プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

菱川章

2015-03-16 21:54:38 | 日記
1964年

高校球界の逸材として注目されていた倉敷工高三年菱川章外野手(18)は二十一日、岡山市上石井の自宅で義父の芳三さん(43)小沢馨倉工監督、中日の柴田スカウトらが立ち会い、中日ドラゴンズへ入団すると発表した。正式契約は二十五日名古屋の球団事務所で行う。同選手は戦後初の混血児選手で、身長183㌢、体重86㌔、右投右打。一年生の夏と三年生の春の二回甲子園に出場。打球の速さはプロ選手なみといわれた。通算打率三割八分、ことしにはいって本塁打3本を打っている。大型打者として早くからプロ野球各球団の注目を集めていた。

義父芳三さんの話 章がいちばん希望し、働きいいところをと思って中日を選んだ。大いに努力し、じゅうぶん力を発揮してくれるものと思う。

菱川選手の話 柴田スカウトの人柄にひかれ、また中日には江藤選手をはじめ好きな選手が多いので中日入りを決意した。職業としてこの道を選んだからには江藤選手を目標にがんばりたい。
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中村武敏

2015-03-16 21:05:13 | 日記
1961年

中日ドラゴンズは二十一日午後零時から名古屋市中区西川端町の球団事務所で中村武敏選手(20)の契約発表を行った。同選手は津久見高校から日鉄二瀬を経てことしの九月から母校の津久見高校のコーチをしていた。また日鉄二瀬には三年間在籍して、ことしは一塁手として活躍していたが、昨年までは捕手をつとめていた。身長1㍍76、体重74㌔、右投右打、二瀬の四番打者として通算打率は常時三割をマークしていた。なお背番号は森がつけていた7番をつけることにきまった。

富田代表の話 吉沢が抜けて大アナだといわれるが、とにかく吉沢がいたときでもこと捕手に関してはアナだった。それだけに期待するというより、このアナをどうしても埋めてもらわなければ困る。

中村選手の話 中日の他近鉄、阪急、東映からも誘いを受けたがプロでやるなら中日と決めていた二瀬時代に鍛えられた濃人監督のもとでやれるという魅力はもちろんだが、権藤さんとも社会人野球時代を通じてよく知っている。特に昨年の都市対抗に二瀬が出たときバッテリーを組んだこともあるからお互いに気ごころもわかっている点が強い。もっともノンプロとプロでは力に大変な差があるからボクの考えかたは甘いかもしれないが、技術的におよばないところは気力でカバーして常時出場を狙う。とにかくキャンプで早く投手陣の球質を覚えたい。
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岩郷泰博

2015-03-16 20:29:41 | 日記
1961年

高校野球随一の強打者として去就が注目されていた今夏の選手権大会出場校、高知商、岩郷泰博一塁手(18)=1㍍74、78㌔、右投右打=は、このほど日本シリーズ優勝チームの巨人入りが決定した。同選手は現在後輩のコーチを行っているが、今月中旬上京して正式契約を行う。同選手がスカウトに目をつけられだしたのは昨秋、新チームの編成で四番を打つようになってからである。本格的なスイングでスケールの大きい打撃をいち早く見ぬいたのは西鉄だった。その後岩本コーチが先輩にあたる広島、大洋、阪急、阪神が土佐市高岡東町の自宅を訪れ、父親英俊さんを口説いた。今春には西鉄と先輩尾崎のいる大洋がうかび上がっていた。巨人が交渉を始めたのはこのころで完全な立ち遅れだったが、伊藤スカウトが十日間、高知にこもって自宅に日参する誠意に父親英俊さんは動かされ、また同選手の伊藤スカウトの努力と巨人にあこがれをもち、西鉄、大洋の本命が一気に巨人にかたむいた。選手権大会後、西鉄はまきかえしに松田監督をだきこみにかかったが、時すでにおそく、実家、本人は巨人にふみきったあとだった。三年間の通算打率は三割四分台。オープン試合をふくめて19本の本塁打を放っている。典型的な長距離打者である。

伊藤スカウトの話 交渉の時期がおくれたので一時はダメだとあきらめた。西鉄、大洋広島が相当くい込んでいたので逆転の材料がなく、自宅と本人に当る正攻法をとった。これがよかったらしい。少しずつこちらの熱意をくんで具体的な話に耳をかたむけてくるようになった。そして選手権大会後、あらためて話を進めた。正式な契約はすませていないが、巨人に来てくれることは間違いないだろうと思う。
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田中裕康

2015-03-16 00:59:42 | 日記
1961年

田中裕康外野手…同選手は東都大学一部リーグ戦の経験は今秋のシーズンだけ。40打数9安打、打率は一割五分、172㌢、65㌔、右投右打、福島常盤高出。

中日ドラゴンズは二十九日午後、名古屋市中区西川端町の同球団事務所で、かねてから中日入りが内定していた田中裕康外野手(23)と正式契約した。同選手は身長1㍍73、体重69㌔、右投右打で中大では三番を打っていた。小がらだが足腰の強じんさをかった中日では内野に使う意向である。

富田代表の話 二部リーグに長い間いたため、中央球界にはクローズ・アップされなかったが、頭脳的プレーヤーであること、そしてバネがあり、肩がいい、三拍子そろっている点が魅力だ。器用な選手だけに河野のあとガマに育てようと思っている。

田中選手の話 中日からは先輩の村野さんを通じて話があった。内野手としてやるようにいわれているが、高校時代は投手、大学では外野で、内野の経験はない。ただ一生懸命にやってみる。
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山尾孝雄

2015-03-16 00:27:00 | 日記
1962年

山尾孝雄投手…同投手は明星高から三十四年に同大に進み、大学のデビューは同年秋のシーズン。その後主戦投手として活躍、三十五年春同大優勝の原動力になった。同年夏の大学選手権で二年生ながら健投して優勝戦まで進出したが、法大の山崎(現巨人)-新山(現南海)のリレーに敗れた。その後不振だったが、ことしの秋にはカムバックし、大学選手権で活躍したあとスカウト攻勢が激しくなって巨人、大毎、南海、阪神などから中退による入団を勧められたがプロ入りの意思をもたなかった。武器はシュート、スケールの大きい本格派投手。打撃もいい。1㍍78、78㌔、右投右打。

山尾投手の話 阪神は関西大学出身の先輩が多いのでやりやすいと思う。シーズン中のプロ入りは考えていなかった。二年生の大学選手権の前後が一番調子がよかった。その後は身体の故障もなく調子も悪くないと思うのに芳ばしくなかった。大学時代は巨人入りした関大の村瀬さんをライバルにやってきた。これからは村山さんを目標にし、すべての人をライバルにしてがん張りたい。投手でやっていきたいが、スピードとコントロールを十二分に研究したい。研修制度で50試合は出場できないがその間に技術的な勉強をみっちりやりたいと思う。
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