1964年
十月二十二日、秋のオープン戦を目前に控え東映ナインが、多摩川グラウンドで最後の練習に励んでいるところへ、一人の青年がユニホームをかかえてやってきた。どこかで見た顔だと思ったら、つい最近巨人を自由契約選手になった屏道夫内野手だった。福岡京都高を出た屏は、期待されて巨人に入団、第一線選手を夢見て頑張ったが、今シーズン限りで自由契約にされてしまった。一度は公式戦の舞台に立ったこともあった屏は、三年間のプロ生活を清算するにはどうしても心残りだったようで、水原監督にテストを申し出てきたものだった。この日は水原監督もグラウンドに姿を見せており、一応練習を許可、テストすることになったが、屏の真剣な体当たりにどんな答えが出るか。
1975年
今春の関東プロゴルフ・テストは茨城県「セントラルGC」で行われたが、合格ラインは、36ホール通算3オーバーの狭き門ー昨年までの4オーバーから1ストローク厳しくなり、昨秋の合格者二十六人が今回はわずか七人(受験者八十一人)にとどまった。不合格者の中には、元巨人軍の屏道夫内野手(32)、米国ハワイ州でPGAのライセンスを持つ高橋純一(26)など異色の受験生も。日大ゴルフ部出身者は四人も受験したが、全員不合格。
1979年
島田博氏、屏道夫氏も、もとはといえば清峰伸銅のチームの一員であったという。屏はプロゴルファーに転向して、いまは水戸のほうに行っているはずだそうだ。
十月二十二日、秋のオープン戦を目前に控え東映ナインが、多摩川グラウンドで最後の練習に励んでいるところへ、一人の青年がユニホームをかかえてやってきた。どこかで見た顔だと思ったら、つい最近巨人を自由契約選手になった屏道夫内野手だった。福岡京都高を出た屏は、期待されて巨人に入団、第一線選手を夢見て頑張ったが、今シーズン限りで自由契約にされてしまった。一度は公式戦の舞台に立ったこともあった屏は、三年間のプロ生活を清算するにはどうしても心残りだったようで、水原監督にテストを申し出てきたものだった。この日は水原監督もグラウンドに姿を見せており、一応練習を許可、テストすることになったが、屏の真剣な体当たりにどんな答えが出るか。
1975年
今春の関東プロゴルフ・テストは茨城県「セントラルGC」で行われたが、合格ラインは、36ホール通算3オーバーの狭き門ー昨年までの4オーバーから1ストローク厳しくなり、昨秋の合格者二十六人が今回はわずか七人(受験者八十一人)にとどまった。不合格者の中には、元巨人軍の屏道夫内野手(32)、米国ハワイ州でPGAのライセンスを持つ高橋純一(26)など異色の受験生も。日大ゴルフ部出身者は四人も受験したが、全員不合格。
1979年
島田博氏、屏道夫氏も、もとはといえば清峰伸銅のチームの一員であったという。屏はプロゴルファーに転向して、いまは水戸のほうに行っているはずだそうだ。