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映画・演劇のレビュー

『打ち上げ花火。下から見るか? 横から見るか?』

2017-09-02 22:17:10 | 映画

 

オリジナルは45分。それを90分の長編にした。なんと2倍。どこをどう膨らませて、新しい展開を見せてくれるのか。オリジナルのテイストをどこまで生かし切れるのか、興味津々で、見たのだが、予想通り惨敗。

 

それほど、実写のアニメ化(その反対も含む)は、思った以上に難しい。というか、最初からそんなことはわかっている。そんな無謀なことはするべきではないし、もしするのなら、それなりの勝算のある戦い方をして欲しい。先日の『心が叫びたがってるんだ。』に続いて、この作品も無策すぎる。生身の人間が演じたモノを、アニメで表現するとき、単純にリアルをファンタジーに変換するだけではなく、もう一つ仕掛けがなくてはならない。個々の作品において、それが何なのかをきちんと考えた上で勝負して欲しい。

 

岩井俊二監督によるオリジナルのすばらしさは、生々しい現実と背中合わせにあるファンタジー、をちゃんと描けたというところにある。そこにこそ、あの作品の魅力があった。小学生たちの夏休み。花火大会の日。夏の登校日。たった1日。それが最後の日になる。大好きな女の子(彼は自分が彼女を好き、という想いを自分でもまだ認めることが出来ていない)の転校という事実を知るからだ。何もできない、という無念。それとどう向き合うのかが、テーマとなる。

 

今回の映画は主人公たちの年齢設定を中学生に変えた。そのため、リリカルな味わいが損なわれ、中途半端にリアルで生々しくなる。小学生が駆け落ちするから、切実なのであって、それが中学生や、ましてや高校生ではそうじゃなくなる。あり得てしまうからだ。あり得ない現実に戸惑う典道、そんな彼を見つめるなずなという図式が秀逸だった。しかし、今回の映画は、そこから一気にファンタジー色を炸裂して、何が何だか、の展開になる。不可能という壁が、彼らの前に立ちはだかり、そこで先に進めなくなる痛ましさ。その一番大事な部分が損なわれてしまった。なずなは小学生なのに、大人っぽく、典道はまだ、ただのガキ。そういう図式はこの映画では崩れている。

 

しかも、上映時間を膨らませて後半には原作にはなかったその後のお話も作ったのだが、僕にはそれがただの蛇足にしか見えなかった。いろんな可能性があることなんか、わかっている。でも、人生にはIFはない。どうしようもない現実が横たわる。そのことをちゃんと知った上で、それども、もし、もう一つの選択があったならば、と夢見る。そこにこのドラマの面白さがある。

 

プールで足を怪我する、という痛みに集約される愚かさ。バカだなぁ、と思うしかない。それは実は小さなことではない。45分だからこそ、描き得た奇跡を、普通の映画の尺であるこの90分は可能にしない。


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