1963年
近鉄バファローズではこのほど社会人球界随一の左腕小野坂清投手(20)=1㍍77、67㌔、大鉄高出、不二越=の獲得に成功した。小野坂投手は大鉄高時代から左腕にはめずらしいコントロールのいい投手として注目されていた。そして三十五年春の選抜には中井(阪神)伊藤(近鉄)らとともに甲子園へ出場している。今夏の都市対抗予選では名門不二越のエースらしい活躍で信越代表とし、後楽園出場への原動力となった。近鉄では早くから左腕投手を物色していたところ、伊藤、大井両選手が小野坂投手を別当監督に推薦別当監督も小野坂投手のピッチングを一見みるなり、入団交渉を行い、このほど獲得に成功したもの。
近鉄バファローズではこのほど社会人球界随一の左腕小野坂清投手(20)=1㍍77、67㌔、大鉄高出、不二越=の獲得に成功した。小野坂投手は大鉄高時代から左腕にはめずらしいコントロールのいい投手として注目されていた。そして三十五年春の選抜には中井(阪神)伊藤(近鉄)らとともに甲子園へ出場している。今夏の都市対抗予選では名門不二越のエースらしい活躍で信越代表とし、後楽園出場への原動力となった。近鉄では早くから左腕投手を物色していたところ、伊藤、大井両選手が小野坂投手を別当監督に推薦別当監督も小野坂投手のピッチングを一見みるなり、入団交渉を行い、このほど獲得に成功したもの。