今回のN・ナイト・シャマラン監督の新作は、登場人物がほぼひとり。しかも、ウイル・スミスではなく、息子の方だ。それにしてもなんとも地味な映画だ。一応それなりの予算をかけたSF大作のはずだし、これはウィル・スミスとジェイデン・スミス親子が主演する話題作のはずなのだが。
話は単純で、特別な仕掛けもない。いつもとんでもない仕掛けを用意しなければ気が済まないシャマランなのに、これまた、どういうことなの . . . 本文を読む
タイトルの「きじかくし」というのはアスパラガスのことだ。この本を読むまで知らなかった。もちろん、ほとんどの人がそんなこと知らないはずだ。そこを踏まえて作者はこのタイトルをつけたのだろう。「きじかくし」って何? そこから始まる。
新人作家のデビュー作だ。メディアワークス文庫なんていうのを生まれて初めて読んだ。図書館には結構この文庫本がならんでいるのだが、もちろん手に取ったことはない。今回たまた . . . 本文を読む
今年も大谷がやってくれた。これはもう「大谷チャンピオンまつり」って感じの世界だ。(昔あった「東宝チャンピオンまつり」をもじった。)
開演30分前には完全に客入れが終わっていた。それって、なんで? 要するに早くから客が集まってパニックになったから、前倒しで開場したのだろう。35分に到着したら、入場はとうに終わっていて、ロビーでのモニター上映希望者(もう入れないから)の入場整理をしていて、驚く。 . . . 本文を読む
こういうタイプの軽いコメディー映画が、まるでサーガのような展開で、なんと3部作になるって、珍しい話ではないか。ラスベガスから、始まり、タイのバンコクへと飛び、最後に再びラスベガスに戻る。まさかの展開である。しかも、お話にはちゃんと整合性があるし。
ヒットしたから続編を作ったのだろうけど、このへぼい話が、ここに至って壮大なドラマになっているのが面白い。もちろん、最初はそんな気さらさらなかったし . . . 本文を読む
『シュリ』から14年、というキャッチフレーズに心惹かれて劇場に向かった。現在の韓国映画の原点となる『シュリ』の衝撃は大きい。スケールの大きなハリウッドに負けないエンタメ・アクションを韓国映画が作った、というあの映画の意義は大きい。そしてそれは日本人を驚かせ日本でも大ヒットを記録した。あの作品の後、韓国映画の怒涛の攻勢が始まって、現在に至ることは周知の事実だ。ただ、ここにきて韓国映画は日本で以前ほ . . . 本文を読む
ドーンセンターの1階パフォーマンス・スペースでの公演かと思ったら、なんと7階のホールでの上演だった。中ホールでの上演は、高校生はコンクールとかで、慣れているだろうから、そんなには戸惑うことはないだろう。だが、見るほうは「大丈夫か」と少し心配になる。でも、さすがに、箕面東だ。広い舞台空間をモノともせず、安定感のある舞台を作り上げた。そういう意味では感心した。
だが、芝居自体は少し残念な仕上がり . . . 本文を読む
1昨年作られた三池崇史監督による、はちゃめちゃ映画の続編。今回、監督が田崎竜太(雨宮慶太の傑作の後を受けた平成版『仮面ライダー』や、金子秀介の傑作『ガメラ』3部作の続編である子供向け『ガメラ』を作った人)に変わって、キャスティングも含め、とてもスケールダウンした。
もちろん主役の加藤清史郎は当然変わらないが、周囲のメンバーが変わったのだ。話は大体は同じようなものだが、バカバカしさの度合いはス . . . 本文を読む
4分版の予告編があまりに素晴らしくて、本編である2時間6分版がかすんでしまった。そんなバカなことがあるのか、と少し驚く。予告に騙されてつまらない映画を見せられた、というわけではない。これはこれでとても素敵な映画である。だが、4分に凝縮されたドラマには及ばない、ということなのだ。どうして、そんなことになったのか?
この映画のパッションがあの4分間には凝縮されていた。荒井由美の『ひこうき雲』に乗 . . . 本文を読む
結局、5日間で上下2巻を読んでしまった。もちろん、通勤の往復だけでは無理なので、休憩時間とかも使って一気読みしてしまった。これはそれくらいに面白いエンタメ小説なのだ。
それにしても凄まじい生きざま。次から次へと彼を襲う苦難の連続技。それでも、勇気を持って立ち向かい、怯むことなく、戦う。これでもか、これでもか、と、困難や危機が彼に襲いかかる。長編大河ドラマのノリだ。だが、ここまでやられると、い . . . 本文を読む
1時間40分の芝居なのだが、最初の30分を見ていない。別の用事があって間に合わなかったのだ。(HPFとバッティングしたのだ!)
こんないいかげんな状態での鑑賞を許可してもらえてとてもうれしい。もう絶対に見れないだろうと諦めていたのだが、ダメだと言われると、意地でも拘りたくなるのが、人間で、諦めきれず走って劇場に駆け込んだ。
途中からなので、まるで話がわからない。大丈夫か、オレ、とかなり心配し . . . 本文を読む
今年もHPFの季節がやってきた。7月19日から31日まで4会場で29校が出場して、公演を行う。今年は会場として新しくドーンセンターも加わった。小劇場で高校の演劇部が単独公演を行うこのイベントは、高校生にとってはコンクールとは一味もふた味も違った体験であろう。御膳立てされた舞台ではなく、自分たちの手作りの舞台(仕込みの時間があるから、ちゃんとセットも組める)と、興業(受付から、劇場全体の管理、有料 . . . 本文を読む
これはおかしい。もちろん、それは「いい意味」で言っている。工芸高はいつもへんな芝居を作るのが伝統だが、今回はそれがかなりの確信犯だ。作、演出を担当した浜本克也クンは、感性(本能、と言ってもいい)ではなく、頭(理性ね)でこれを作っている。だが、いつものような感性だけで勝負する周囲にいる工芸生たちは、彼の意図を汲まずに暴走するから、そのねじれが最初は見えにくい。
作者の意図がよくわからない芝居に . . . 本文を読む
あみゅーずが今年もリーディング・スタイルの新作を上演してくれた。昨年20周年記念として初めてこの試みをしたが、とても素晴らしいものだった。今までのリーディングの常識を覆す傑作で、リーディングというスタイルはただ単なる輪読でも、芝居の模擬演習でもないことを証明した。これは一種の独立した演劇のスタイルなのだ。とは言え、条あけみさんは特別なことは何もしていない。いつもと変わりない。違いはテキストを持つ . . . 本文を読む
こういう映画が盛んに作られるような時代がやってきた。新藤兼人監督が『午後の遺言状』を作った頃は、こんな時代が来るとは思いもしなかった。高齢化社会が進行し、映画産業も変わった。ターゲットは老人である。彼らが求めるような映画が盛んに作られる。だが、安直な映画が量産されるわけではない。ここで描かれる問題は切実だ。でも、それをちゃんと笑いと涙に包み込んできちんと見せてくれる。高齢者を楽しませるための映画 . . . 本文を読む
なんて悲しい映画だろうか。もうお金なんかいらないし、愛もいらないや、と思った。ギャツビーが可哀そう過ぎて、トビーと一緒に泣いた。えげつないこともしているのだろうけど、彼は彼女に対してあんなにもピュアで、すべてを彼女のために尽くして、彼女を手にするために必死になってここまで生きたのだ。それなのに、あれはないよ、この世の中には神も仏もない。
まぁ、半分冗談だが、そんな感想を抱かせてくれるくらいに . . . 本文を読む