1962年
国鉄スワローズはかねてから投手陣強化のため社会人野球日本ビールの宮下陽吾投手(20)=栃木商出、身長1㍍79、体重70㌔、右投右打=の獲得に乗り出していたが、十九日、本人の同意を得ることに成功した。宮下投手は同日砂押コーチに「国鉄入団」を表明、日本ビールを円満退社したうえで近日中に国鉄から入団発表が行われる。宮下投手は、昨年は城之内(現巨人)ことしは角谷両エースのカゲにあって目立たなかったが、入社当時(三十六年)から社会人球界随一の速球投手の折り紙をつけられ、二、三の球団から注目されていたほどである。国鉄はすでに昨夏からその素質に目をつけ、さらに今秋選抜の新潟大会の対新潟コマーシャル戦で連続8三振を奪う快投を演ずるに及んで積極的に獲得工作をはじめた。そのとき宮下自身プロ入りの意思を固めていたようだが、日本ビール側の必死の慰留にあって国鉄入りを一時断念した。だが去る十日、日本ビール野球部が突然一年間休部を発表したことから国鉄は勧誘を再開、宮下は去る十三日に砂押コーチの訪問を受け同コーチの熱意にうたれ十五日夜「プロでやってみたい」旨の意思表示した。十六日に家族の同意を得るために栃木に帰郷、翌十七日午後父親新八郎氏が秋葉原弘済会に北原代表をおとずれて入団条件を話し合い最終結論が出された。
宮下投手の話 また会社(日本ビール)の許可をもらっていないが、きょう(十九日)国鉄に入団の返事をしました。以前プロ入りが決まりかけたころ、会社から慰留されましたが、いまは休部中なので円満に退社できそうです。どこまでやれるかわかりませんが、野球をするなら一度は自分の力をためしてみたい気持ちです。
高校(栃木商)時代は松本(栃木=立大)とともに栃木県下で好投手として呼び声が高かった。三十六年日本ビールに入社、同年は城之内(現巨人)のカゲにかくれ選抜、都市対抗、産業各大会には登板の機会にめぐまれなかった。三十七年選抜大会準々決勝対西濃運輸戦に先発投手としてヒノキ舞台にデビュー、以後角谷、五代らとともに日本ビール投手陣の一角をになって今夏の都市対抗でも対東圧大牟田戦に登板した。夏から現在にかけてマウンド度胸、球質も一段と向上得意の快速球にもみがきがかかってきている。社会人球界屈指の速球投手として注目をあびていた。身長1㍍79、体重70㌔、二十歳。
国鉄スワローズはかねてから投手陣強化のため社会人野球日本ビールの宮下陽吾投手(20)=栃木商出、身長1㍍79、体重70㌔、右投右打=の獲得に乗り出していたが、十九日、本人の同意を得ることに成功した。宮下投手は同日砂押コーチに「国鉄入団」を表明、日本ビールを円満退社したうえで近日中に国鉄から入団発表が行われる。宮下投手は、昨年は城之内(現巨人)ことしは角谷両エースのカゲにあって目立たなかったが、入社当時(三十六年)から社会人球界随一の速球投手の折り紙をつけられ、二、三の球団から注目されていたほどである。国鉄はすでに昨夏からその素質に目をつけ、さらに今秋選抜の新潟大会の対新潟コマーシャル戦で連続8三振を奪う快投を演ずるに及んで積極的に獲得工作をはじめた。そのとき宮下自身プロ入りの意思を固めていたようだが、日本ビール側の必死の慰留にあって国鉄入りを一時断念した。だが去る十日、日本ビール野球部が突然一年間休部を発表したことから国鉄は勧誘を再開、宮下は去る十三日に砂押コーチの訪問を受け同コーチの熱意にうたれ十五日夜「プロでやってみたい」旨の意思表示した。十六日に家族の同意を得るために栃木に帰郷、翌十七日午後父親新八郎氏が秋葉原弘済会に北原代表をおとずれて入団条件を話し合い最終結論が出された。
宮下投手の話 また会社(日本ビール)の許可をもらっていないが、きょう(十九日)国鉄に入団の返事をしました。以前プロ入りが決まりかけたころ、会社から慰留されましたが、いまは休部中なので円満に退社できそうです。どこまでやれるかわかりませんが、野球をするなら一度は自分の力をためしてみたい気持ちです。
高校(栃木商)時代は松本(栃木=立大)とともに栃木県下で好投手として呼び声が高かった。三十六年日本ビールに入社、同年は城之内(現巨人)のカゲにかくれ選抜、都市対抗、産業各大会には登板の機会にめぐまれなかった。三十七年選抜大会準々決勝対西濃運輸戦に先発投手としてヒノキ舞台にデビュー、以後角谷、五代らとともに日本ビール投手陣の一角をになって今夏の都市対抗でも対東圧大牟田戦に登板した。夏から現在にかけてマウンド度胸、球質も一段と向上得意の快速球にもみがきがかかってきている。社会人球界屈指の速球投手として注目をあびていた。身長1㍍79、体重70㌔、二十歳。