1963年
元大毎のビル・西田投手がこの日国鉄のキャンプに参加してテストを受けた。さる二十四日まで大洋のキャンプに加わっていたのだが、不採用となったため友人の宮本を頼ってこんどは国鉄を訪れたもの。小山コーチの61番のユニホームに着かえると浜崎監督の見守る中に片岡を相手にさっそくピッチング。「二十四日までやっていた」だけあって変化球もまじえて約百球ほど全力投球を行った。「スピードは無理としてもカーブ、スライダー、チェンジ・アップなどで十分やれると思う」と自信満々。浜崎監督は「二、三日見てから」と採用を後日にのばした。
元大毎のビル・西田投手がこの日国鉄のキャンプに参加してテストを受けた。さる二十四日まで大洋のキャンプに加わっていたのだが、不採用となったため友人の宮本を頼ってこんどは国鉄を訪れたもの。小山コーチの61番のユニホームに着かえると浜崎監督の見守る中に片岡を相手にさっそくピッチング。「二十四日までやっていた」だけあって変化球もまじえて約百球ほど全力投球を行った。「スピードは無理としてもカーブ、スライダー、チェンジ・アップなどで十分やれると思う」と自信満々。浜崎監督は「二、三日見てから」と採用を後日にのばした。