中田永一の小説を読んだとき、その不思議な味わいに魅了された。それだけにあの小説が映画になることをうれしく思った。そこには、きっとあの気分がある。それが映像となってスクリーンに再現されるのだ。もうそれだけでウキウキする、と。
なのに、こんなにも丁寧に作られた映画なのに、まるで心踊らない。これはどういうことか。とてもきれいな風景が描かれる。理想的なロケーションだ。きっと監督があの小説に見た風景を再 . . . 本文を読む
読みながら痛すぎるよ、と思う。なんで、こんなのばかり今読むのか、と自分を恨む。椰月美智子『伶也と』を読んだところなのだから、今度は少し明るい小説でもよかったはずなのに、偶然こういうパターンが連鎖する。
2冊はよく似ている。同じように不幸な女の生涯を描く作品。もちろん、そのアプローチも、描かれる状況、設定もまるで異なるが、それでもその底を流れるものに共通点がある。何を根拠に「不幸」というかは、人 . . . 本文を読む
涙が止まらなかった。こんなにも悲惨な最期なのに、それでも幸せだと感じる直子は、伶也のことがそんなにも好きだったのだ。ただそれだけのために人生すら投げ出す。というか、彼に捧げて悔いはない。
これをラブストーリーと呼ぶにはあまりに切なすぎて痛ましい。これを、30代の女性が年下のロックバンドのヴォーカリストに嵌まって、身を持ち崩していく話、だなんて割り切れたならバカな女のお話で済ませれる。手の届かな . . . 本文を読む
久々に「これぞ広木隆一監督作品!」と快哉を叫びたくなるほど、心地いい映画だった。2時間15分もあるのに、まるで時間を感じさせない。でも、これは「廣木」ではなく昔のポルノ映画を撮っていた時代の「広木」監督のテイストなのだ。1時間ほどのポルノ映画を軽々としたタッチで撮る。別段たいした映画ではないけど、でも、気持ちのいい作品。
いつのまにか、巨匠の仲間入りして、大作映画や感動作品、文芸物から、少女マン . . . 本文を読む
個性派俳優の佐藤二朗(こういう言い方しか出来ないなぁ)が、監督した作品。第1回監督作品であり、その後、まだ次回の監督業はしていない。何よりもまず、これは彼が、どうしても、これだけは撮りたかった、そんな作品なのだろう。そのとてもわがままな作品が、ちゃんと1本の映画として完成して公開されたって、凄い。
彼らしい作品になっている。自分の趣味を押しつけるのではなく、さりげなく提示した。そんな控え目さがい . . . 本文を読む
戦後すぐの沖縄。もちろん、アメリカの統治下にある。そこにアメリカからひとりのまだ若い男がやってくる。アメリカの基地勤務を命じられた精神科医だ。戦後の混乱期の沖縄という特殊な舞台で、さらに特別な場所、ニシムイ美術村という画家たちが集う場所。そこでアメリカ人と日本人が、絵画を通して心を通い合わせていく。
政治的な問題をおざなりにはできないけど、それよりもまず、ここには生きていくうえで何よりも大事で必 . . . 本文を読む
ティム・バートンの新作である。今回はジョニー・デップが出ないから、期待した。(別にジョニデが嫌いなわけではない、ただちょっとこのコンビには飽きてきた。彼から離れたバートンが見たかったのだ)
地味な作品だが、インパクトがあるのは、題材とした絵画自体の魅力だろう。マーガレットの描く異様に目が大きい少女の絵。すべてはそこから始まる。ポスターもそうだし、この映画のメインビジュアルはすべて、そこに尽きる . . . 本文を読む
まだ若い作者がこんなノスタルジックな作品を作っていいのか。大学4年生の彼が、15歳を回顧する。それを感傷的に描かれるといささか辟易するのだが、FOペレイラ宏一朗は実に淡々とそれをする。その冷静さはこの芝居を気恥ずかしさから救っている。
中学卒業から8年、居酒屋でプチ同窓会をする4人の男女。だが、そこには彼らが忘れてしまったもうひとりのクラスメートがいる、気がする。不在の彼をめぐるそれぞれの物語が . . . 本文を読む
時代設定は明確にならない。だが、明らかに今ではない。きっと監督の少年時代ではないか、とすぐに推測がつくけど、それが何年の話なのかは僕にはわからない。描かれる風景や、風俗から、20年前くらいではないか、と思いながら見る。でも、シンガポールのことなんか、想像すらつかないのが実情だ。タマゴっちだとか、古いパソコンとか、それだけで、わかる人には、すぐにわかるのだろう。でも、僕は気にしない。ただ、この描か . . . 本文を読む
芝居を見ながら、なんだかよくわからないまま、それでも、ドキドキさせられる。こういう体験は久しくなかった。なんでも、わかった気になってたり、突き放して「それではわからないよ、」と思ったり。でも、この芝居を見ながら、正直に、なんだかよくわからない、と思った。
でも、この単純なお話に魅せられた。誰もが知っている童話である。だが、こんな怖い話はない。オオカミはおばあちゃんを食べてしまうのだし、赤ずきんも . . . 本文を読む
2つの中編小説が(『恋』と『友情』)がセットになり、この長編小説を構成する。最後にすべてが明らかになる。実によくできている。ふたりの女の子は、女の子(ここはちゃんと「女性」と言ってもいいし、本来ならそう言うべきなのだが、)というものの二つの側面を象徴する。信じられないくらいにきれいな子と、自分の容姿にコンプレックスを持つ子。極端な形だが、このふたつの間で人は揺れている。自分を美しいと信じたい。でも . . . 本文を読む
この日本語タイトルは、あまりにそのまんまで、単純すぎる。ここには何の含みも、情緒の欠片もない。でも、原題の翻訳である『白昼の花火』では、あまりに情緒的すぎて、この映画のイメージを反対に損ねる。難しいところだ。ここに提示されるイメージの集積がこの作品の魅力だ。説明ではなくそこで提示される映像。その圧倒的なインパクト。描かれる事件や、犯人の造形、トリックなんて、それと較べればどうでもいいことだ。どちら . . . 本文を読む
平田オリザさんが大学生の時に書いた戯曲の再演である。91年の再演の時に大幅にリライトしたヴァージョンでの再演だから、学生時代のものをそのまま、上演してわけではないけど、「17歳の冬、パリで高村光太郎の『雨にうたるるカテドラル』という詩を読んで以来、その心持ちは、変わっていないように思えます。」とパンフにはあるから、ここにある思いは21歳の彼のものであり、17歳の彼でもある。そして、それは過去のもの . . . 本文を読む
フランク・ミラー原作、脚本、監督作品。シリーズ第2弾となる。共同監督として今回もロバート・ロドリゲスが名を連ねる。彼が実質的な作業を嬉々としてこなしたのではないか。原作のパルプマガジンのファンで、その世界を映画として再現することを楽しんでいる。もちろん、作者であるフランク・ミラーも同じだろう。これはそういう趣味の映画なのだ。
だから、万人向けではない。この世界が好きな人限定の映画だ。モノクロに . . . 本文を読む
下巻は結局ほぼ1日で読んでしまった。朝から読み始めて、仕事を挟んで深夜までで、大体を読み終える。(少し、翌朝に残したのは、読み終えるのがなんだかもったいなくなったから)
一気だった。読み始めたらもう止まらない。上巻も2日で読んだから、900ページもあるのに、(しかも、週の後半で仕事も忙しいのに、水曜日から土曜の朝まで、という微妙な時間で)このスピードだ。気になって仕事が手に付かなかったほど。
. . . 本文を読む