プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

伊達泰司

2023-10-29 18:29:30 | 日記
1972年
パ・リーグのロッテから一位に指名された伊達選手の場合は「できれば関西の球団と思っていたのですが、それでも一位で指名され、本人も喜んでいます」という母親・貞子さん(38)の話である。今月十五日に桜井市大福の実家に帰郷した伊達選手。貞子さんの話では「もし、指名されなかったら」という不安を抱きながら二十一日のドラフト会議を待っていたが、同日午後一時ごろ「ロッテ一位指名」との電話が東京から入って大喜び。東京六大学リーグで活躍するわが子の雄姿も見ずに、昨年秋旅先で死去した父親・正樹さんの霊前に一位指名の栄誉を報告したというが、御所工時代に監督して同選手を育てた松田野球部長も「四年前、うちがセンバツに出場した時のキャプテン。強肩、俊足、強打と三拍子そろった選手として高校生ではズバ抜けており、高校卒業後にもプロから誘いがあったほどです。結局は法政へ進学したのですが、彼ならプロでも充分やってくれるでしょう」と期待、母親の貞子さんも「あの子は孝行息子なので、今回のことについても喜んでいる反面、かあさんと弟を家に残して、自分ひとり東京で野球をやるのは心残りがするというのですが、あの子は野球で生きたいのだから、私たちのことは心配せず好きな道で一生懸命やってくれればと思っています」と励ましている。近く親族会議を開いて話合うという。


ドラフト会議で一位に指名した法大・伊達泰司外野手の入団が二十八日、内定した。田丸スカウトは午後一時川崎市新丸子の丸子荒に伊達選手を招き最高条件を提示。これに対し伊達選手は「ロッテ球団から第一位指名され最高条件を提示され感激している」と話はしているものの、一気に正式契約できない理由がある。一つ目はすでにノンプロ本田技研に就職が内定していることと、二つ目は、京都の実家で経営している協栄組の社長である父親を心臓マヒで昨年十月失っており、長男である伊達選手が社長についていることだ。しかし母親貞子さんは「好きなプロの道を進めといってあります」とGOサインを出している。

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菅原紀元

2023-10-29 17:54:35 | 日記
1964年
第二試合、菅原が登板すると大洋ベンチはドッとわいた。別所ヘッドコーチは「あんなピッチャーいたのかい。どんなタマを投げるの」とさかんに岩本コーチらにきいていた。別所ヘッドコーチらが知らないのもムリはない。菅原は一昨年の春、埼玉県の川口球場で練習中、醍醐選手の打ったタマを頭部に受け、一時は再起不能とまでいわれた。しかし手術もやり、あらゆる苦難をのり越えカムバックの道をきりひらいた。「どんなことがあっても再起して見せようと思った。とくにこの世界では一度ボールが当たると選手生活を断念しなければならないような観念があるので、そういうものをなくすためにもがんばった」と根性は人一倍強いものをもっている。三回投げ、自責点1は初の先発としてはリッパな成績である。「まさか先発するとは思ってもいなかったので、真田さんから投げろといわれたときは緊張した。かたくなり桑田さんに打たれたが、味方が2点をとってくれたのでラクになった。しかし三回になったら足がガタガタしてきた。やはりまだ下半身を鍛えなければ」と反省もわすれない。真田コーチは「まだ練習をはじめて日があさいので、下半身が弱い。これから練習を重ねるにしたがってスピードもででくる。もともとカーブ、ドロップはよいものをもっているので、下半身さへ鍛えれば、来シーズンはそうとう働いてくれるだろう。西、妻島とそれにこの菅原には来年10勝ずつを期待している」という。1㍍82、80㌔、東京・東洋商高出身、右投げ、右打ち。

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楠橋高幸

2023-10-29 16:24:17 | 日記
1968年
神野は初打席で左中間を文句なく抜いて二塁打。二塁から曽我部を迎え入れ、効率のいい攻めで先制した。このパンチはみごとにきいた。内野守備陣を乱し投手を動揺させたのもこの一発のためだ。「真ん中少し高めの直球でした。監督さんから好きなタマを思いきって振れといわれていたので、このランナーはぼくが帰してやろうと思っていた」のだそうだ。楠橋は2打席連続三塁打した。「2本とも外角にきた直球でした。あとの三塁打は右翼のスタートがおくれていたので落とすんじゃないかと思っていたら案の定。一塁を回るときに確認してあとは力いっぱい走りました」神野、楠橋とも、三、四番の責任をりっぱにはたした。初めは左投手と考えていたが、右が出てきたのでたたいてやろうと思っていたーと、二人とも笑顔いっぱい。「次の試合は負けてもともと、同じ年ごろの相手だからこわがらずにぶち当たるだけです」という。宿舎ではのんびりムード。


楠橋高幸選手(今治西)の話 


ドラフト会議で指名されるかもしれないことは新聞などでみて知っていたが、わたしは東京の大学に進みたい。指名された球団がどうというのではなく、プロ野球にいくよりも進学する気持ちの方が強い。


1969年


大学進学の夢は消え果たがもともとプロ向きなのだから。

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稲垣博愛

2023-10-29 14:45:37 | 日記
1964年
稲垣博愛投手(28)は二十六日東京・有楽町の球団事務所を訪れ、退団を申し入れ受理された。同投手は愛知大ーノンプロ新三菱名古屋を経て三十六年入団、制球力のよさから期待されていたが、ことし八月に右ヒジに軟骨ができ、野球生活を断念したもの。一軍ではフリーバッティング投手をつとめて勝敗なし、二軍では四年間に1勝1敗だった。


稲垣投手の話「ことしの八月に右ヒジに軟骨ができ、手術すると腕がまがってしまうといわれたので野球をあきらめた」

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友川賢次

2023-10-29 14:37:13 | 日記
1956年
持前の長打も、シーズンを通じて常時出場のチャンスにもありつけぬせいか、充分な働きを見せていない。もっと確実性のあるバッターとなることだ。昨年は一割三分。

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吉田博之

2023-10-29 14:24:20 | 日記
1978年
南海が、ドラフト四位で指名した横浜高・吉田博之捕手(18)=175㌢、72㌔、右投げ右打ち=の入団が、二日決まった。堀井、古谷両スカウトは同日正午、横浜市港南区大岡の東急プラザ内割ぼうみやたに、父親英夫さん(50)を招き、初の入団交渉を行った。席上、南海側は契約金千五百万円、年棒二百万円(金額はいずれも推定)の条件を提示。英夫さんが「息子の実力に妥当な線だと思う」とこれを了承したため、あっさりと入団が決定、仮契約を結んだ。同捕手は、南海の新入団選手第一号。

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田島俊雄

2023-10-29 14:16:50 | 日記
1986年
田島俊雄投手…長浜市出身。二十一歳。180㌢、76㌔、右投げ右打ち。140㌔台の速球とカーブは、今年の「社会人ナンバーワン」と評される。長浜北高三年の春、選抜大会出場。1回戦で東北に2-4と逆転負けしたが、当時から中日などプロのスカウトに注目されていた。夏は県大会決勝で比叡山に惜敗(0-2)。日本生命入りして三年目の今年、日本ーキューバ国際野球の全日本代表に選ばれた。江川(巨人)が目標という。


選抜(58年)に長浜北のエースとしてマウンドに立った田島にはOBの笹原司朗監督(会社役員)が「体がとにかく柔らかい。私が四六時中見れなかったので、練習はキャッチボールと体力作り中心でね。それが土台固めに少しは役立ったのかも知れない。社会人野球の経験も生かして謙虚な気持ちで頑張れ」と温かい目を注いでいる。


田島投手は「セ・リーグでやりたい、という気持ちが強かったので正直言ってちょっぴり残念です。でも、1位に指名してくれた南海は大阪のチームだし、伝統のあるチームだから前向きに考えたい」と語った。


南海の堀井スカウトは二十日午後、ドラフト会議で1位指名した日本生命・田島俊雄投手(21)を吹田市円山町の日本生命野球部寮に訪ね、指名のあいさつをした。まだ東京のドラフト会議場では会議が進行中の午後二時四十分に野球部寮に着いた同スカウトは、早速待ち受ける小弓場監督と田島とともに応接間へ。約一時間に及んだ話の内容は一位指名に至るいきさつやチーム事情の説明だった。上気した顔で出てきた堀井スカウトは「もちろんいい返事を期待している」と前置きして「やっぱり希望球団じゃなかったからショックを受けているようだ」と、微妙に揺れ動く田島の胸の内を代弁した。田島は、指名を受けた直後の記者会見とは違い、少し冷静になっていた。そして「前向きに考えていく姿勢には変わりはないし、やりたい気持もある。ただ自分の一生の問題だから、じっくり考えて決めたい」と口元を引き締めた。


社会人球界きっての剛腕。球種は140㌔台の速球とカーブだけの力投型。まだ荒削りだが、長浜北高時代は三年春の選抜大会に出場した。180㌢、75㌔、右投げ右打ち。21歳。


南海がドラフト一位指名した日本生命の田島俊雄投手(21)=180㌢、75㌔、右投げ右打ち=の入団が三日、決まった。小池編成部長、堀井スカウトが長浜市常喜東町の実家を訪ね、両親と、交渉を一任されている恩師の笹原司朗(長浜北高野球部監督)を交えて二回目の入団交渉し、契約金六千五百万円、年棒六百万円で合意に達した。正式な入団発表は十二月下旬に行う。田島本人が静岡・富士宮で開かれている管理者養成学校出席のため不在という異例の交渉となったが、話し合いは約三十分間で終了した。父親の重雄さん(53))は「予想以上に高い評価をしていただいた。光栄なことです。契約が決まった以上、もうあとは本人が南海の一員として頑張るだけです」と話していた。


田島投手の話 指名された時点ではあれこれ悩みましたが、これですっきりしました。不安より、今はヨシッ、やってやろうの気持ちが強い。プロに通用する体を早くつくって、まず一軍で投げられるようになりたい。真っすぐでバンバン押せる投手が目標です。

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三井康浩

2023-10-29 09:49:42 | 日記
1978年
巨人は六人目のドラフト外選手として三井康浩内野手(17)=出雲西高、177㌢、76㌔、左投げ左打ち=の入団を内定した。担当の山崎スカウトが十九日、島根県出雲市の旅館で本人、両親と交渉した結果、契約金八百万円、年棒二百四十万円(推定)で仮契約したもの。三井選手は中央球界では無名だが、左のパワーヒッターとして県下では評判で、一試合に2ホーマーを放ったこともある。

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石幡信弘

2023-10-29 09:34:54 | 日記
1969年
エースの石幡サウスポーは清峰伸銅時代に第35回(昭和39年)から続けて三回、清峰伸銅や電電東北に補強されて本大会に出場している。この当時は左腕から落差の大きいドロップを投げて注目を浴びた。球には威力があった半面、コントロールに難があり、自滅する場面がしばしばある荒いピッチングだったが、今シーズンは球威のみにたよるピッチングを捨ててからグンと安定性を増した。ドロップのブレーキはやや衰えたが、コントロールがよくなり0-3からでも平気で投げるし、速球も低目をつけるのでピッチングの幅はできた。

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森谷昭

2023-10-29 09:25:37 | 日記
1978年
巨人は五人目のドラフト外選手として森谷昭内野手(23)=三菱自動車京都、183㌢、78㌔、右投げ右打ち=の入団を決めた。伊藤菊スカウトが十八日京都市山科区のホテル東急インで本人、実兄洋氏(34)と交渉した結果、契約金二千万円、年棒三百万円(推定)で仮契約したもの。森谷内野手は中央球界では無名だが将来性豊かな大型遊撃手。比叡山高一年の夏、甲子園大会も経験しており、三菱京都に進んで二年目からレギュラー。今夏の都市対抗京都予選では4割7分を打ち首位打者を獲得、京都大丸を補強されて都市対抗にも出場した。巨人では大きく飛躍させるため三塁手として育てる方針。森谷は去る十一月十八日に高校時代の同級生・志田満希子さんと結婚したばかりだが、暮れに予定していた新婚旅行をキャンセルし、現在懸命にトレーニングを積んでいる。

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