すごいぞシャープ。
シャープが、本日より1日50万枚(目標)のマスクの生産を始めたそうだ。
三重県の工場で作り始めたそうだが、ここは液晶パネルを作るためのクリーンルームがあるので、ごみやほこりがない清潔な環境下でマスクを生産できるのだそうだ。
心強いな~~
2月28日に生産を決定し、3月の初めから準備が始められており、3月中には生産を開始する見込みだったところ、3月24日に現実となった。
早く市場に出回りますように。
すごいぞシャープ。
シャープが、本日より1日50万枚(目標)のマスクの生産を始めたそうだ。
三重県の工場で作り始めたそうだが、ここは液晶パネルを作るためのクリーンルームがあるので、ごみやほこりがない清潔な環境下でマスクを生産できるのだそうだ。
心強いな~~
2月28日に生産を決定し、3月の初めから準備が始められており、3月中には生産を開始する見込みだったところ、3月24日に現実となった。
早く市場に出回りますように。
昨夜は、「テセウスの船」の最終回を見た。
このドラマは、最初のころたまたま見て興味を持ったのだが、そのときにパソコンで原作のあらすじを見たところ、犯人だった子供の殺人動機があまりにも気持ち悪くて、そんな内容ならば見るのをやめようと思ったのだった。
ところが、その後もたまたまテレビをつけていてこのドラマが目に入ったところ、心役の竹内涼真さんの演技がものすごくすばらしいのであった。
そして、妻上野樹里の一生懸命さ、強さ、やさしさと、2人の心のつながりに引き付けられ、この人たちを応援し、もっとドラマを見たいという気持ちがあふれてきた。
猟奇的な犯人の気味悪さや、真実に目を向けようとしない登場人物に対する苛立ちは常にあるが、それにも増して、それに立ち向かう家族の絆や愛情が良く描かれていた。
だからこそ、このドラマに引き付けられていったのだろう。
最後は、過去の世界にタイムスリップした心が、命を懸けて父を守ったことにより、未来を変えることができた。
そして、良き結果に変えられた未来で、家族睦まじく食卓を囲んでいる。
ハッピーエンドだ。
そこにいる心にも家族にも、最初に歩んだあの辛い人生はみじんもなく、過去から現在に至るまですべてが書き換えられているのだろう。記憶もないのかな。それとも生まれてくる赤ちゃんに「未来」と命名するのは、記憶があるからなのだろうか。
殺人犯の息子として生まれ育ち、あの辛い状況の中で父親の無実を証明しようと戦った心(竹内涼真)の姿こそ、人々に感動を与えるものであった。
そのおかげで平和な現在を勝ち得たが、その光景に不思議な違和感?みたいなものを感じた。
それが、「テセウスの船」の意味らしい。
すべてを構築しなおして出来上がった船は、果たして元の船と同じ船だと言えるだろうかとのこと。
これは確かに妙な感じがする。こんな結末も見事である。
とにかく、今回一番印象にのこったのは、竹内涼真の演技がうまかったということ。
その他のキャストも、家族も悪役も脇役も演技は見ごたえがあった。
あの髪の毛クルクルの二重瞼の男の子の演技もすごい。唇が印象的。
竹内涼真は「陸王」では陸上選手の役で、それほどの演技力は特に感じなかったが、ここ数年で役者としてすごい成長をしている。表情・表現力がすばらしい。
この人はいい俳優だ。将来性がある。
コロナの影響で、なかなか行き先がない。
普段は、美術館や映画館に行くことが多いのだが、最近は控えている。
fukushima50も見たいけど、やはりやめておくことにした。
美術館は、展示自体はやっているようだが、作品解説などの催しは中止になっているみたいだ。
休日の朝、のんびりしているので、出かけるのが昼頃になってしまう。
そうすると、ショッピングモールは駐車場も満車近くなってしまうし、人も多いのでやめておく。
そんなわけで、昨日は、駐車場が広く、売り場もだだっ広い瑞穂町のジョイフル本田に行くことにした。
メダカ用品も買いたい。(底砂と水草とバクテリアの石)
それからノンアルコールビール箱買い。
だが、青梅街道が全然進まない。うちからは、青梅街道と新青梅街道を西に進んで片道25kmくらいなんだけど、新青梅街道に出る前に断念して戻ってきた。
外食もコロナが危ないから、自宅でカップラーメンを食べ、12時ころ出かけたのだが、到着予測時間は2時半である。
これでは、現地で買物時間を取り、帰路にまた渋滞していたら、帰宅するころには日が暮れてしまう。
そういえば、彼岸というのは毎年こんなだったのだ。うっかりしていた。
3連休の中日だけど、土曜日でトラックなどの仕事の車も多かった。
それから、よく「墓参り渋滞」というけれど、車で墓まで行く人がどれだけいるのか、帰省するからなのか、単にドライブなのかわからないが、とにかく人が車で動いている。
あの辺は、その先に小平霊園がある。多磨霊園や八王子霊園に行く人もいるのか。
渋滞の中、青信号でも前が詰まっていて全然動かない。動いてものろのろでちょっとだけ。
こんな状況ではと、ずっと悩みながら青梅街道を進んでいた。
ナビによれば、右折して青梅街道を引き返し自宅に帰るのにも1時間くらいかかる予測。普段は30分くらいだ。
田無のあたりで左に曲がり、青梅街道から武蔵境通りに出て五日市街道を東に戻ってきた。
この道は片側1車線で吉祥寺を通り、路線バスも走っているので、そもそも速度は遅いが、渋滞はしていなかった。
青梅街道に戻っても、逆向きも渋滞していたようだったから、五日市街道をずっと東に進んだ。
高井戸のホームセンター、オリンピックに行こうと思ったのだ。
ここで、ちょっとの区間環八を走るために、側道から合流したが、かなり待機時間が多かったし、側道も車で満杯だった。
ホームセンターの中はそれほど混んでいなかった。
どうやら、トイレットペーパーやコロナ対策商品などを求めて、午前中に買い物を済ませてしまう人が多いらしい。
メダカ用品の砂と水草を買った。季節によるのか、水草がとても高い。
ビールは安くないので買わない。普通の食料品を買った。
脱衣所に置くプラスチックの隙間収納棚も買った。
帰りは、駐車場から左方向の環八に出ようとしたら、渋滞のため、駐車場からそっちの方向へは出られなくなっていた。
彼岸は車で出歩くのはやめといたほうが良い。
今日もどうしようか?今さら行くところもなし。
午後から天気は下り坂。風が強い。
最近、運転距離が全然伸びないけど、今日はあきらめようかな。
相変わらず、トイレットペーパー売ってません。
「品薄状態が続いております。入荷も未定となっております」だと。
トイレットペーパーは90%以上、日本国内で作っているので、品物は十分にあるとテレビで言っていた。トイレットペーパーが無くなるというのは、全くのデマだとのこと。
最初に買いだめした人たちは、自宅に山ほどトイレットペーパーがあるはずだから、今更買わなくてもよいはず。
なのに、なぜ品物がないのか?
うちは12ロール入りが1パックあるので、あと1か月は持つはずだから、まだ買う必要はないが、このように空っぽの売り場を見ていると、どうも気になる。
もしかして、どこかのスーパーだかで、品物はこんなにありますよ、などと天井までも届くくらい、山のように積みあげて売っている店があったけど、そういう店が独占しちゃってるわけか?
ひとつの店にあんなにたくさん納品しないで、多くの店に回してくれよだよ。
なんか、苛立ってくるなあ。
彼岸には、田舎のお墓参りに行かない。帰省もしない。
そのため、1人暮らしをしている母には2か月近く会っていない。
私は東京に住んでいる、2月末から喉の痛みと咳がひどく2週間かかってやっと自力で治した。
今もなお、無症状のコロナにかかっているかもしれず、危なすぎて90歳近い母に会うことは控えている。
だが、毎日電話では話している。
年よりは情報にうとい。
田舎では感染者はいないが、周囲はそれなりに対応をしている。
ある日、母が言うには、
「店に行ったらみんながマスクをしていた、道行く人もみんなマスク、病院に薬をもらいに行ったら、そこでも全員マスクをしていて、不気味な光景だった。マスクしていなのは自分だけ。わたしゃあもう外に出るのは嫌だ」とのこと。
私、マスクするのは当たり前でしょ、という。
母は毎日ガーゼのマスクをして寝ているが、それは睡眠導入剤を飲んで熟睡すると口を開けて寝るらしく口の中が乾いてしまうからだそうだ。
使う場面が逆である。
田舎ゆえ、ドラッグストアや大きなスーパーマーケットもないので、紙製のマスクを母が買いに行くところはなし。
極小の薬局と極小の食料品スーパー(一角に衛生用品少量陳列)があるが、このご時世でマスクなど売っているはずもなし。
だが母は10年くらい前にもらった紙製のマスクを持っているそうで、その後、病院に行くときは一応持っていったよという。(高血圧の薬だけもらっている)
マスクはカバンに入れて行ったが、顔につけていないというから意味なし。
そして、そのマスクは、人のとはちょっと違うようだと母が言う。
なぜならば、頬の横の方がスカスカしていて隙間が開いているので、あんまり意味がなさそうだとのこと。
その部分を縫い縮めればよさそうだとか。
だが、まだそんなことはしていなくて、一応食料を買いに行くときだけそれをしていくそうだ。
そんなマスクでは意味がない。だったら、こちらから5枚入りの一般的紙製のマスクを送ってあげると言ったら、マスクはその古いのを使うから、送らなくていいと言っていた。
だが、やはりちゃんとしたマスクがあったほうがよかろう。
体操教室に行くときや、バスやタクシーに乗るときも密閉空間だからマスクをするように伝えるが、「えーっ、そんなところでもするの?」と、腑に落ちないような返事。
田舎だし、電車にも乗らないし、毎日行くところは近所のスーパーだけ。
ウイルスには感染しないと言い張る。
だが、母自身が出歩かないからって、電車に乗って移動してきた人と店の中ですれ違ったりするわけだ。
そこで、とにかく、マスクを封筒に入れて実家に送った。
そして、電話で送ったよと伝えた。
すると、ものすごい剣幕で「なんだね、要らないっていってるのに、なんでそんなもの送るの」と怒鳴るのである。
だから、かくかくしかじか、上記のような送った理由を伝えた。
すると「自分が持っているのと他人が持っているののどこが違うかも知らないし、あんたが送ったのと持っているのが同じか違うかもわからない」という。
だから、送ったものと持ってるものを比べてみなさいよ、と言った。
それでもなお「要らなかったのに」と主張する母。
そんなに迷惑がわなくててもいいでしょう、とこっちも切れる。
そうしたら、
「まあいいよ、邪魔になるもんでもないし、引き出しの中に仕舞っておくから」
だと。
はあっ?
なんでせっかく送ったものを使わずにしまっておくんだ????
それは使わないと意味がないでしょ。
母曰く、「自分が持っていたのを使うからあんたが送ってきたのは要らない。」
「あんたが来た時に使えばよい」だと。
だったら、まるで意味がない。
頬っぺたの横があいていてパカパカしているとかいうから送ったのに。
全く拉致があかない。
ストレス爆発するわ。
・・・
母は昭和一桁の人。
こういう人の思考回路は、物を無駄にしたくないの一点張り。
10年前にどこかからもらって使わずにおいてあったマスクをまず使いたい。
不具合があったら、それを我慢するか手直しして使う。
新しいものには手を出さない。余計なものが増えるのは迷惑。
そして、元からあった古いのを繰り返し使うに違いない。
結局私が送ったのは使わずに引き出しの肥やしになるのか。
まず見比べるなり使い比べるなりして、機能の良いほうを選んで先に使ってほしい。
・・・
精神的に疲れ果てる。。。
どうも、日本、そしてとくに東京のコロナに対する情報の開示と対策がすっきりしない原因はオリンピックに関係していると思う。
東京での感染を隠蔽して、オリンピックを予定通り開催しようとしているからではないだろうか?
何がなんでもPCR検査の数を増やさないで、患者がいないことにしている。クラスターが発生していないことにしているようだ。
全く拉致があかないのが、いつまでたっても東京オリンピックの延期や中止についての決断が下されないこと。
それどころか、それについてきちんと話し合わないし、言及もしない。
専門家会議では、オリンピックについては話し合わなかったそうだ。話し合えよ!
安倍総理は、オリンピックについて「完全な形で開催」と言ったが、延期については言及していないと自ら言っている。「言及していない」ということは、延期があるなしについて言っていないのだからどちらかわからないということ。だったら、言及しなさいよ!本当にストレスがたまる。
後になってどうにでも解釈でき、意味を変更できる言葉、政治家が使う手段だ。
・・・
そんな中で、よくぞ言ってくれたと思うのが、JOCの理事山口香さんだ。
アスリートが十分に練習ができない状況での開催はアスリートファーストではない。延期すべき。との考えを示した。
世界中が正常な生活が送れない状況でオリンピックを開催するなんて、今や、日本以外のどの国も、日本で7月にオリンピックをやってもらいたくはないし、やられたら迷惑だと思っている。
だが、山口さんの意見表明に対し、山下泰治会長が「きわめて残念」な発言だと非難した。
これまた、いまだにまだ、予定通りの実行にかじりついているのか。
こんなときに、無理やりオリンピックをやって、だれがスポーツに熱中し楽しむことなんかできるの?
命がかかっているときなのに。
乗り越えたとしても、どうやって生活していくか路頭に迷っている人だって世界中にたくさんいるだろう。
・・・
世界の首相や大統領が、コロナとの戦いを戦争に喩えている。
そうやってみると、昔日本が太平洋戦争に突入していったときのようだ。
なんとか戦争が始まる前に食い止めようという動きがあったにもかかわらず、変な力に流されたまま真珠湾攻撃に至った日本。
今の日本を動かしている安倍内閣やオリンピック実行推進派などが、自ら戦争に突入していく変な力そのものである。
東京オリンピックを予定通りやりたいから、コロナもそれに合わせて都合よく情報を開示しているのだろう。
嘘は言わないけど、真実も言わないんだろう。都合の悪いことは確認しなければ、存在しないことになるのだから。
そして、IOCはWHOに判断させ、WHOはオリンピックの開催について決める機関ではないといい、誰も判断を下さない。
無理やり開催をしようが、延期しようが中止しようが、損失をこうむるのは日本だ。だから、日本が勝手に頑張ればいい。知ったこっちゃない。
そして、日本だけが裸の王様みたいに、7月開催に向けて物事を進めている。
観客のいない聖火のセレモニー。
こんな状況で、明るい気持ちでそのような行事をテレビで見ている人もめったにいない。
せっかくの聖火トーチなど、コロナが終息してからちゃんと見たいものだ。
今の状況は、ただただ当事者が、予定通りにやりたいという欲望だけで突っ走っているとしか見えないのだ。
このままでは、誰も熱中できないし、誰も楽しめないスポーツの祭典。
本当に、一刻も早くきちんと話し合って「今夏開催は不可能。不適切」との結論を出してほしい。
オリンピックが延期になれば、東京ももっと新型コロナの感染状況をすっきりと明らかにできると思うし、大胆な対策もとれるだろう。
今は、危険がないかのように表面を取り繕っているので、いまだに感染爆発しそうな人口密度の高い空間などが平気で存在している。
議員なども密集、マスコミもぎゅうぎゅうになって会見をするなどバカではないか。
アメリカみたいにちゃんと間隔を取るべきだ。
小池都知事は桜の花見を控えろとしか言わない。
東京と大阪・兵庫間とかも往来を控えるべきである。渡航者も止めるべきだ。
都内各地の屋外に感染外来を作るなどの対策をしなければならない。
オリンピックのことをなしにすれば、新型コロナのほうに全力を向けことができるんじゃないだろうか?
ニュースを見ていて、どうもすっきりしないのは、東京の感染者についてである。
東京では、感染経路がわからない、いったいいつどこで感染したのか、思い当たらない人が半分くらいいるそうだ。
そうなると、どこかに無症状またはごく軽症で感染している人々が多々存在していることになり、そのような人からいつ爆発的に感染者がでるかわからないとのことだ。
そして、判明した感染者についてだが、東京と一口に言っても、どこの区なのか市なのかも、全く発表されないので、まるで生活の指標にならない。
集団的感染としては、初期の屋形船があったけど、屋形船って隅田川のほうのことかと思いきや、屋形船に乗っていた人は、そっちのほうに住んでいたわけではなく、ぜんぜんかけ離れた別の地域の住民だったりするわけである。
また、埼玉県や千葉県の感染者であっても、仕事は東京だったなどということもあり、自宅の場所だけが問題ではない。自宅は寝るだけで、一日の大部分は職場にいたりするので、毎日満員電車で通勤したり、レストランで食事をしたり、デパートで買い物をしたりしているわけである。
じゃあ、そのような感染者の行動範囲はどうだったのか?どこでうつったかわからないにしても、その人が、渋谷によく行っていただとか、地下鉄に乗っていただとか、何か少しは参考になるような情報は無いんだろうか?
予断を許さない状況といっても、あまりにも漠然としている。
それも、個人情報や、経済活動を妨げないために秘密にされているのであろうか。
・・・
本日の累計感染者が日本全国で1016人だそうだ。この中には中国からの旅行者や帰国者も入っているのだそうだ。クルーズ船は別で712人いるそうである。
日本の総人口は1億2601万人くらいだとすると、感染者の割合は、おおざっぱに10万分の1くらいなるみたいだ。
なんか電卓で計算しようとしたら、桁が足りなくて0.0000になってしまった。
1億分の1000とすれば、10万分の1になる。
また、東京の感染者は現在129人だそうだ。東京の人口は1394万人くらいらしい。ということは、これもまた大雑把に1000万人の中の100人で計算する十10万人に1人くらいの割合になるみたいだ。
そう考えれば、そんなに恐れることはなかろうと思える。
しかし、日に日に感染者が倍増していくとしたら、それは恐ろしい。
東京では、本日また11日増えたそうだ。そのうちの5人がは渡航者だという。
こういう人数が増えないで減っていくのを願うばかりだが、相変わらず毎日増えていく。
それでも、これまでの発病者は、治癒して退院していく人もいるので、患者が累積して増えていくばかりではない。
いったい、どのくらいの割合の人間が感染したら、このコロナの緊急事態は終息するのだろうか?
感染を広げないように出歩かない人々もいれば、あまり気にせずに出歩く人もいる。
飲食店などは、あまり気にしない人が出歩いて利用するおかげで経営が成り立っているのだろうから、無防備な人に対して、出歩くななどと非難すれば良いというわけでもないのかもしれない。
年よりは自衛のために家にこもるけど、元気な若者はお店などを利用して経済が回るようにしてくれているともいえる。
とりあえず、私は年寄りの部類なので、家で身を守る。
ここ1カ月以上もの間、新型コロナを恐れ続け、ことあるごとにテレビやインターネットで情報を取り入れ、予防に努めてきた。外出も控えてきた。
そうこうするうちに、中国は感染がおさまったものの、周辺の国々に広がり、今では欧米に猛威を振るい、南半球にも勢力を伸ばしつつある。
日本も東京や大阪などの大都市は、いつ爆発的に増えるかもしれず、予断を許さない状況だという。
北海道はなんとか抑え込みが成功してきている。
そして、日本全体的にも、なんとか持ちこたえているというので、政府の方針や対策には不信感を抱く部分もあるのだが、他国と比べて悪い状況ではないのかもしれない。
PCR検査の数が増えないのは、どうかと思うが、感染しているかどうかを知るよりも、治療さえできればよいわけで、検査をするために患者が飛沫を飛ばし、医療関係者が感染してしまったら、病院が閉鎖になってしまうので元も子もない。
そうなると、とりあえずインフルエンザという想定で、早めにアビガンを投与しておくと、それで改善することもあるそうだ。新型コロナにアビガンを投与して回復に向かった割合が、各段に高いという統計が中国で出ているそうだ。
また、喘息のための吸入薬ステロイド剤も効くというので、咳がひどい人、肺炎の人には、そういうもので対処することも効果があるとのこと。
対症療法で、息が苦しければ酸素を吸わせて息を楽にさせる。息もできなかれば人口呼吸器をつけ、さらに肺が機能しなければ人工肺で時間を稼ぐ。
そうやって対症療法をしているうちに、患者自らの免疫力でウイルスに打ち勝つのだとか。
発病すると、ウイルスとの過酷な戦いを続けて打ち勝たなければならず、老人や持病のある人には勝てるかどうかわからない。若者でも重症化する人はいるので油断は禁物だ。
だから、まずはかからないように予防を厳重にする。
換気の悪いところ、人の多いところ、声を出したり飲食したりして飛沫が飛ぶような環境はまず避けねばならない。
手洗い、うがい、マスクも重要。
・・・
一方、飲食店・観光業・ブライダル・宴会・音楽・演劇等に携わる職業は、お客がいなくて収入がなくなり大変なことになっている。このままでは、倒産するお店や会社が増えてしまうだろう。それも恐ろしい。
だから、とにかく早く感染を止めなければ、経済もダメになり、それが原因で生活苦で亡くなってしまう人も出かねないし、世の中がすさんでしまうだろう。
とにかく、感染の早い終息を願う。
今夜は、ショパンのバラード1番をユーチューブで聴いていた。
フォルテ君 (CD)
牛田智大
反田恭平
横山幸雄
沢田蒼梧
等々
この曲は、何度聴いても飽きない。最後がかっこいい。
フィギュアスケートの羽生結弦が優勝したとき、反田恭平の演奏を使っていたと今頃知った。
フィギュアはあんまり興味がないから。
多くの人は、それをきっかけにして、この曲のことを知っているらしい。
クラシックが趣味でない人でも、反田さんのリサイタルに行きたいと言っている。
私はその流行に乗るわけではない。しかし、確かにこの人の演奏は良いね。
色々な人のバラードを次々に聴いていると、一晩何もしないで終わってしまう。
明日、仕事中に眠くなるから、もう寝よう。
牛田智大 - ショパン: バラード 第1番 ト短調 作品23
反田さんは、みんなが知っているらしいので、牛田さんの演奏を載せました。
世界が新型コロナウイルスでパンデミックになっているというのに、本当にオリンピックなんかできると思うのか!
本当に信じられない。
安倍総理はおかしい。
(安倍総理、完全な形でやるとのこと。ならば延期もありかと思ったら、橋本聖子五輪相は「観客あり・延期なし」との解釈だそうだ。)
オリンピックを無理やりやりたがるやつらもおかしい。
トランプ大統領は、これまでめちゃくちゃな人間だと思っていたけど、今回ばかりは、この人のほうがずっとまともである。
オリンピックは1年くらい延期したほうが良いと自分の個人的意見として表明した。
その通りだ。
なんか別のスポーツとの兼ね合いで、2年延期したほうが良いという専門家もいるから、1~2年延期したほうがよかろう。
最初の予定通り今年の7月なんて、全く無謀だ。
また、アメリカでは、飲食店も休みにし、ヨーロッパからの入国も止めた。
日本は、止めたのか?止めるとか言ってるみたいだけど、トロトロしてる。
そして、海外旅行から帰ってきた日本人たちは、続々とウイルスを持ち込んでいる。
なんでこんな時に、海外旅行なんか行ってるんだよ。
そういう無防備、無神経な人間も信じられないが、国の管理も行き届かない。
何もかもが中途半端。
先週土曜の「高輪ゲートウェイ」駅の開業もどうなんだ?
あんなにたくさんの人が押しかけて、コロナが感染しないのか?
聖火リレーも見物に集まるなと言っているし、スポーツ観戦なども中止になっているというのに、まるで意味がない。
JRも港区も東京都も何をやってるんだろう。
1mずつ間隔を開けて並ばせるとかできないのか。
時差通勤や在宅勤務をやって努力をしていても、全く水の泡だよ。
日本全国から電車マニアみたいな人が、高輪ゲートウェイにやってきて開業記念日の切符なんかを買って、改札やホームに何時間もひしめきあってるのだ。
ホームの駅員はマスクもしていない。
ここで集まった人たちが、エアロゾルや接触で感染して、またいろいろなところにいって感染させてしまうかもしれない。
本当にもう嫌だ。
とにかく、オリンピックの聖火リレーなんか始めないでもらいたい。
福島を出発する前に、開催延期をしっかり決めて、聖火リレーは中止すべし。
3月15日の朝日新聞の天声人語は見事だった。
概要
仏道を歩むものが、酒のことを「般若湯」(はんにゃとう)と呼んだ。
肉食がはばかられた時代は、しし鍋を「ぼたん鍋」、馬の鍋を「桜鍋」と呼んだ。
今はマスクの符丁が「ホチキスの芯」となってインターネットで売買されている。
少量のホチキスの芯が1万2千円。「コロナの影響で余りました。」「女性用サイズはありますか」などのやり取りがされている。
転売が禁止される中、不足する物資をめぐり「闇経済」が消えない。
北海道では、国から家庭にマスクが配布され「配給経済」である。
輸入に頼る商品は、流通が途切れると回復は容易ではない。
ウイルスは世界に広がっている。
「遠くよりマスクを外す笑みはれやか」富安風生
古い句だが、今心にしみる。マスクを外して笑いあうそんな日が早く来てほしい。
最後に締めくくったこの俳句は本当にいいな。
一時的ではなく、「もうマスクは要らない」という安全安心な時が一日も早く来てほしい。
この句は古いというが、いったいいつのものだろうと調べてみた。
富安風生(とみやすふうせい)
1885(明治18)年4月16日~1979(昭和54)年2月22日。
愛知県出身の俳人。高浜虚子に師事した。
東京帝国大学法科卒業。逓信省勤務。逓信省次官。
(逓信省とは、現在の総務省。日本郵便、NTT。)
年齢を計算すると93歳まで長生きされたようである。
この句はいつ作られたものなのかわからないが、明治~昭和の時代に作られたものだ。
ちなみに師であった高浜虚子もマスクの句を詠んでいる。
マスクして我を見る目の遠くより
マスクをすると目の印象が強くなるのかな。
京極杞陽という人の句
美しき人美しくマスクとる
なんか、美しい人の、しぐさが見えるようだ。
マスクは冬の季語らしい。
ところで、この日の新聞には朝日俳壇歌壇が載っていた。
私はこの3つを選んでみました。
昨日、右側のパプリカの楽譜が届きました。
子供たちに人気の曲で、うちの孫も歌ったり踊ったりしています。米津玄師さんの曲です。
今、ベートーヴェンの悲愴の3楽章を練習してるんですが、これは全然弾けず、もうちょっと簡単な、今風の楽しい曲も弾けたらいいなと思い、注文しました。
楽譜屋さんに見に行くのも面倒です。
今は、ネットで注文できるので便利ですね。
楽譜の感じを見ることはできないけど、口コミなどを見て判断できます。
この楽譜は、パプリカの楽譜ばかりが8種類載っているのです。
入門から中級まで。連弾と合唱の楽譜もあります。
できたら、この中級ピアにスティックアレンジあたりが弾けるようになったらいいなあ。
しかし、最初はシャープが3つ。転調後はフラットが6個もついている。
フラットが6個というのは、ファ以外は全部フラットだよ。ドはシになるんだ。
頭がこんがらがりそう。
入門は、ハ長調で転調なしの楽譜もあり。入門でもフラットふたつから始まるのもあり。
まあ、適当にやっていこう。
昨日は、自宅のエレクトーンで少し弾いてみたけど、これはピアノ用の楽譜です。
エレクトーンのアレンジも面白そうだけど、うちのエレクトーンは古いから、今のエレクトーンとは機能が全然違うと思います。もう時代についていけません。
ピアノは変わらないからいいですね。
土日は夫が出勤するため、朝6時に起きる。
ところが、私は休みだから前夜に夜更かしをしている。
2時過ぎに寝て6時に起きると、やはり睡眠が足りない。
夫を送り出してから8時ころまでテレビでコロナウイルスのことを見ていたが、どうも頭がすっきりしないうえに、なんだか痛いような気もする。
これは、睡眠不足だと思って、再び布団にもぐった。
それから熟睡して目を覚ます。
先週も二度寝をして起きたら10時半だったが、今日、目を覚ますと11時半、と思いきや12時半ではないか!
よくもこんなに眠ってしまったもんだ。
愕然とする。
朝ご飯を食べて寝たばかりなのに、またすぐに昼ご飯を食べた。
・・・
週末にしなければならないことは、運動と車の運転。
このどちらも今週はやってない。
天気が悪く、新型コロナを回避するためにも外出を控える毎日だから、家にこもって本を読んだりパソコンに向かったりテレビを見たりしていた。
これは、意外に自分にとっては楽であった。
そもそも自分はインドアな人間だ。
ひきこもりに適応しているようだ。
ほっといたら、誰とも接しずに延々と本を読んでいても全然平気だ。
忘れていた自分の本性を思い起こし、そっちの方向に進んでいってしまいそうだ。
友人の中に、家の中には1日もいられない活動的な人がいる。
昨日の雪の中でも出かけていったそうだ。無理やり別の友人を誘ってお茶をしてきたらしい。人としゃべらないではいられない性分。
コロナもなんのその、全く変わらずに飲食・宴会・室内スポーツをやりまくり。
しかし、本人がその気でも次々に周りの施設や人間も自粛しはじめている。
そうするとますますストレスがたまるらしい。気が狂いそうだという。
そういう部類の人もいれば、私のようにどんどん引きこもりに適応していってしまう人間がいるんだなあと思う。
一日中誰とも話をしなくても、全然平気だよ。
これも良いことだか悪いことだか。
・・・
今日は、不安定な天気だと天気予報で言っていたけど、なんか薄曇りのまま安定している。
やはり車の運転をしておかないとなあ。
全然遠出してない。行き先も、目的地も思い浮かばない。
机に向かって座っていると、お尻に根が生えそうだ。
それが楽ちんだ。
でも、やっぱり出かけないと・・・
ちょっと出かけてきます。
今日は、とても寒くて午後からは雪が降ってきた。大粒で水っぽい雪だったので積もりはしなかったが、こんな日は家の中にこもっている。
何をしようかと暇にしていたら、たまたまテレビで「四月は君の嘘」という映画を放送することがわかったので、見ることにした。
広瀬すずと山崎賢人が主役で、青春ドラマなんだろうと思った。
内容なんかまるで知らずに見ていたところ、ピアノとバイオリンの演奏が出てきたところで、音楽の映画なんだと初めて気付いた。
広瀬すず&山崎賢人がバイオリン&ピアノ演奏!『四月は君の嘘』本編映像
ところで、見ているうちに、何かに似ているぞと色々な作品が、頭に浮かんできてしまった。
有馬公生(山崎賢人)は、小さいころピアニストの母親を亡くし、それ以来精神的ショックにより、ピアノを弾くことができなくなった。それまでは、天才少年として注目されていたが、ピアノの演奏中に音が聴こえなくなってしまうという現象が起こり、ピアノを弾けなくなってしまった。そしてそのまま高校生になっているのだ。
そのような彼が、バイオリンのコンクールに出る宮園かをり(広瀬すず)によって、過去の精神的障壁を乗り越え、ピアノの世界に復帰するというストーリー。
しかし、一方、宮園かをりは不治の病になって、最後は亡くなってしまう。
どうして、有馬は母のみならず、かをりまで失うのか?と私はこの作品に納得できない。
有馬公生はコンクールで優勝し、かをりは危険な手術を受けて奇跡的に治るというような、ハッピーエンドでもよかったのに、と思った。
ところで、この作品の設定は何かに似ているぞ。
「蜜蜂と遠雷」
演奏会・ピアノコンクールの場面が出てきた。
母親が亡くなったのをきっかけに、コンクールの演奏の最中に急にピアノの演奏ができなくなり、それ以来、何年もピアノから離れていた少女が、大人になってまたコンクールに戻ってくる・・・
なんか似ているのでは?
何年もピアノに触れなかった天才少年や天才少女が、その精神的ショックを乗り越えて復帰し、やはり才能を発揮するという設定。
あれっ?
つい最近読んだ「どこかでベートーヴェン」では、急に左耳が聴こえなくなってピアノを断念する高校生の岬洋介。岬洋介は母親と死別している。
「もういちどベートーベン」では、法律の道に進んだ岬洋介を、友人がだましてピアノの演奏会に連れて行き、それをきっかけにピアノの世界に戻ることとなる。
ここでも、何年もピアノに触れないで生きてきた岬洋介が、コンクールで天才的能力を発揮する。
何か、どれもこれも似てやしないかい?
「四月は君の嘘」は2011年から2015年に月刊少年マガジンに連載された漫画が原作だそうだ。作者は新川直司。(映画は原作とは少し内容が違うとか?)
「蜜蜂と遠雷」は恩田陸の原作で、2009年から2016年までに幻冬舎の雑誌に連載されたようだ。
「どこかでベートーヴェン」は宝島社が2016年に発行、「もういちどベートーヴェン」は2019年に発行。これが一番遅く作られている。3番煎じ?
何が何を真似したんだか、偶然なんだか、影響を受けてるんだか?
共通点多すぎ~~~
まあ、それは良いとして。
今日テレビで見た「四月の君の嘘」は、友人との関係の描き方や、江ノ島の方のロケーションもきれいでよかった。
そして、最後にショパンの東日本コンクールで有馬公生が弾いていたのが、バラード№1、Op.23だった。
フォルテ君のCDの最後に入っている曲だ。
「四月は君の嘘」がアニメになったのは2014年で、この実写版映画は2016年9月に公開?
フォルテ君はこの映画を見たことがあるのかな?
ショパンのバラードは、コンクールでよく弾かれる曲なのかも。
フォルテ君は高校生のときにこの曲を弾いて大崩壊をしボロボロになったのだそうだ。
CD(24歳)では素晴らしい演奏。
今日は、意図せず偶然にもテレビでピアノに関係のある映画が見られてよかった。
Ballade No 1 in G Minor, Op 23 ~Kousei Piano - Kaori Violin clean ver~ (Shigatsu Wa Kimi No Uso)