プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中村昭

2023-10-28 23:26:30 | 日記
1978年
巨人は十二日午後三時、東京・大手町の球団本部でドラフト外中村昭捕手(21)=172㌢、70㌔、右投げ右打ち、上尾高出=と契約金千五百万円、年棒二百四十万円(いずれも推定)で正式契約した。同捕手は四十九、五十年連続して夏の甲子園に出場。五十年は準決勝まで進出している。甲子園での成績は、打率3割7分8厘、ホームラン1本、三塁打、二塁打各1、巧打者ぶりが買われ、五十一年四月三協精機に入社した。一年目からレギュラーとして活躍。五六番を打っていた俊足、強打の好捕手。今春練習中に右足を骨折し野球部を退部、この九月に円満退社していた。これで巨人のドラフト外契約選手は四人となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青山忠司

2023-10-28 23:03:11 | 日記
1979年
南海が秘密兵器を獲得した。このほどドラフト外で入団の決まった常石鉄工・青山忠司外野手(24)=184㌢、83㌔、右投げ右打ち、法大中退=がそれ、無名の存在だが、当れば百五十㍍級のアーチを軽々とかける魅力たっぷりの一発屋。子連れにもかかわらず契約金ゼロでも結構、とプロに飛び込むこの異色選手に、ひそかな期待がかけられている。型破りルーキー出現だ。「どうしてもプロの世界で勝負してみたい」と中もずの秋季練習に飛び入り参加。打撃練習をすると、これがポンポンとサク越えを連発した。テストのときに投手をつとめた宮本コーチもこの長打力にはビックリ仰天。「打ちやすい球を投げたんだけど、エゲツないパワーを持っている。プロの投手の変化球について行けるか、どうかが問題だけど、力は相当なものだ」そしてこの十二日、南海と仮契約を結んだ。「うれしかったですね。契約金?そんなのないですよ。ゼロで構いません。ボクはこれから勝負をかけるんですから」さわやかな顔で、青山はサラリといってのける。実はこの青山、すでに二歳になる愛息・幸司君がいる。報徳から法大に進んだが、三年生の九月、父親・正二さん(50)らの猛反対を押し切って結婚。広島のノンプロ常石鉄工に就職したのだ。安定した社会人生活から不安がいっぱいのプロへの転機。普通なら一円でも契約金が欲しいところだが「中途半端にもらうより、ゼロから出発したいです」報徳二年の春、補欠で甲子園に出場、代打で一度だけ打席に立ったことがあるが、晴れ舞台はそれだけ。法大ではレギュラーになれず、常石鉄工も四番打者だったが、大きな大会には出ていない。愛妻の治美さん(22)もプロ入りに大賛成。周囲のバックアップを受けて、青山は今、六甲山脈のふもとにある甲山の周辺を走りまわって鍛えている。この二十日、右の強打者と評判高いドラフト一位、契約金三千二百万円(推定)で入団の高柳と並んで、契約金ゼロ、年棒二百四十万円(推定)の青山は、進入段発表の席に座る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島孝二・安田克之

2023-10-28 22:47:53 | 日記
1978年
近鉄に異色の二新人が、二十一日誕生した。さる十一月五日に行われた新人テストで採用が決まった福島孝二投手(22)=日大三高、181㌢、78㌔、右投げ右打ち=と、安田克之投手(18)=大阪府立食品産業高、176㌢、76㌔、左投げ左打ち=の二人。福島は高校卒業後、ノンプロ「チャイルド」に就職したが、野球部が解散したため、ことし三月から東京・新橋の第一ホテル地下の「東海亭」で板前修業していた変り種。一方の安田も調理師になりたくて食品産業高校に入学したほど。同校には軟式野球部しかなく、硬式経験はないが「一度自分の力を試したくて受けた」テストに合格した喜びは隠し切れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石原碩夫

2023-10-28 08:51:20 | 日記
1964年
昨シーズン末、東映の任意引退選手となってプロ野球から一度足を洗った石原碩が、本格的なカムバックを目指して連日汗みどろの精進を続けている。昨年は登板に恵まれず、10試合で2敗という不振。この不振に、本人も嫌気がさしたのか、昨年末には再契約にも応じないまま、あっさり郷里の岡山へ帰ってしまった。実家は岡山市並木町で牛乳販売店をやっているが、兄弟はこの石原と、大阪で就職している弟だけというわけで、両親も引退を賛成した形だった。ところが、東映の家庭の事情がそれを許さなかった。同じ下手投げ安藤元が移動性軟骨という肘の故障から使える見通しが立たず、アンダースロー投手は若い柴田しかいない。「石原をもう一度呼ぶもどすほか手がない」ということになって、三月、福山で行われた広島とのオープン戦のとき、水原監督が石原を呼んで復帰の説得に成功したわけだ。五月二十日の西鉄戦でカムバック初の登板、それ以来勝星に関係ないが、東京、近鉄、南海戦にショート・リリーフで顔を出している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする