
これは短編小説でしかない内容を、無理から長編に仕立てたため、見事なまでにスカスカの映画になってしまったという失敗作。2,30分程度の上映時間なら、きっと気持ちのいい映画(というか映像詩)になるはずなのに勘違いも甚だしい。
昭和30年代。京都西陣にある映画館。記憶の中にある風景。それはもう風化して、イメージの残滓のみが残る美しい思い出。そんな幻を見せようとする。これは現実ではない。記憶に残った夢の話だ。なのに、そんな夢をきちんと見せてくれないもどかしさばかりが残る。監督が勘違いしているのだ。
この作品の場合『ALWAYS 3丁目の夕日』のように、あの頃を正確に再現する必要はない。なのに、中途半端なリアリズムでお話を展開していくから、反対に細部の嘘ばかりが気になることとなる。全体の構成にもミスがあり、映画としての視点が曖昧になっているのが気になる。
50歳前後の夫婦が幼い頃遊んだ近所の映画館の閉館を知り、その最後の上映会に行くという外枠の話があまりに陳腐でついていけない。彼らはここに来ることで壊れかけていた関係を修復していく。この現代の話と、彼らが子供時代の思い出の風景を交錯して描くべきなのに、思い出の中に出て来る映画館の若い夫婦(と、子供たちは思った)の話が、中心になっている。しかも、それを、子供たちがここに来る以前の、彼らが出逢った時間から追いかけていくのだ。これでは映画自体のバランスを完全に崩している。
昭和30年代、映画が黄金期から一気に坂道を転げ落ちるように斜陽化していく時代を背景に、若い二人がオリヲン座を切り盛りしていく姿を描く。
昭和32年、年の離れた夫婦の経営するこの映画館に若い男がやって来る。彼は住み込みで働くことになる。昭和36年、館主が死んだ後、未亡人と青年は二人でこの映画館を維持していこうと努力するが、うまくいかない。周囲はこの二人に対してよからぬ噂を立てる。映画の中で描かれるのはこの2つの時間のみである。そして、そのうしろの時間に外枠の話の中年夫婦の子供時代が描かれる。
外枠が内枠を覆いきれないなんて構成上のミスも気になるが、それより何より、この後40年、この名画座がずっと映画を上映し続け、平成19年の閉館まで閉鎖されないなんてありえないことをいけしゃぁしゃぁと描くのが気になる。
この映画館が1960年代後半から40年間も生き残るなんてありえない。オリヲン座はかっての映画館の亡霊でしかない。「もちろんそんなことはみんな分かっている。だけど、もし、こんな映画館が今も消えないで細々と世界のかたすみで映画を上映してくれていたならどれほど素敵なことかと思う。」そんな思いを描いているのだろうか。それにしても、これではあまりに感傷的過ぎるし、リアリティーはない。
せめて、中年夫婦は、今もオリヲン座があの町に残っていて、あの老夫婦が今もフイルムを回し続けているという幻を見た、というファンタジーとしてラストを処理してくれたなら、まだ納得がいったし、気持ちよく映画を見れたかもしれない。
蛍を蚊帳の中に放つあのシーンで映画は終わっている。あのあとオリヲン座は閉館し、二人は別れ別れになるというのが現実であろう。とてもこんなクラシックな映画館が70年代の荒波を乗り越えられるとは思えない。
映画は夢、幻でしかないが、それにしても、せめて心地よく夢物語を見せて欲しかった。
昭和30年代。京都西陣にある映画館。記憶の中にある風景。それはもう風化して、イメージの残滓のみが残る美しい思い出。そんな幻を見せようとする。これは現実ではない。記憶に残った夢の話だ。なのに、そんな夢をきちんと見せてくれないもどかしさばかりが残る。監督が勘違いしているのだ。
この作品の場合『ALWAYS 3丁目の夕日』のように、あの頃を正確に再現する必要はない。なのに、中途半端なリアリズムでお話を展開していくから、反対に細部の嘘ばかりが気になることとなる。全体の構成にもミスがあり、映画としての視点が曖昧になっているのが気になる。
50歳前後の夫婦が幼い頃遊んだ近所の映画館の閉館を知り、その最後の上映会に行くという外枠の話があまりに陳腐でついていけない。彼らはここに来ることで壊れかけていた関係を修復していく。この現代の話と、彼らが子供時代の思い出の風景を交錯して描くべきなのに、思い出の中に出て来る映画館の若い夫婦(と、子供たちは思った)の話が、中心になっている。しかも、それを、子供たちがここに来る以前の、彼らが出逢った時間から追いかけていくのだ。これでは映画自体のバランスを完全に崩している。
昭和30年代、映画が黄金期から一気に坂道を転げ落ちるように斜陽化していく時代を背景に、若い二人がオリヲン座を切り盛りしていく姿を描く。
昭和32年、年の離れた夫婦の経営するこの映画館に若い男がやって来る。彼は住み込みで働くことになる。昭和36年、館主が死んだ後、未亡人と青年は二人でこの映画館を維持していこうと努力するが、うまくいかない。周囲はこの二人に対してよからぬ噂を立てる。映画の中で描かれるのはこの2つの時間のみである。そして、そのうしろの時間に外枠の話の中年夫婦の子供時代が描かれる。
外枠が内枠を覆いきれないなんて構成上のミスも気になるが、それより何より、この後40年、この名画座がずっと映画を上映し続け、平成19年の閉館まで閉鎖されないなんてありえないことをいけしゃぁしゃぁと描くのが気になる。
この映画館が1960年代後半から40年間も生き残るなんてありえない。オリヲン座はかっての映画館の亡霊でしかない。「もちろんそんなことはみんな分かっている。だけど、もし、こんな映画館が今も消えないで細々と世界のかたすみで映画を上映してくれていたならどれほど素敵なことかと思う。」そんな思いを描いているのだろうか。それにしても、これではあまりに感傷的過ぎるし、リアリティーはない。
せめて、中年夫婦は、今もオリヲン座があの町に残っていて、あの老夫婦が今もフイルムを回し続けているという幻を見た、というファンタジーとしてラストを処理してくれたなら、まだ納得がいったし、気持ちよく映画を見れたかもしれない。
蛍を蚊帳の中に放つあのシーンで映画は終わっている。あのあとオリヲン座は閉館し、二人は別れ別れになるというのが現実であろう。とてもこんなクラシックな映画館が70年代の荒波を乗り越えられるとは思えない。
映画は夢、幻でしかないが、それにしても、せめて心地よく夢物語を見せて欲しかった。