プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中井悦雄

2023-10-13 22:05:30 | 日記
1971年
西鉄中井悦雄投手(28)は六日、福岡市天神の球団事務所を訪れ「給料を下げられてまで野球をすることはない。サラリーマンになって出直す」と退団を申し入れた。球団も中井投手の意向をくんで、慰留せず、同投手は自由契約選手となった。

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西川克弘

2023-10-13 21:35:33 | 日記
1964年
練習二日目、白石監督が始めてユニホームを着た。「やっぱりこれが一番いい」と野手組、バッテリー組の間を行ったりきたり。新鋭西川投手がもうカーブ、シュートをまぜて約70球投げた。西川は「六、七分の力」といっていたがつめかけた約百人あまりのファンはこの西川のそばから離れず、じっと静視。西川株は日ごとに上がる一方だ。

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山本義司

2023-10-13 21:35:33 | 日記
1965年
8時30分の男とはリリーフの神様・宮田(巨人)のことだが、パ・リーグにも9時5分の男と異名を取るリリーフ投手がいる。東映の山本義司投手がそれだ。東映の試合が9時近くとなると山本がブルペンに姿をあらわし、9時5分ごろ水原監督が山本に登板を命じて、ゲームを締めくくるというわけ。「山本のカーブは、スピードを殺さず曲がる。コントロールが抜群だから、リリーフにはもってこいだ」山本は30年大阪商高から東映入り。サウスポーの条件をフルに生かし、もっぱらリリーフに使われていた。多田コーチは山本の存在を高く買う。「球威という点で、彼は一流とはいえないかも知れない。だが過去11年間に、ボークを一つも記録していないのは、彼の観察力と注意力がすぐれているのを証明する。特殊兵器として使えば、まだまだ働ける」山本が、宮田を意識しているのはもちろんだ。リリーフ投手として最も大切なのは何か、山本は闘志を燃やして言う。「まず相手を初めから食う度胸、つぎにカーブのコントロールを整えること。三つ目はいつでも登板してもいいようにブルペンから敵のバッターを観察すること、ぼくの体力では完投するのは無理、巨人の宮田のようにリリーフに徹して、東映の切り札と言われたいですね」南海には大きく水をあけられたが、東映後半戦の立役者として山本は活躍するだろう。

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笹原恵通郎

2023-10-13 21:22:24 | 日記
1954年
大生相互の四番打者で四十試合にちょうど三割の打率をあげている。始めは桐生クラブにいたが、一年で解散になったため、大生相互に入社。大生相互として後楽園にもしばしば顔を見せ、力強いフォームはまったく頼もしい限りだ。彼の得意のボールは低いのが好きで、小細工抜きに大きくブルンブルンと振り回している。体格五尺七寸五分、十九貫と立派で、大打者としての素質は十分に持っている。守備は少々大雑把なきらいはあるが、動きはいいから、これからの練習次第である。

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