プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

平野克明

2015-03-12 05:00:56 | 日記
1963年

大洋ホエールズは十九日午後二時から東京銀座西の球団事務所で社会人野球電気化学新潟のエース平野克明投手(22)=柏崎工卒、右投右打、身長174㌢、体重68㌔、=の入団発表を行った。同投手は上手からの本格派投手で都市対抗北信越代表決定戦で不二越に敗れたが、5試合43イニングを投げ41奪三振を奪った速球の持ち主。さらに産別大会に出場し一回戦で日石に敗れたものの、速球とシュートを得意とするピッチングは、社会人球界ではかなり高く買われていた。

平野投手の話 野球を思い切りやってみたい気持ちにかられて大洋にお世話になることになった。プロ野球は一度も見たことがないのでどれだけやれるかわからない。とにかく八方破れでぶつかり、ベストをつくすだけです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横山小次郎

2015-03-12 04:29:16 | 日記
1964年

東京オリオンズは二十八日午後二時から東京南千住の球団事務所で永田会長、松浦代表、本堂監督らの立ち会いで横山小次郎投手(22)=近大出、右投右打、1㍍72、70㌔=の入団発表を行った。横山投手の大学時代の成績は、通算6勝2敗(今春のリーグ戦は2勝1敗、秋は1勝1敗)東京は真田コーチが明星高の監督をしていたころからその速球にほれこんで東京入りさせたもの。同投手は高知高時代からスリークォーターから速球、シュートを武器にした本格派投手だが、コントロールにやや難点があるため、近大ではフル出場はしていなかった。背番号は未定。

横山投手の話 とにかく第一線の出場を目ざして一生懸命やるだけだ。スピードには自信があるが、さらに制球力をつけることを目標にがん張りたい。これからは故郷(高知)に帰ってトレーニングして来春にのぞみたい。

永田会長の話 横山君を補強出来て、ウチの目標のすべてがすまされたといえる。とにかくこれらの優秀新人(山崎、井石、横山)で来年度は大いに暴れまくるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一枝修平

2015-03-12 04:21:30 | 日記
1963年

中日では二十七日正午から名古屋市中区南外堀町のドラゴンズ事務所で河合楽器の一枝修平内野手(23)の入団発表を行った。同選手は三十四年大阪上宮高から明大に進学、一年の春にベンチに入った。二年の春には二塁で二番。打率も三割三分三厘をマーク(ベスト・テン三位)ベスト・ナインに選ばれた。さらに四年の春には優勝に貢献するとともに三割二分二厘(八位)で二度目のベスト・ナインに選ばれた。大学での通算打率は二割九分。身長1㍍70㍍、体重66㌔。小柄だが軽快なフィールディングに定評がある。そして三十八年四月河合楽器に入社、河合楽器での通算打率は三割一分九厘の好率をあげている。右投右打、背番号54。

一枝選手の話 野球をやるなら一度プロでやってみたいと思っていたやさき中日から話があったので喜んで承諾した。得意は二塁。まだやれると思ったからプロに入りました。しかし自分でやれる自信があっても、プロははじめてなのでみなに負けないようがん張る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする