車に乗せて街中まで通院してくれたんだなあと思う。田舎なので、車でなければ電車やバスを使わなければならず、なかなか通院はできなかった。親が子供にしてくれたことは本当に有難いことだ。
その父も、それから10年後くらいに不治の病になり亡くなってしまったので、今さらお礼も言えない。
それから、放課後毎日のように遊んでいた友人も不治の病で亡くなってしまった。
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腕の当て板や包帯はだんだん簡単なものになっていき、そのうち私は勝手に外してしまい、通院もやめてしまった。
最初は手首に圧力をかけると痛かったが、それもほどなく治ったのだった。
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私がこれまでにケガをした中で、一番重症のものがそれだ。
今レントゲンを撮っても跡形もなく治っているのではないかと思う。
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