プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

坪井新三郎

2023-10-07 20:00:08 | 日記
1970年
広島・国貞選手のソックリ・ショーでもあれば間違いなくチャンピオンになるだろう。いかつい顔つきばかりでなく、168㌢、63㌔の小さなからだー外観はもちろんプレーまでそっくりだ。肩をいからせたフィールディング、ランニング・スタイル。バッティングもいたって粘っこく、死球でも喜んで一塁へスタスタ。違うところは国貞選手がクローズドスタンスだが、坪井はスクエアスタンスということだけだ。入団のいきさつも全く同じ。坪井はドラフト会議にも名前があがらず、テストで入団した。キャンプでは相手にされず、足早く名古屋に戻った組に入れられた。ところが、ウエスタン・リーグが始まると頭角を現してきた。「とにかくしつこい。ダニみたいなやつだ」(本多二軍チーフコーチ)といわれるほどボールに食いついて、ニックネームが「ダニー坪井」とつけられた。そして六月に待望の一軍入り。六月二十六日の巨人八回戦で三塁線のゴロを二度拙守して定位置獲得のチャンスを逃したが、ファームではリーディング・ヒッターに輝いた。「一軍のスピードについていけないために自分の特徴を生かせなかった。バッティングでは振り幅が広くなって28打数でたったの4本しかヒットが出なかったし、守りでも、上手な一枝さんがいるので、つい安易になって、もう一歩踏み込みがなかった」坪井は大いに反省していたが、比較的あっさりした性格の中日ナインの中では異色の存在だ。十二月十三日には大岩瑞代さん(23)=愛知県知多郡知多町内海利屋、果樹園経営、精市氏長女=と結婚式をあげる。「女性まで三年かかってくどいたのか」とひやかされているが「とにかく来年はことしの試合数(18)の倍は出ようと思っています。生活がかかってきますし」と控えめながら来年への抱負を語っていた。


本多二軍チーフコーチの話 ニックネームそのものの粘り強い性格をグラウンドで十二分に発揮している。いわゆるゲームに使いやすい性格だ。ウチのプレーヤーはどちらかといえば淡白な性格が多いだけに得がたい存在だ。いろいろのタイプがそろってこそゲーム運びにも楽になる。その意味で坪井は楽しみだ。テストで入団、苦労しているので根性もあるし、一軍のスピードについていけるようになれば目立たないが面白いプレーヤーになるだろう。

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柳田利夫

2023-10-07 19:57:24 | 日記
1962年
熱海伊豆山の納会に出席した柳田が、田宮の運転するオペルで都内上野の根津八重垣町にある青葉荘に帰ってきたのは、午後五時だった。「えっ、巨人に移籍ですって?」洋服を着替えながら、全く意外といった表情を見せた。ムリもない。「新聞はみな田宮さんのことばかりでしょ。だからボクもそのことばかり気にかかっていたんです」という。「秋季練習が始まってすぐ、本堂さんから来年は外野をやってもらうかもしれないといわれたんです。ボクもその気になって生意気なようですが、なんとか外野陣の一角に食い込んでやると意気込んでいたんです」公式戦終盤五試合連続ホーマー(日本タイ)するなど、急ピッチでバッティングのコツを体得した柳田には、それなりの自信があったのだろう。「ボクは大毎がほんとうに好きです。でもボクは十年選手のように拒否権など使えないでしょう。もし堀本との交換が正式に決まれば、ボクはやはり巨人にいくでしょうね?」本人にはまだ正式な通知はない。だが球団ではすでに放出を決定した。柳田はやはり不安である。この柳田には実は阪急がすでに十一月十六日にトレードを申し込んでいる。「阪急から話があったのは、うすうす知っていました。だから阪急だったら別に驚かなかったでしょう。でも巨人からとは…」何度も巨人から…のことばが飛び出してくる。「ボウリングでもやって、少し気を静めてからじっくり考えます」東京スタジアムの地下にあるボウリング場で、一般のボウラーにまじってピンを倒しているうちに平静を取り戻したらしい。「こうなったらジタバタしてもしようがありませんや。もし巨人に移籍が決まったら、全力を尽くしてやるだけです。もちろん五番打者の座をねらいますよ」いつのまにか飛躍して、もう巨人の選手のような口をきくあたり、いかにも一本気な柳田らしかった。

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