1978年
巨人の二軍から大映に移ってすぐに29勝、ロッテのコーチにもなった三浦方義は、五十嵐冷蔵の冷凍食品の主任。今年、ヤクルトがサンディエゴ・パドレスのキャンプ地、ユマに遠征、向こうの投手から投手団からスライダーとカーブをミックスした球「スラーブ」を教わったというニュースを聞いたとき、三浦投手を思い出した。彼のカーブもそういうカーブであり、手首が強かったためだ。
1979年
三浦は、東京・芝浦の五十嵐冷蔵という会社で働いている。朝の8時が出勤時間だ。この会社には東映にいた英謙次も部長職でいる。
巨人の二軍から大映に移ってすぐに29勝、ロッテのコーチにもなった三浦方義は、五十嵐冷蔵の冷凍食品の主任。今年、ヤクルトがサンディエゴ・パドレスのキャンプ地、ユマに遠征、向こうの投手から投手団からスライダーとカーブをミックスした球「スラーブ」を教わったというニュースを聞いたとき、三浦投手を思い出した。彼のカーブもそういうカーブであり、手首が強かったためだ。
1979年
三浦は、東京・芝浦の五十嵐冷蔵という会社で働いている。朝の8時が出勤時間だ。この会社には東映にいた英謙次も部長職でいる。