1963年
大毎オリオンズに五年目の新人がいる。名前は新井彰。彼がオリオンズにやってきたのは、三十四年である。ことしですでに五年になるのだが、彼は新人である。つまり今まで彼は練習生だったのである。ことしはじめて正式に選手として契約してメンバーに名前が出るようになったのだ。ここまで、五年間、彼が登録されなかったのは二つの理由がある。球団から昨年、正式契約をもちかけられると、彼自身が尻込みしてしまったのである。新井は、銚子商の外野手だったが、三十三年卒業すると東京に出て来て八丁堀の鉄鋼会社に就職した。彼はそこで軟式野球をやっていた。その年の秋、オリオンズのテストがあるのを知って、彼は一日の休暇をとって受けてみた。彼はその時、何本かを後楽園のレフトスタンドに放り込んだ。「その後、働いて帰ってきたら、オリオンズからの合格通知が来ていたのです。そりゃあ、うれしかったですよ」
大毎オリオンズに五年目の新人がいる。名前は新井彰。彼がオリオンズにやってきたのは、三十四年である。ことしですでに五年になるのだが、彼は新人である。つまり今まで彼は練習生だったのである。ことしはじめて正式に選手として契約してメンバーに名前が出るようになったのだ。ここまで、五年間、彼が登録されなかったのは二つの理由がある。球団から昨年、正式契約をもちかけられると、彼自身が尻込みしてしまったのである。新井は、銚子商の外野手だったが、三十三年卒業すると東京に出て来て八丁堀の鉄鋼会社に就職した。彼はそこで軟式野球をやっていた。その年の秋、オリオンズのテストがあるのを知って、彼は一日の休暇をとって受けてみた。彼はその時、何本かを後楽園のレフトスタンドに放り込んだ。「その後、働いて帰ってきたら、オリオンズからの合格通知が来ていたのです。そりゃあ、うれしかったですよ」