1980年
「目標は王さん」-。南海が獲得した台湾の大物の李来発捕手(23)=178㌢、78㌔、右投げ右打ち、台北体育大出=は、四日午前十時半から中モズで初練習を披露した。同捕手は外人ワクの関係上練習生扱いだが、球団では早ければ来季後半から現役登録を考えている期待の捕手。半年間のブランクもなんのその、鋭い打球に王二世の片りんがチラリとのぞいた。ウォームアップ、キャッチボールの後、鳥カゴに入ってマシン打撃。これは「台湾にはピッチングマシンなんてない」ために、空振りの連発だったが、小池コーチに投げてもらってのフリー打撃では、さすがに台湾の三冠王らしさを見せつけた。約20球、最初はボテボテのゴロが多かったが、目が慣れるにしたがって快音も、ついに九十㍍の左撃フェンスをはるかに越え、その後方の木立に消える号砲一発も飛び出した。台湾ではことし六月、空軍を除隊後、一緒に南海入りが決まっている高英傑投手とともに練習をしてきた。といっても一日三十㌔のランニングと、200本の素振りをしてきた程度。生きた球を打つのは六ヶ月ぶりだが、鋭い振り、球を捕らえる的確さは並の選手ではない。ケージ横で見ていた元田打撃コーチ補佐は「ちょっと前へ突っ込むようだが、スイングの速さはすごい。確かにいいものを持っている選手だ」と、一目ぼれ。昨年十一月台湾へ野球教室におもむいたことのある穴吹二軍監督も「楽しみだね。李と高でドラフト一位を二人とったようなものだと思っている。即戦力といかなくても、一年間みっちり鍛えたら戦力にはなってくれるんやないかな」と笑顔を浮かべた。台湾では英雄扱い。南海入りが決まった時は、台湾の新聞で大きく扱われており、謝国成棒球協会名誉会長の「この英雄を日本へ送り出すことは非常に残念だが、後進の励みにもなるので、あえて踏み切った」というメッセージも載っている。とはいっても、異国の日本では一介の練習生。心細さは相当なものだろうが、それに耐え抜くハングリー精神も十分にかね備えていたそうだ。三歳の時、父親・薫路さんが病死。その後は母親・桂花さん(66)の女手一つで育てられ、生活の苦労はいやというほど味わっている。日本で「尊敬している王さんのようになって…」母親に楽をさせてやりたい夢を持っている。「緊張しているから、きょうは疲れました。日本はちょっと寒いですね。でも思いきりがんばります」たどたどしい日本語ながら、もう日常会話はちょっぴりできるようになった。南海では和田コーチ、小川二軍マネの捕手出身の二人がつきっきりで今後指導していく方針。大リーグのレッズからジョニー・ベンチの後継者として勧誘され、一度は契約したことのある李。今後に大きな楽しみを抱かせてくれる男が、日本球界に乗り込んできた。
家族 母親・桂花さん(66)、兄・錦男さん(35)が嘉義市国華街の実家で、日本での活躍を楽しみにしている。
身長、体重 178㌢、78㌔、脅威100㌢、太モモ三㌢、中指19㌢、足27・5㌢。
好きな女性 日本的な人。「ぜひとも日本で花嫁さんを見つけたい」
足、肩 百㍍12秒0。遠投百㍍。この日、キャッチボールの相手をした醍醐コーチは「肩は強そう。球の回転が抜群」
長打力 ことし五月、オール台湾の一員として来日した時、愛知・瑞穂球場での三菱名古屋戦でバックスクリーンへ一発。「完全なセンターライナーと思ったら、簡単にオーバーフェンス。びっくりした」と、李を連れて来た杉浦スカウト。
「目標は王さん」-。南海が獲得した台湾の大物の李来発捕手(23)=178㌢、78㌔、右投げ右打ち、台北体育大出=は、四日午前十時半から中モズで初練習を披露した。同捕手は外人ワクの関係上練習生扱いだが、球団では早ければ来季後半から現役登録を考えている期待の捕手。半年間のブランクもなんのその、鋭い打球に王二世の片りんがチラリとのぞいた。ウォームアップ、キャッチボールの後、鳥カゴに入ってマシン打撃。これは「台湾にはピッチングマシンなんてない」ために、空振りの連発だったが、小池コーチに投げてもらってのフリー打撃では、さすがに台湾の三冠王らしさを見せつけた。約20球、最初はボテボテのゴロが多かったが、目が慣れるにしたがって快音も、ついに九十㍍の左撃フェンスをはるかに越え、その後方の木立に消える号砲一発も飛び出した。台湾ではことし六月、空軍を除隊後、一緒に南海入りが決まっている高英傑投手とともに練習をしてきた。といっても一日三十㌔のランニングと、200本の素振りをしてきた程度。生きた球を打つのは六ヶ月ぶりだが、鋭い振り、球を捕らえる的確さは並の選手ではない。ケージ横で見ていた元田打撃コーチ補佐は「ちょっと前へ突っ込むようだが、スイングの速さはすごい。確かにいいものを持っている選手だ」と、一目ぼれ。昨年十一月台湾へ野球教室におもむいたことのある穴吹二軍監督も「楽しみだね。李と高でドラフト一位を二人とったようなものだと思っている。即戦力といかなくても、一年間みっちり鍛えたら戦力にはなってくれるんやないかな」と笑顔を浮かべた。台湾では英雄扱い。南海入りが決まった時は、台湾の新聞で大きく扱われており、謝国成棒球協会名誉会長の「この英雄を日本へ送り出すことは非常に残念だが、後進の励みにもなるので、あえて踏み切った」というメッセージも載っている。とはいっても、異国の日本では一介の練習生。心細さは相当なものだろうが、それに耐え抜くハングリー精神も十分にかね備えていたそうだ。三歳の時、父親・薫路さんが病死。その後は母親・桂花さん(66)の女手一つで育てられ、生活の苦労はいやというほど味わっている。日本で「尊敬している王さんのようになって…」母親に楽をさせてやりたい夢を持っている。「緊張しているから、きょうは疲れました。日本はちょっと寒いですね。でも思いきりがんばります」たどたどしい日本語ながら、もう日常会話はちょっぴりできるようになった。南海では和田コーチ、小川二軍マネの捕手出身の二人がつきっきりで今後指導していく方針。大リーグのレッズからジョニー・ベンチの後継者として勧誘され、一度は契約したことのある李。今後に大きな楽しみを抱かせてくれる男が、日本球界に乗り込んできた。
家族 母親・桂花さん(66)、兄・錦男さん(35)が嘉義市国華街の実家で、日本での活躍を楽しみにしている。
身長、体重 178㌢、78㌔、脅威100㌢、太モモ三㌢、中指19㌢、足27・5㌢。
好きな女性 日本的な人。「ぜひとも日本で花嫁さんを見つけたい」
足、肩 百㍍12秒0。遠投百㍍。この日、キャッチボールの相手をした醍醐コーチは「肩は強そう。球の回転が抜群」
長打力 ことし五月、オール台湾の一員として来日した時、愛知・瑞穂球場での三菱名古屋戦でバックスクリーンへ一発。「完全なセンターライナーと思ったら、簡単にオーバーフェンス。びっくりした」と、李を連れて来た杉浦スカウト。