1961年
同投手は崇徳高のワンマンとしてこの三年間活躍、今夏の甲子園大会広島予選では長身から速球をビシビシ投げ込み、県下ファンの注目を一身に浴びていた。さらに同予選決勝では名門広陵を破って初の檜舞台に進出、一躍クローズ・アップされた。球歴わずか八年の同校野球部が甲子園初出場、その上武生高、新発田農を破ってベスト8に残ったのだから、同投手の力量は相当高く評価されていた。広島カープでは地方予選のころから彼をマークし、球団首脳部は再三会合を開いては同選手獲得の下準備をしていたが、西村投手は夏の大会前までは「とうていプロで投げる自信がないから、ノンプロへでもいきたい」と家族にもらしていたそうだが、今夏大会で自信をつけ「プロで投げてみたい」の心境にいたったようだ。(同校久保監督の話)同投手はさらにさきごろの国体で秋田商今川投手と延々十八回を投げ抜き(奪三振21)零点に押え、引き分け再試合となったが、その実力はいよいよ高く評価されるところとなった。広島カープは国体終了と同時に同選手の勧誘に本腰を入れ始めた。西村投手の父親は昭和二十年に戦死、長兄勲氏(30)が父親代りをつとめて今日まできている。同選手の去就はこの勲氏がカギを握っている。(山口県岩国市津町在住) 西村投手は右投右打、1㍍74、67㌔。
西村投手の話 プロに行くということだけはたしかですが、ぼくのことはすべて久保監督、兄に一任しているので、なんとも申し上げられません。
崇徳高校久保監督の話 私は西村君ならプロで立派に通用すると信じている。私個人の立場上、正式決定まではなんともいえないが、地元カープに入ってくれればと希望している。
実兄勲氏の話 宏は五人兄姉(四男一女)の末っ子です。性格的にみてうまく野球がやれるのかと思っていたが、ぐんぐん成長したようで、私たちが驚いているほどです。甲子園で自信がついたのか、最近はプロへ行って投げたいとも話しています。この間から二三回親族会議を開き、宏の問題で話し合いましたが、進学を強調する人もありましたが、宏は野球も好きなことだし、同じやるならプロへと、私も賛成です。まあ二、三日中には正式に決めたいと思います。
同投手は崇徳高のワンマンとしてこの三年間活躍、今夏の甲子園大会広島予選では長身から速球をビシビシ投げ込み、県下ファンの注目を一身に浴びていた。さらに同予選決勝では名門広陵を破って初の檜舞台に進出、一躍クローズ・アップされた。球歴わずか八年の同校野球部が甲子園初出場、その上武生高、新発田農を破ってベスト8に残ったのだから、同投手の力量は相当高く評価されていた。広島カープでは地方予選のころから彼をマークし、球団首脳部は再三会合を開いては同選手獲得の下準備をしていたが、西村投手は夏の大会前までは「とうていプロで投げる自信がないから、ノンプロへでもいきたい」と家族にもらしていたそうだが、今夏大会で自信をつけ「プロで投げてみたい」の心境にいたったようだ。(同校久保監督の話)同投手はさらにさきごろの国体で秋田商今川投手と延々十八回を投げ抜き(奪三振21)零点に押え、引き分け再試合となったが、その実力はいよいよ高く評価されるところとなった。広島カープは国体終了と同時に同選手の勧誘に本腰を入れ始めた。西村投手の父親は昭和二十年に戦死、長兄勲氏(30)が父親代りをつとめて今日まできている。同選手の去就はこの勲氏がカギを握っている。(山口県岩国市津町在住) 西村投手は右投右打、1㍍74、67㌔。
西村投手の話 プロに行くということだけはたしかですが、ぼくのことはすべて久保監督、兄に一任しているので、なんとも申し上げられません。
崇徳高校久保監督の話 私は西村君ならプロで立派に通用すると信じている。私個人の立場上、正式決定まではなんともいえないが、地元カープに入ってくれればと希望している。
実兄勲氏の話 宏は五人兄姉(四男一女)の末っ子です。性格的にみてうまく野球がやれるのかと思っていたが、ぐんぐん成長したようで、私たちが驚いているほどです。甲子園で自信がついたのか、最近はプロへ行って投げたいとも話しています。この間から二三回親族会議を開き、宏の問題で話し合いましたが、進学を強調する人もありましたが、宏は野球も好きなことだし、同じやるならプロへと、私も賛成です。まあ二、三日中には正式に決めたいと思います。