プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

江口晴造

2015-03-08 23:19:27 | 日記
1963年

大毎オリオンズでは十九日午後一時から、大阪市北区堂島の毎日会館内大毎球団事務所で江口晴造投手(21歳、185㌢、73㌔、左投左打、背番号未定)の入団を発表した。京都桃山高を二年で中退、以後今年の五月までノンプロ積水化学で投げていた。しかし積水時代も竹村、伊藤両エースのカゲにかくれて、登板の機会はなく、無名の選手だった。青木チーフ・スカウトが江口投手の素質を認めたのは、同投手が高校に入学した当時だったが、最近近鉄、東映が誘ったため、一気に契約にこぎつけたものである。

江口投手の話 小野投手は同じ左であるので目標にします。いまは指導者からいわれるままに下半身の鍛錬に全力を上げています。階段を登ったりしましてね。大毎の試合は時たまテレビで見る程度でしたが、チーム・カラーが好きです。一生けんめいがんばりたいと思っています。
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上田武司

2015-03-08 22:44:25 | 日記
1963年

読売巨人軍では十八日午前十一時から大阪読売新聞本社で鳴尾高上田武司投手(17)の正式入団発表を正力副社長、佐々木代表、川上監督、上田投手の両親立ち会いのもとに行った。上田投手が本格的に投げだしたのは今年の夏ごろからであり、それまでは一塁手兼リリーフ投手であった。しかし183㌢、75㌔という体格から投げ込むストレート、ドロップの威力は高校離れしており、また打者としては四番を打ち、今年50試合で三割四分、8本塁打のアベレージを残しているように、投手としても打者としても通用する力を持っている好選手である。二年中退で入団したわけだが、上田投手は三十六年四月に県立尼崎高の定時制に入学、事情があって改めて三十七年に改めて鳴尾高に一年生として入学した関係もあって、来年の公式試合に出場できないためにプロ入りした。巨人軍ではなんとか高校だけは卒業させたいという考えから、来年合宿から東京高校夜間部に通学させるという。昭和二十一年三月十六日生まれ。右投右打、背番号は未定。

上田投手の話 投手として本格的に投げ出したのは今年の夏からだが、いまでは打者としてよりも投手の方に自信がある。あくまでも速球を武器として力で押し切る投手になりたい。
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富恵一

2015-03-08 21:47:42 | 日記
1963年

富恵一外野手…1㍍76、73㌔、右投右打、関西大学経済学部

同選手は関西大学リーグで随一の強打者といわれ、早くからスカウトの勧誘をうけていた。高校時代投手をやったことがあるが、大学では外野手、主として中堅を守っていた。二年生(三十六年)秋のリーグ戦でデビューした。デビュー試合でホームランを記録している。三年生(三十七年)春のリーグ戦からレギュラーになり、同年秋のリーグ戦ではベスト・テン二位(三割五分)の成績、同年の大学選手権大会にも出場している。中肉中背で先輩藤井外野手とよく似たタイプ。大学四年間でホームランは2本。

富恵選手の話 大洋、広島などからさそわれたが、村山、藤井さんなど先輩の多い阪神を選んだ。自分では中距離打者だと思っている。だから本塁打よりも確実な打者になりたい。一日も早くプロの雰囲気になれて根性のある選手になりたい。目標は先輩の藤井さんだ。秋のリーグ戦はフォームを崩したのと、調子のスランプであまりよくなかった。

戸沢代表の話 関西のリーグで強打者といわれてきた富恵君であり、成績も非常にいいので十分やれるだけの力をもっているだろう。村山、藤井という先輩を得ているので、一日も早く成長してくれるものと期待している。

藤井選手の話 二年先輩だから、大学で二年間一しょだった。だからボクからいうことは一生懸命やってくれということだけ。
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藤野智成

2015-03-08 21:13:16 | 日記
1964年

西鉄、大洋、巨人7、阪急などから積極的な勧誘を受けてその去就が注目されていた山口県水産高の四番打者藤野智成(18)=1㍍76、75㌔、右投右打=は一日「在阪球団に入りたい」と語り、阪急入りが決定した。正式発表は今月中旬の予定。今夏の予選で水産高は三回戦で早鞆高に敗れ、全国大会には出場できず全くの無名チームだが、西中国地区ではダークホースとして注目されていたチーム。なかでも今春の地区大会当時からメキメキと腕をあげてきた四番打者藤野選手の存在は大きく、すでにプロ入りが決まった池永(下関商ー西鉄)亀井(早鞆ー大洋)とともに山口県下でベスト・3に数えられていた好守好打の選手だった。藤野選手は大型ではないが、腕っぷしの強さは人並みはずれたものを持っており、かなりの長打力を秘めている。獲得にのり出していた各スカウトは「ホームラン打者ではないが、俊足であり、中距離バッターとしてプロでも十分通用する」と口をそろえて語っている。強肩でもあり、阪急にとっては若手の外野手が伸びなやんでいるときだけに、大いに期待されている。
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津野剛志

2015-03-08 20:46:43 | 日記

1964年

津野剛志投手…宮崎南高、右投右打、1㍍75、73㌔

津野投手は九州球界ではほとんど無名に近いが、速球派の好投手。
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野呂瀬義昭

2015-03-08 20:43:44 | 日記
1963年

野呂瀬義昭投手…1㍍74、70㌔、右投右打、PL教団

野呂瀬投手は高校時代からその素質を高く評価されていた選手で、ノンプロPL教団での活躍が待たれていたが、今夏PL教団チームの解散したのを機にプロ入りに踏み切ったもの。

野呂瀬投手の話 もう阪急の練習に参加しているのでプロにはだいぶなれてきた。紅白戦でも投げているのでやる自信はある。米田さんを目標にがんばりたい。
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平沼一夫

2015-03-08 17:43:17 | 日記
1964年

南海、中日、東京から誘われていた社会人野球西濃運輸のエース平沼一夫投手(22)=中京大卒、1㍍76、75㌔、右投右打=の東京オリオンズ入りが決まった。平沼選手は中学時代(岡崎葵中)は陸上と野球をやっていたが、高校(中京商)に進学と同時に野球一本に打ちこんだ。ところが体格に恵まれず打者を押えるスピードをもっていなかった。そこで体重を増やすため毎日朝と晩、欠かさず肉類を食べ、体づくりに打ち込んだというエピソードがある。この努力が三十四年の第三十一回選抜高校野球に優勝と結びついたのは有名な話。大学時代(中京大)にも三十七年連続二回最優秀投手に選ばれる活躍をしたが、どちらかといえば力で押す投手ではなくスピードの不足を、頭脳とコントロールで補っていた。平沼のこの点を考え、プロをあえて希望せずノンプロ(西濃)に入ったものである。西濃に入ってからも文字どおりエースとして活躍、ことしの都市対抗野球では日本鋼管に一回戦で敗れはしたが、この大会でプロでやれる自信を持ち、このほどプロ入りに踏みきったものである。また平沼選手は高校時代石黒(東京)ど同期でもある。

青木スカウトの話 ことしの都市対抗野球で活躍したのを見ており、本堂監督も十分プロで通用するといっていたので獲得にのり出した。スタートではかなり遅れをとっていたが、なんとか明るい見通しを立てられるまでになった。
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鴇田忠夫

2015-03-08 17:17:17 | 日記
1963年

大毎オリオンズは二十五日午後一時南千住の球団事務所で千葉商鴇田忠夫遊撃手(18)=1㍍71、70㌔、右投げ左打ち、背番号未定=の入団発表を松浦代表、本堂監督立ち会いのもとで行った。同選手は江田(阪神)とともに関東高校球界随一の大型三遊間を形成三番打者として三年間の通算打率三割七分、本塁打十本の好成績を残している。

松浦代表の話 高校時代から有名な鴇田君のことだ。みんなよく知っていることだし、彼の入団は必ずうちの戦力となるだろう。

本堂監督の話 右投げ左打ちというのは野球選手の理想で、今後うちの八田のようなプレイヤーになる素質をもっている。腕力があり、守備もよいので大いに期待している。

鴇田選手の話 プロに入ったからには一日も早く第一線に出たい。代打でも代走でも試合に出ることが先決問題。自分のやりたいのは三塁手だ。大毎はよく打つチームなのでそれにひかれた。
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杉本郁久雄

2015-03-08 17:01:26 | 日記
1964年

今春の選抜大会で好投手とうたわれていた倉敷工杉本郁久雄投手(18)=1㍍81、67㌔、左投左打=はこのほど阪神入りが内定した。正式な意思表示はオリンピック大会後に行われる。同投手は中日入りした菱川外野手のカゲにかくれていたが、春の選抜大会では本格派の左投手として注目されていた。切れのいいシュートと、上背からのスピード・ボールは威力を持っている。阪神は菱川獲得に失敗したあと、交渉をつづけていた。夏の大会後は東京広島などが説得していたが、進学を希望して立大入りがほぼ決定していた。しかし、同投手はプロ入りにあこがれを持っていた。最近阪急が積極的に話し合いをすすめたが、交渉の早かった阪神の熱意がみのったもの。広島の杉本投手の実弟。

倉敷工・小沢監督の話 立大に行くことになっているが、杉本はプロ入りにあこがれを持っている。最近阪急、阪神から話があったようだが、オリンピックが終わるまでプロ入りの話は保留することにしている。
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高木孝三

2015-03-08 16:53:07 | 日記
1964年

中国社会人球界で屈指の速球投手としてプロ球界からも注目を集め、その去就が注目されていた航空自衛隊防府基地の高木孝三投手(21)=1㍍74、67㌔、右投右打、広陵高出=はこのほど大洋入りが決まった。高木投手は今夏の都市対抗野球で中国第二代表として出場した山門鉄工所の補強選手として後楽園へも出場、本格派投手として実力を大いに発揮して活躍、スカウト連から注目を集めていた。そして九月に入ってから広島、西鉄、大洋の間で争奪戦が演じられていたものだが、引地スカウトの積極的な勧誘が実って大洋入りが決まったもの。なお同選手はすでに九日からはじまった秋季練習にも参加している。またさきの産業対抗野球でも陸上自衛隊が異色チームとして出場しているが、自衛隊チームからのプロ入り選手は初めてのものである。
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谷哲男

2015-03-08 15:25:01 | 日記
1964年

中日ドラゴンズでは三十日午後三時から中区南外堀町の同球団事務所で市立西宮高の谷哲男投手(17歳、1㍍83、73㌔、右投右打)の入団発表を行った。なお背番号は未定。同投手は甲子園に三回出場、友光投手とともに活躍。ことしの春の選抜では準々決勝まで勝ち進んだ。サイド・ハンドの友光とは違って本格派、それだけに阪急、南海、阪神の在阪球団が食い下がっていたが、進学ということで見送ったやさきのことであった。谷投手の今年度の成績は16勝3敗、防御率0・65、奪三振153、与四球13、また通算打率は三割一分。

谷投手の話 ボクはあくまでプロ志望であったが家庭の事情で進学することになっていた。だがやっと希望がかなってうれしい。しかし果たしてどれだけやれるかわからない。その反面プロには専門のコーチがいるので気丈夫だ。さしあたっては足腰を鍛えるつもりだ。ボクは九州で育ったせいか稲尾さんのようになりたい。

吉江代表の話 監督、コーチがみた上でそれならとほれこんだ。在阪球団が狙っていたが進学ということで手を引いただけに、ウチとしては拾いものだ。
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井上健仁

2015-03-08 15:09:38 | 日記
1963年

井上健仁投手…右投右打、1㍍74、72㌔、横浜高

井上投手は今夏の甲子園大会で話題をまいた好投手で、横浜高を準決勝まで進出させた。大洋、国鉄からなども勧誘されていたが、投手陣強化に重点をおいた東映がいとめたわけ。井上投手は、選手権大会終了後のハワイ遠征メンバーにも選ばれた本格派の好投手である。

井上投手の話 東映のほか大毎からも話があったが、東映のチーム・カラーが好きなので入団した。正直なところぼくは投げることよりも打つ方が好きなのだが、投手としてのぼくを買ってくれたのだから一生懸命がんばって一人前の投手になりたいと思っている。
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門谷昭

2015-03-08 14:32:41 | 日記
1964年

広島カープでは早くから高知県安芸高のエース門谷昭投手(18)に注目していたが、このほど獲得に成功した。同投手は今春の選抜大会に出場、左腕からの速球で岐阜東を堂々4安打の散発に押え、一躍注目を浴びた。入団発表は八、九日ごろ行われる予定。

門谷投手の話 体があまり大きくないのでいろいろ考えましたが、プロ入りに踏み切った以上、根性でやり抜くつもりです。
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木村重視

2015-03-08 14:03:26 | 日記
1964年

近鉄バファローズでは二十四日午後四時から森ノ宮日生球場内の同球団事務所で近大付属高の木村重視捕手(18才=身長1㍍78、体重81㌔=右投右打)の入団を正式に発表した。背番号は未定。同選手は強肩、強打の大型捕手として大阪高校球界では注目を集めていた選手。高校在学中は一年生から六番捕手でレギュラーになり二年生から四番打者として活躍した。三年間の通算打率は三割四分三厘、ホームラン20本をマークしている。近鉄としてはホームラン20本という彼の馬力と強肩に目をつけ期待を寄せている。交渉は根本二軍コーチが担当、東京オリオンズと争ったが、同コーチの熱心な勧誘が実ったもの。

木村選手の話 東京からもさそいがありましたが、近鉄が在阪球団であることと、中学の一年先輩に小玉さんの弟さんがおられたので近鉄を選びました。プロではインサイド・ワークを勉強したいと思います。目標は吉沢さんです。ボクは肩には自信があります。バッティングは外角球の方がスムーズにバットが出ます。とにかく一生懸命がんばります。

岩本監督の話 まだ木村君のプレーはみたことがないが、体はガッチリしているし、吉沢君のインサイド・ワークを早く見ならえば大型捕手に成長してくれるだろう。強肩強打で腕力が強く楽しみにしている。

永江球団社長の話 木村君は立派な体をしているし、まじめな選手なので必ず期待にこたえてくれると思う。
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寺岡孝

2015-03-08 13:51:43 | 日記
1964年

広島カープでは二十四日午後三時同球団事務局で専大の四番バッター寺岡孝(22)の入団発表を行った。同発表には山本代表、白石監督も立ち会った。昭和十七年九月十三日生まれ、身長1㍍75、体重75㌔。寺岡選手は通算6ホーマーを放ち末次(中大ー巨人)とともの東都大学のスラッガーとしてプロ球界から注目されていた。宮崎商から投手として専大に入ったが、すぐ打力を生かして外野に転向、四年生のときから一塁手として活躍した。今春のリーグ戦では三割二分をマーク、ベスト・テンの三位に入り東都ベスト・ナインにも選ばれている。カープでは右の外野手が手薄なところから寺岡の勧誘に積極的だった。白石監督は右の代打要員としぶといバッターと印象を受けた。特に腕っぷしが強く腰も強い。ウチの外野は左には優秀なバッターが多いが右が少ない。できるだけ早く第一線に出てがん張ってもらいたい。

寺岡選手の話 二、三の球団から話がありましたが、一番熱心にさそって下さったカープにお世話になることにしました。プロは一度もみたことがありませんが第一線に一日も早く出たいと思っております。課題は腕を強くすること。足はベース一周14秒8くらいで自信があります。
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