3つの話がひとつの部屋で展開していく。もちろんその3つの話は、別々の場所での話だから、この共有空間となる舞台美術は、本当なら別々の部屋でなくてはならない。だが、そんなことはしない。セットな飾り付けを変えるとか、なんとか。必要ないから。
ここは何の変哲もない6畳間であり、アパートの一室だ。どこにでもある同じような部屋。そこで、3つのお話が流れるように並行して描かれていく。何の違和感もなく、なんの繋がりもないように見える話が、とても自然に流れていく。
魔女たちが、ここに引っ越してくる。ある女が、組織から逃げているヤクザを匿う。劇団を解散するため、アトリエとして使っていた部屋を解約する。それぞれに次元でなんだか大変なことが、ことさらその奇異を強調することなく、描かれる。この芝居の魅力はそのあっけらかんとした渇いたタッチにある。2時間がほんの少し、長く感じられるくらいだ。大きな展開がないから、少し退屈してしまうのだ。だが、その退屈すらこれは作品の魅力とする。いつもの土橋くんのタッチだ。
劇中劇のように引用される『夜叉ヶ池』の夫婦の時間もこんなふうにゆっくり流れていたのだろう。しかし、彼らに必ずカタストロフがやって来るように、この物語にもそれは確実にやってくる。
魔女たちがこの町の平和を守っている、なんていう荒唐無稽な話を提示しながら、ファンタジーなんかにはしない。それどころか、そのエピソードがベースになり、シリアスな話として展開していくことになるのだ。
彼女たちの叔母であるこの町に住んでいた魔女が、芝居の冒頭、浮浪者狩りの犠牲者となり殺される。このシーンが強烈なインパクトを残す。この一見穏やかな芝居の底に流れる危機感がそこには込められている。平穏そうに見える日々の中にある不安が、この静かな芝居を支えている。だが、終盤までそのことに触れないから危うく忘れてしまいそうになる。
3つのエピソードは全く別のものではなく、お互いに微妙に絡み合っていることが明らかになる。別々の部屋だと思っていたここが実は同じ部屋の3つの時間を示していたことに気付く。しかし、それとても必ずそうだというほどではない。強制しないから、もっと曖昧なものとして見てもいいくらいだ。
学生たちのエピソードだけが、全体の中にきちんとはまり込んでいないように見えるのは、彼らがこの物語の外の世界の住人だからだろうか。
土橋くんが好む文体をベースにしているが、それはこの芝居の寓話性があまりにファンタジー寄りのものになることを嫌ったための仕掛けにしか見えない。芝居自体はいつものA級MissingLinkよりもわかりやすく、心優しい芝居となっている。もちろん深読みしようと思ったならばいくらでも出来るようになっている。だけど、ただぼんやりとこの芝居を見ながら、その終わりにむかって緩やかに流れていく時間に身を任せることが心地よい。
難しい解説が必要な人は、塚本さんの詳細なブログを読めばいい。この芝居のことがよくわかって参考になる。僕もあれを読んでからこれを書けばよかった。
ここは何の変哲もない6畳間であり、アパートの一室だ。どこにでもある同じような部屋。そこで、3つのお話が流れるように並行して描かれていく。何の違和感もなく、なんの繋がりもないように見える話が、とても自然に流れていく。
魔女たちが、ここに引っ越してくる。ある女が、組織から逃げているヤクザを匿う。劇団を解散するため、アトリエとして使っていた部屋を解約する。それぞれに次元でなんだか大変なことが、ことさらその奇異を強調することなく、描かれる。この芝居の魅力はそのあっけらかんとした渇いたタッチにある。2時間がほんの少し、長く感じられるくらいだ。大きな展開がないから、少し退屈してしまうのだ。だが、その退屈すらこれは作品の魅力とする。いつもの土橋くんのタッチだ。
劇中劇のように引用される『夜叉ヶ池』の夫婦の時間もこんなふうにゆっくり流れていたのだろう。しかし、彼らに必ずカタストロフがやって来るように、この物語にもそれは確実にやってくる。
魔女たちがこの町の平和を守っている、なんていう荒唐無稽な話を提示しながら、ファンタジーなんかにはしない。それどころか、そのエピソードがベースになり、シリアスな話として展開していくことになるのだ。
彼女たちの叔母であるこの町に住んでいた魔女が、芝居の冒頭、浮浪者狩りの犠牲者となり殺される。このシーンが強烈なインパクトを残す。この一見穏やかな芝居の底に流れる危機感がそこには込められている。平穏そうに見える日々の中にある不安が、この静かな芝居を支えている。だが、終盤までそのことに触れないから危うく忘れてしまいそうになる。
3つのエピソードは全く別のものではなく、お互いに微妙に絡み合っていることが明らかになる。別々の部屋だと思っていたここが実は同じ部屋の3つの時間を示していたことに気付く。しかし、それとても必ずそうだというほどではない。強制しないから、もっと曖昧なものとして見てもいいくらいだ。
学生たちのエピソードだけが、全体の中にきちんとはまり込んでいないように見えるのは、彼らがこの物語の外の世界の住人だからだろうか。
土橋くんが好む文体をベースにしているが、それはこの芝居の寓話性があまりにファンタジー寄りのものになることを嫌ったための仕掛けにしか見えない。芝居自体はいつものA級MissingLinkよりもわかりやすく、心優しい芝居となっている。もちろん深読みしようと思ったならばいくらでも出来るようになっている。だけど、ただぼんやりとこの芝居を見ながら、その終わりにむかって緩やかに流れていく時間に身を任せることが心地よい。
難しい解説が必要な人は、塚本さんの詳細なブログを読めばいい。この芝居のことがよくわかって参考になる。僕もあれを読んでからこれを書けばよかった。