プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

淵上信彦

2015-03-01 20:29:08 | 日記
1962年

淵上信彦投手…1㍍78、73㌔、右投右打、熊本県水俣高、昭和十九年六月二十五日生

同投手は今夏県予選(二回戦)で熊本商と投げ合い2-1で惜敗したが、そのピッチングは高く評価され、西鉄、阪急、巨人、広島が勧誘にのり出していた。広島には久野スカウトが交渉に当っていたが、このほど熱心な勧誘が実り、同投手獲得に成功したもの。

淵上投手の話 プロ野球はテレビでみているくらい。巨人、西鉄などから誘いを受けていたが久野さんが熱心に誘ってくれるので広島にきめた。明るいチーム・カラーも魅力の一つです。中学時代からずっとピッチャーをしていたのであくまで投手として進みたいと思っています。
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高林恒夫

2015-03-01 20:23:05 | 日記
1959年

三十年春の甲子園大会に立教高校の四番打者として出場、翌年立大に進んだ。一、二年生は不遇にあえぎ、一時はマネジャーへの転向もすすめられたくらいだった。しかし選手としての意欲にもえ、持前のカンバリで着々と地力を養った。そしてチャンスの与えられた三年生の春、いきなり三割五分九厘の好打率をマークしてベスト・テンの三位をしめ、四年生の秋には念願の首位打者となって春についでベスト・ナインにも選ばれた。この年の六月開かれた第三回日米大会にも全日本軍に選抜され四割強の好率をあげている。今春熊谷組に入社、都市対抗大会で六割強の高率で首位打者賞と橋戸賞を獲得、優勝の立役者となっている。社会人球界にとどまらずアマチュア球界きっての好打率と折り紙をつけられている。
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矢ノ浦国満

2015-03-01 19:49:20 | 日記
1959年

矢ノ浦選手も身長1㍍76、体重70㌔という大型選手。今夏の県予選では打率四割をあげ、中距離打者として九州地区では屈指の遊撃手として注目を浴び、巨人を除く各チームが勧誘にのり出していたもので、やはりスカウトに当っていた加藤技術顧問は「いますぐにでも使える選手だ。バッティングもムリのないきれいなフォームだし、守備もなかなかカンのいいプレーをする」とその力量を高く買っている。

矢ノ浦選手の話 地元の西鉄を選ぶか、近鉄にお世話になるかずい分迷いましたが、早く第一線に出場できるチャンスの多い近鉄を選びました。プロ野球人として生きる以上早く出場して二割五分以上の成績はあげたいと思いますが、ボクとしては速い球はなんとか打てても変化球にはまだまだ弱いので、一、二年はみっちり鍛えてもらおうと思っています。
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板東里視

2015-03-01 19:42:24 | 日記
1959年

板東投手は身長1㍍80、体重75㌔という巨漢で、長身を利しての快速球は四国球界では折紙つき。今春の四国地区大会予選では徳島東工相手にノーヒット・ノーラン・ゲームを演じており、早くからプロ・スカウトの目に止まっていた。スカウトに当った加藤技術顧問は「大型選手によくみられる変なクセがなく、非常に素直なフォームだ。いますぐ使えないが、二、三年みっちり鍛えればきっと大物になるだけの素質をもっている。別所のフォームによく似ており、十分期待できる」と語っている。

板東投手の話 いままでは速球とカーブでなんとか投げていましたが、プロではこれだけの球種では通用するはずがありません。だからまずシュートを覚えたいと思っています。コントロールの方はまあまあですが、とにかく早く第一線のプレートに立って投げられるように努力したいと思っています。
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白川久夫

2015-03-01 18:37:37 | 日記
1959年

阪急ブレーブスでは二十一日午後三時元国鉄スワローズの白川久夫投手(20)=金沢高出身=の入団を発表した。白川投手は三十三年金沢高校から国鉄スワローズに入団したが、国鉄在団の二年間に芽が出ず、もっぱらファームで活躍していたが、今シーズン末自由契約選手となったもの。オーバー・ハンドからの速球にはかなりの威力があり、阪急では将来性を買っている。身長1㍍86、体重78㌔、右投右打、昭和14年11月26日生まれ。
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福沢幸雄

2015-03-01 13:19:41 | 日記
1959年

福沢幸雄外野手…日鉄二瀬、嘉穂東高出身

福沢外野手は、江藤にまさるとも劣らぬ長距離打者で、二瀬では、江藤なきあとをうめ、今年は四番を打ち打撃二割九分、本塁打7本をたたき出している。身長1㍍77、体重75㌔、右投右打。

福沢選手の話 野球をやるならプロで…とははじめから考えていた。しかし実際にプロに入ってどの程度自分の力が通用するものかどうかは分からない。九州から離れたのはこれまで一度あるきりでほんとうの田舎者だからそういう点でも不安ではあるが、全力をあげてなんとかやってみたいと思っている。
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井上善夫

2015-03-01 13:14:20 | 日記
1959年

西鉄ライオンズでは三十日午後二時より福岡市天神町同球団事務所で日大二高井上善夫投手(18)左投左打と正式契約を完了したむね西社長から発表した。この日午後一時四十分、両親と姉につきそわれて球団事務所に姿を現した同投手は、西社長、川崎新監督立ち会いのもとに契約を完了した。同投手は三十四年春の甲子園選抜大会に日大二高のエースとして甲子園へ出場、初戦で敗れはしたが、同年夏の甲子園大会にはチームを準決勝まで進出させ、右の杉町(長崎南っ山高=西鉄と契約済みと並び左の井上と一躍クローズ・アップされ、その後高校選抜渡米チームにも背番号1番をつけ、同チームのエースとして4勝を記録している。さらに今秋の国体でもチームを優勝に導くなど、井上の株はぐんと上昇、プロ全球団から勧誘を受けるというスカウト戦線の中心となった。なかでも地元巨人の強引な勧誘に一時巨人入りが濃くなったが、多田スカウトの努力と、三原前西鉄監督の熱意が功を奏し、十一月十日の家族会議の結果、同投手の希望どおり西鉄入団にふみ切った。なお契約を完了した同投手は三十日午後八時十分板付空港発の日航最終便で帰京した。身長1㍍79㌢、体重77㌔。
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