プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

堀込基明

2015-03-15 22:33:29 | 日記
1961年

東都大学きってのスラッガーとして定評があり、常に強打をふるってきた専大堀込基明外野手(小諸商出身、二十一歳、1㍍75、70㌔、左投左打)は、プロ球団から誘いを受けていたが、このほど南海入りが決定。シーズン終了後正式契約をかわすことになった。

小諸商時代から好打者として評判の高かった同選手は、専大入学後いち早くレギュラーの位置について好打を発揮した。するどく踏み切るスイングから、目のさめるような好打がしばしばみられたものだ。したがってプロ球団は早くから目をつけていた。今季四割四厘の好率で首位打者となり、争奪戦が開始されたが、大洋、南海、阪急、国鉄などのうち中でも大洋は田村スカウトが中大でマネジャーをつとめ、東都球界の結びつきが深かった関係から交渉にのり出し、一時は大洋入りのうわささえあったくらいだ。しかし学校の先輩でもあり、野球部の先輩でもある杉山選手を介して勧誘にのり出した南海が、これを上回る積極的な交渉に出て、同選手の気持ちを強くつかんでしまった。本人はシーズン中のため、意志表示を避け、専大野球部高橋監督も「私の口からはなんともいえないが、意中の球団は決めているはずだ」とのみ語り、スカウト間の情報を総合すると、南海との間に暗黙の了解がついているようだ。したがってシーズン終了後ただちに契約発表となるものと思われる。

堀込選手の話 南海、大洋、国鉄などからさそわれましたが、まだシーズン中だし、はっきりいえる段階ではありません。シーズンが終わり次第監督さんともよく相談して、できるだけ早く決めるつもりです。

南海橘代表の話 選手権で忙しかったので、くわしいことはまだスカウトから聞いていない。二、三日中にいろいろ話を聞こうと思っている。
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矢野晃・木田優

2015-03-15 22:07:02 | 日記
1963年

中日ドラゴンズでは三十一日名古屋市中区西川端町の球団事務所で福岡県八女高バッテリーの入団をつぎのとおり発表した。

矢野晃投手…身長1㍍78、体重76㌔、右投右打
木田優捕手…身長1㍍68、体重70㌔、右投右打

両選手は中学時代からバッテリーを組み、三十七年の第31回九州大会で優勝。三十八年夏の予選では準々決勝で修猷館をノーヒット・ノーランに押えている。高校時代の通算打率はともに三割台をマークしていた。

富田代表の話 矢野投手はスピードもあり、コントロールもよい。木田捕手の強肩は九州高校球界では定評があるので、研修あけになったら、大いに働いてくれると期待している。

矢野、木田両選手の話 プロ野球は西鉄の試合をよくみる。自分たちの力が通じるかどうかわからないが、仲のよい二人がいっしょに入れたので一生懸命はげましあってやる気だ。
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西村繁一

2015-03-15 21:13:31 | 日記
1961年

西村繁一投手…近畿大、経済学部四年

同投手は近大付属高出身、33年秋(1年生)のリーグ戦から早くも出場、巨人入りした中村(常)が抜けたあとの二年生からエースとして活躍、今秋の六シーズンまで連続優勝の立役者になっていた。やや上背にめぐまれないが、上手からの本格派でコントロールがいい。すでに藤本監督も下見している。今春(神宮)の学生野球協会結成記念大会の優勝戦、対立命戦では3安打の散発に押える鮮やかなピッチングをみせて完投した。当時巨人が早くも交渉を行ったが、本人の希望がノン・プロだったために進展しなかった。秋のリーグ戦途中からスカウト攻勢がはげしくなり投手陣の手薄な近鉄、広島が強引に口説いていたが「地元のチームでやりたい」という本人の意思から阪神入りに決まり、27日河西スカウトが松田監督と最終的に話し合った上了承を得て決定したもの。1㍍88、72㌔、右投右打。

西村繁一(にしむらしげかず)投手 近大付時代は投手兼外野手だったが、近代入学後投手専門となり、エースとして活躍してきた。公式試合での通算成績は18勝2敗防御率0・639、ベスト・ナインに三度選ばれるなど本格派投手としてすぐれた成績を収めている。今春の学生野球協会結成記念大会で優勝。球種は直球、カーブ、ドロップ、シュートをもっているが、武器はストレート。稲尾、村山が好きというように真っ向から勝負していく投手で、中退して南海入りした西村省三投手の二年先輩になるが、投手補強に遅れをとった阪神としては大きな期待がかけられている。昭和十四年五月二十二日生まれ。二十二歳。1㍍71、89㌔、右投右打。
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大畠康嘉

2015-03-15 20:56:50 | 日記
1961年

国鉄入りが内定していた日大の大畠康嘉二塁手(22)=1㍍78、75㌔、右投右打=の正式入団発表が五日午後三時から有楽町の国鉄球団事務所で行われ、会場には大畠選手の母親あいさん(52)球団側から北原代表、西垣スカウトらが出席した。同球団では大畠投手は投手として登録すると発表した。

大畠選手の話 高校から大学一年の秋まで投手だったが、肩が重くなって内野に転向しました。でも、やはり投手をやりたかったのでリーグ戦に入ってからピッチングをしていましたが、投手としての自信はいくらかあります。
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小川博

2015-03-15 20:47:35 | 日記
1961年

小川博二塁手…小川選手は今秋の東京六大学リーグ戦で四割七厘をマーク、首位打者になり、はじめてベスト・9に選ばれ、法大優勝の原動力となった。華麗な守備とシュアなバッティングは定評があり、阪急のほか5球団が交渉に当っていた。阪急は補強の重点を内野陣の充実においていただけに小川の加入は大きなプラスといえる。身長1㍍74、体重72㌔、右投右打、昭和十五年一月二十五日生まれ。趣味映画。

岡野専務の話 早くから丸尾スカウトが交渉に当っていた。獲得できてうれしい。すぐ使える二塁手で、監督からもいわれていた内野陣の充実の点で大きなプラスになったと思う。

戸倉監督の話 守備がいいしバッティングもシュアなのですぐ使える。高校、大学を通じ二塁手だし、二塁をやってもらう。

小川選手の話 プロ野球はあまり見ていないが、阪急はプロらしい品のあるチームだ。第一線に出ることが先決問題だが、そのためには努力しなければならない。身につけたいことが多いが、キャンプではよくおそわるつもり。バッティングでは外角球を一応打ちこなせる自信があるので、内角球を打てるようにしたい。
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佐々木幸男

2015-03-15 20:38:03 | 日記
1961年

阪急ブレーブスでは二十日午後四時大阪梅田の航空ビル内シルバーでノン・プロ東北電電の佐々木幸男投手(19)=秋田県金足農高卒=の新入団を発表した。発表には木地相談役、高田代表補佐、丸尾渉外部長、戸倉監督が立ち会った。背番号未定。佐々木投手は今春金足農高を卒業すると東北電電に入社したが高校時代三十五年の夏の高校予選で成田(現大毎)をようした秋田商を相手にノーヒット・ノーラン・ゲームした記録をもっており、東北電電の在籍はわずか一年間だったが、今夏の都市対抗東北予選では決勝戦まで進み、常盤炭鉱を1ヒットに押えている。中央球界ではあまり知られていないが、スピードがあり、本格派投手だけに期待されている。身長1㍍76、体重74㌔、右投右打、昭和十七年九月三十日生まれ。

佐々木投手の話 阪急はピッチング・スタッフがそろっているので入った。得意球はストレート。どこまでやれるかわからないが一日も早く第一線で投げられるようがんばりたい。プロに入った以上はそのチームのエースの人を目標にしたい。夏場でバテないようキャンプでみっちり練習したい。

戸倉監督の話 球が速いということだし、正統派なのですぐ使えると思う。いままでとまるっきり違った世界に入ったのだから早くプロの水になれるよう努力してもらう。

丸尾渉外部長の話 今夏の山形での都市対抗予選でみたところ体がいいし、スピードもあり手首の返しも申し分なかったのでさっそく交渉したわけだ。ダイナミックな投手なので期待していい。大毎、大洋なども交渉していた。
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福田信夫

2015-03-15 15:58:34 | 日記
1961年

福田信夫投手…立大、左投左打、身長1㍍77、体重75㌔

福田投手は育英高時代からも本格派投手として注目され、大毎から勧誘をうけていたが、中央球界でクローズ・アップされたのは立大に進学してから、今春東京六大学リーグ新人戦の対法大戦に登板して法大打線を散発3安打に押え込んだピッチングからだ。三振か四球かという荒っぽいピッチングだったが、この試合を観戦していた川上監督や砂押監督がその球威にほれ、巨人は沢田スカウトがしばしば福田を連れ出し川上監督の自宅に同行、説得につとめ、国鉄は砂押監督が立大の先輩であるのと森滝投手が福田投手にとって神戸市夢野中学時代の先輩であるところから説得につとめた。両球団にくらべると中日はむしろ出遅れの感じだった。しかし中日は高田代表じきじきの出馬で神戸の某有力者を通じて両親の説得をする一方、柴田スカウトが上京して本人をくどいた。この手ぬかりのない両面工作が誠意となって実ったのだ。福田投手はもともと巨人ファンだったが、今春神戸に帰省、育英高の後輩らと練習したおり、高校時代の監督からピッチング・フォームが変わったことを指摘された。三振か四球という制球難はいぜん解消されないばかりか、高校時代よりムリなピッチングとなっていたのである。「このままではますます悪くなる一方」という本人の悩みが、思い切って大学を中退、プロ入りに踏み切らせたのである。好きな巨人を振り切ってまで中日入りした裏には高田代表の熱意もさることながら、石本コーチによって自分の素質を引き出してもらいたいという福田投手自身の気持ちからほかならない。同投手はさっそく七日中日球場で軽くピッチング練習を行ったがそのピッチングをみた石本コーチは「体もいいが、フォームもいい。ただ投げるときちょっとヒジが曲がる。この欠点さえ直せば大きな期待がもてる」といっていた。

柴田スカウトの話 体もいいが、根性がある。立教の練習をみにいっても非常に目立った存在だった。ちょうどのびざかりでもあり、石本さんにコーチを受けたらきっと来シーズンは巨人の村瀬君に負けないような投手になると思う。

濃人監督の話 柴田スカウトの話や石本さんの話を聞いてみると非常に素質のある投手だという。少々制球難ではあるが、第一線に出られる力をもっているというから非常に期待している。
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押田令三

2015-03-15 15:43:06 | 日記
1961年

大毎オリオンズではこのほど兵庫県篠山鳳鳴高の右腕投手押田令三選手(18)の入団をきめた。押田投手はこの夏の予選終了後大毎のテストを受け野口、田中コーチがみた結果採用の線を出したもの。すでに入団の契約は完了している。

押田令三投手…篠山鳳鳴高、1㍍82、72㌔、右投右打

押田投手は中央球界にはあまり知られていないが、県下では屈指の速球投手だった。未完成ではあるが、将来が大いに期待されている。

青木チーフ・マネージャーの話 押田投手はスピードが身上の投手だが、未完だ。しかし将来性は十分あり、完成すれば阪神の小山投手のようになってくれると思う。

押田投手の話 目標は阪神の村山投手のようなダイナミックな投手になることです。コントロールがやや悪いので、この点を何とかして、思い切り投げまくるつもりです。
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大宮健資

2015-03-15 15:32:15 | 日記
1962年

大宮健資投手…1㍍80、75㌔、右投右打、宮城県大河原高

大宮投手は中央大会に出場しておらず、全くの無名選手である。武器は速球で、変化球のコントロールもよく非凡さがうかがえる。そのタイプは石井茂投手と似かよったところがあり、素質の点でも申し分なく、将来を楽しませる。
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及川宣士

2015-03-15 11:27:04 | 日記
1962年

東北高の及川宣士投手=1㍍80、77㌔、右投右打=はこのほど大洋入りにふみ切ったもようである。及川投手は35年夏の第42回全国高校野球選手権大会に一年生ながらユニホームをつけて出場、そして昨夏の大会では一塁手として大活躍、当時からスカウトの間では高く評価されていたが、エースとなった今夏は予選準決勝で保原高に惜敗、三年連続甲子園出場の夢はたたれた。しかし予選終了後その将来性を見込んで巨人、大洋大毎、阪急の四球団が及川投手獲得に乗り出していた。なかでも大洋は同投手の自宅(福島県)を再三訪れ、このほど同投手の入団了承を得たもようである。
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岡野義光

2015-03-15 11:21:45 | 日記
1962年

中日ドラゴンズはかねて入団が内定していた社会人野球三協精機の岡野義光捕手(22)=明大出=と二十二日午後名古屋市中区西川端町の球団事務所で正式契約した。同選手は右投右打、身長1㍍79、体重75㌔で明大時代は勝負強さを買われて代打に出ることが多かった。プロ球界から注目されだしたのは三協精機入社後で、恵まれた体格と天性の鉄砲肩に中日はじめ巨人、大毎、東映、阪急、近鉄の各球団が昨年から食指を動かしていた。結局柴田スカウトの粘りが成功して中日が射止めた。三協精機での通算打率は2割8分5厘、ホームランは中央大会で8本を記録、長野県社会人野球大会では三度最高殊勲選手に選ばれている。過去二年間いまだ盗塁を許したことがないという記録の持ち主でもある。中日では二十七日の国鉄戦からベンチ(一軍)入りさせる。背番号は62。
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里見進

2015-03-15 10:34:29 | 日記
1961年

大毎オリオンズではこのほど群馬県富岡高の四番打者里見進捕手(18)を獲得した。里見捕手は一年生のときから常時ゲームに出場、今シーズンは四番を打ってチームのけん引車となったが今夏甲子園大会の予選では準々決勝で桐生高に敗れて涙をのんでいる。たまたまこの夏イースタン・リーグで遠征した大毎の山田、保坂両コーチが見そめ交渉を重ねていたもの。身長1㍍74、体重75㌔、右投右打。
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小川幸一

2015-03-15 10:02:10 | 日記
1961年

国鉄球団では二十九日午後、芝工大一塁手小川幸一選手(22)=1㍍78、70㌔、右投右打、熊本商出=の入団を発表した。同選手は卒業試験のため来月早々川崎球場での第二次トレーニングから参加することになっている。背番号は55。

砂押監督の話 体もあり、長打力もあるので一年くらいみっちり鍛えればいい選手になると思う。ことし一塁に丸山、星山などいい選手が入ってきたが、競争によってポジションを獲得してもらいたい。

小川選手の話 一時は学校を出てから郷里の方へ帰るつもりでしたが、どうしても野球から離れることができませんでした。プロ野球はちょくちょくみていますが自信は?と聞かれても返事に困ります。ともかく一生懸命やるだけです。
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井置博文

2015-03-15 09:38:34 | 日記
1962年

阪急ブレーブスでは二十四日午後二時半から大阪梅田の同球団事務所で飾磨高の井置博文投手兼外野手(18)の入団を発表した。発表には岡野専務、藤井スカウトが立ち会った。背番号未定。井置選手の今季の打撃アベレージは四割三分。本塁打16本、高校三年間の通算本塁打は26本をマークしている。兵庫県高校球界№1のバッターだった。阪急では同選手の長打力を買って期待している。身長1㍍79、体重79㌔、右投げ右打ち、昭和十八年九月生まれ。

岡野球団事務の話 打撃強化の意味で本人も打撃に自信を持っているようなので大いに期待している。早くから藤井君が目をつけやっと入団の運びになった。まったくくれしい。

井置選手の話 バッターとして一本立ちしたい。別に抱負ってないが、がむしゃらにやりたい。
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寺本勇

2015-03-15 09:10:12 | 日記
1961年

寺本選手は、すでに二十日から川崎球場で挙行されている大毎の秋季練習に参加しているが、今秋の六大学リーグ戦では打率4割1分をマークしてベスト・テンの第二位、ベスト・ナインに選ばれた。芦屋高から立大に進学。身長1㍍77、体重74㌔、右投右打。

寺本選手の話 先輩の保坂さんがいたことと、宇野監督と何度か会っているうちにその人柄にひかれた大毎入りを決意した。

宇野監督の話 寺本君については春のリーグ戦が終ったころからそれとなくみてきた。とくに山田コーチが体に似合わずパワーのある打者だと推奨、その後、秋のリーグ戦での活躍ぶりをみて田宮山内につづく次代のホープという感じをもった。練習で実際に彼の打撃にふれてみたが、パンチのある打者だ。
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