プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

平尾邦彦

2015-03-08 10:49:59 | 日記
1962年

巨人軍は十三日午後一時銀座西の球団事務所で先に入団のきまった久留米商平尾邦彦投手(18)=1㍍76、68㌔、右投右打=の正式入団発表を行った。平尾投手はことしの夏の甲子園大会で伊藤投手を助けて活躍、下手投げからのシュート、スライダーが武器で貴重な変型投手として期待される。
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嵯峨山幹雄

2015-03-08 10:45:15 | 日記
1964年

十四日から近鉄強化練習に参加していた嵯峨山幹雄投手(16)=1㍍82、75㌔、右投右打、神戸養護施設若葉学園ー小西酒造=の近鉄入団が正式に決った。嵯峨山投手は体に恵まれた本格派投手で、小西酒造でも将来を期待していた選手だが、この恵まれた体に目をつけた近鉄江田スカウトの勧誘がみのり、入団が決定したもの。嵯峨山投手は中学時代から投手として活躍、近畿中学野球ではチームを三位に推進したこともある。なお近鉄としては中学校出身の選手を入団させるのは初めてのケースである。
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児玉禎彦

2015-03-08 10:38:07 | 日記
1963年

大毎オリオンズは十六日午後一時東京南千住の球団事務所で先に大毎入団が決まった社会人野球積水化学の児玉禎彦遊撃手(22)=兵庫県尼崎高出身、1㍍69、70㌔、右投右打、背番号未定=の入団発表を松浦代表、本堂監督、小玉選手の父親利三郎氏(63)立ち会いのもとに行われた。児玉選手は三十四年春の選抜甲子園大会で投手兼遊撃手として出場した。三十五年積水化学に入社、すぐ三番を打ち、小さな体に似ず力のある打撃で一躍注目を集めた。積水化学で三年間の通算打率は二割三分八厘、軽快なフットワークと鉄砲肩の異名をとるほどの強肩を利しての守備は天下一品、ことしの都市対抗野球で積水優勝の立役者となった。
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