プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

相川進

2023-10-09 14:32:57 | 日記
1970年
オープン戦が終わったとき三原監督は顔をほころばせながらこういった。「一番成長したのは三塁の相川でしょう。特にオープン戦中盤までの当たりはたいしたものだった。永淵の不振を彼一人でカバーしたようなものだ」それほど相川は著しい進境をみせている。キャンプ当時の評判は決して芳しいものではなかった。三塁のポジションを松原と阿南を加えた三人でせり合っていたが、バッティングも守備も荒かったため一番見劣りしていた。相川は二年前、中日から近鉄に移籍したことし六年目の選手で混血児だ。岩本コーチは、体格のいい相川に惚れこんだが、どうも性格的にチャランポランなところがあって、練習に身を入れない。酒が好きで、ムラッ気があり、直情経行型の性格である。この情報を分析して指導したところ岩本コーチの眼力があり、うまさがあった。煽てたり、宥めたり、そうこうするうちに相川は目にみえて上達した。紅白戦に出場すると彼のバットは突然火を吐いた。中日、近鉄での五年間、眠り続けていた素質が一度に開花した。それがすぐ三原監督の目にとまった。それ以後、三塁は決まって相川だった。またその期待に応えてよく打った。オープン戦で六ホーマーを記録したのだ。その中には同点ホーマー、決勝ホーマーありで内容も盛りだくさんだった。「ちょっと気がかりなのがオープン戦の終盤から調子を落としていることだ。バットの振りが鈍くなっているのは、疲れが出ているからだと思う、いま今シーズンの打率をはっきりいうわけにはいかないがかなりやる」と岩本コーチ。三原監督も「すごい伸び方ですね。もともとパワーのある選手だったが、急にうまさを身につけたね。しかし、ちょっと気の弱いところがある。それが気がかりといえば気がかりだが…。しかしあれだけやれれば上々ですね」いずれにしても、近鉄のウィークポイントといわれていた三塁に短期間で躍り出たのは立派だ。懸念された三塁守備もバッティングがよくなってからは、みちがえるほどの上達ぶり。岩本コーチも「私も外野から三塁に変わったことがあるが、バッティングのいいときは守りにも自信が出てくるものだ。相川はもともと三塁手。あまり気にしないでのびのびやった方がいい」こういって励ます。岩本コーチのこもった指導がなければ現在の相川はなかっただろう。

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菱川章

2023-10-09 14:16:30 | 日記
1969年
「ヒシ、左足がぐらつくぞ。肩に力が入りすぎだ。バッティングは力だけじゃない。フォームだ。打撃練習する菱川の背後から。田宮コーチの声が飛ぶ「ハイハイ」とうなずく菱川は、不審な点があると、すぐ「いまのはどうですか…」と、コーチにたずねる。「どうも、菱川は気持がフラフラして、精神が集中しない」以前は、こういった批評を受けていた菱川だが、最近は動作にも落ち着きが出てきた。プロ入り六年目、未完の大器と入団当時からいわれ続けた菱川も、ようやく大人に成長した。レギュラーまで、あと一息というところである。入団当時、いや、倉敷工時代から浪曲が大好きだった。栗色のカミの毛、茶色がかった目の玉、顔つき、風貌こそ日本人離れしたところは争われないが、中身は純日本人である。倉敷工のホームラン打者、金のタマゴと騒がれて華やかなプロ入り。本当は阪神が意中のチームだったらしいが、中日のスカウトが懸命に口説いたのが成功した。そして、女手一つで育ててきた母親常子さん(40)を少しでも楽にしてやろうと、契約金の大半をつぎ込んで、岡山市内に家を新築して贈った。それに世話になった親戚の人たちにも、それぞれポンと返礼して「これで章も、どうやら一本立になりました。あとは自分で自分の道を進みます」と、独立独歩の道を歩み始めた。入団した三十九年、初のキャンプが松山で行われたとき、当時はバッティング担当の杉山コーチと意見が合わず、「もう家へ帰る」と言い残して、さっさと岡山へ単身帰ってしまった。あわてた球団では、すぐ人をやって一週間後にはキャンプへ連れ戻したが、当時、報道陣にも知れず、極秘で事が済んだのは何よりだったという逸話も残っている。また、それから後になっても、コーチが注意したりするとすぐブーッとふくれることもあって、チームの首脳陣が、菱川の扱い方に手を焼いたことが再三あったといわれている。そんな菱川の性格が改まってきたのは、妻智恵子さん(20)の内助の功に負うところが大きい。入団三年目のシーズンオフ、四十一年十二月二十九日に智恵子さんと結婚式をあげ、合宿を出て家庭を持った。そして翌年の十月には浩一朗ちゃんが生まれた。智恵子さんの菱川に対する深い愛情とパパになった菱川の自覚、それが型破りの行動をストップさせたことになるようだ。昨秋の特別練習が中日球場で行われていたとき、田宮コーチが菱川の打撃について、アドバイスをあたえた。そのとき菱川は「ボクはわからなくなった。しばらく、自分の考えたままをやりたいので、ほおっておいてください」と申し出た。田宮コーチは知らん顔だった。それから、三、四日たってから菱川のほうから「いろいろ考えたが、やはり自分ではわかりません。田宮さん。教えてください」と申し出てきた。こうして年が明け、ことしのキャンプで、田宮コーチとの間に、マンツーマンに近い特訓また特訓となって現れている。水原監督は菱川について「あのパワーは、なんといっても魅力だよ。どうしても、早く一人前になってほしい。プロ野球は、やはり豪快な一発が最大のものなんだから…」と、その成長に大きな期待をかけながら、飛び出してくる日を、首を長くして待っているのだ。

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相川進

2023-10-09 14:00:47 | 日記
1969年
ちょうど菱川が入団してきた翌年の四十一年一月、中日球場で自主トレーニングが行われていた時のことである。坊主頭の、まだあどけない少年が、背番号なしのユニホームをきて、外野へ飛んだボールを、拾い集めていた。当時、立正佼成高一年在学中だったからまだ十六歳、いまでこそ相川は184㌢、80㌔と大男だが、この頃は、現在とは似ても似つかぬスラリとした細身の体つきであった。まだ体が充分に出来ていなかったから、それは当然のことだろう。父親はアメリカ人、母親は現在は行方がわからず、この進少年は祖母のきぬさん(67)の手一つで育つという悲しい境遇だった。せっかく高校まで進学はしたが、経済的にも苦しく、ある人を通じて「立正佼成高で、こういう選手がいる。中日は養成選手を置いたり、その方面では草分けのチームだから、一つ考えて欲しい」というわけでテストの運びとなったのだ。相川は高校では外野を守っていたが、中日では、その打撃、守備、走力、あらゆる点を、時間をかけて検討した。その年の松山キャンプの後半に内野手として採用と決定した。しかし、すでに選手の枠は一杯だったため、養成選手と同じ資格でファームで練習した。これが相川のプロ入りした当時の経緯である。中日で与えられたポジションは二塁、当初は「とても、まともな内野手はやれないが、動きがよくなるから」というのが、幹部の考え方だった。四十年のシーズンが始まってから支配下選手にも登録され、ウエスタン・リーグにも出場する機会が与えられた。そうして一年ほどたったころには、入団当時とは見違えるほど、体が大きくなった。あどけない少年の顔には、いつの間にか、茶褐色のアゴひげがいっぱい生え、むしろ外人に近い風貌に変わってきた。それと同時に打撃の構えもスペンサー張りの日本人離れのした低く腰を落としてのクローズドスタンスとなった。四十一年の秋、九月になってから公式戦で産経相手に初ホーマーを放ち、このころから「長距離打者としての素質はある」と注目されはじめた。また、当時は、チーム内で菱川と並んだ混血児二人が中日の異色コンビとして話題を呼んだ。四十三年、杉下監督の時に三塁や一塁をやったが、攻守にもう一つスピード感を欠くうらみがあった。その年の秋、近鉄から譲渡の話が持ち出され、杉投手と抱き合わせで近鉄の吉沢捕手との複数トレードが成立した。球団の内部では「相川のバッティングがもったいない」という声もあったらしいが、吉沢捕手を必要とするチームの事情で話は成立した。ところが、近鉄に移ったことによって道が開けた。近鉄の内野陣の手薄さは、意外に早く、ポジションを相川に明けたのである。阿南のいる三塁を飯田、松原とともに争って敗れたが、その長打力を惜しむ三原監督は、相川を鎌田の控えとして二塁に起用、鎌田の打撃不振の開幕当初は、スタメンから登場する幸運に恵まれた。しかし荒削りな攻・守は鎌田から正二塁手を奪うだけの力はなく、現在も一割五分前後の低打率で、その豪快な長打力も見られないが、三原監督は、明日の近鉄のクリーンナップの一員として、その成長に大きな期待をかけている。逆境に育った相川は、苦難のカベを破って、その期待に応えることだろう。

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源五郎丸洋

2023-10-09 12:56:04 | 日記
1981年
主戦投手の源五郎丸は右上手投げの本格派。球質は重く、球種も速球、変化球と豊富だ。制球力もあり、胸もとに食い込むシュートが大きな武器。最近は打者との駆け引きもうまくなった。

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