1970年
オープン戦が終わったとき三原監督は顔をほころばせながらこういった。「一番成長したのは三塁の相川でしょう。特にオープン戦中盤までの当たりはたいしたものだった。永淵の不振を彼一人でカバーしたようなものだ」それほど相川は著しい進境をみせている。キャンプ当時の評判は決して芳しいものではなかった。三塁のポジションを松原と阿南を加えた三人でせり合っていたが、バッティングも守備も荒かったため一番見劣りしていた。相川は二年前、中日から近鉄に移籍したことし六年目の選手で混血児だ。岩本コーチは、体格のいい相川に惚れこんだが、どうも性格的にチャランポランなところがあって、練習に身を入れない。酒が好きで、ムラッ気があり、直情経行型の性格である。この情報を分析して指導したところ岩本コーチの眼力があり、うまさがあった。煽てたり、宥めたり、そうこうするうちに相川は目にみえて上達した。紅白戦に出場すると彼のバットは突然火を吐いた。中日、近鉄での五年間、眠り続けていた素質が一度に開花した。それがすぐ三原監督の目にとまった。それ以後、三塁は決まって相川だった。またその期待に応えてよく打った。オープン戦で六ホーマーを記録したのだ。その中には同点ホーマー、決勝ホーマーありで内容も盛りだくさんだった。「ちょっと気がかりなのがオープン戦の終盤から調子を落としていることだ。バットの振りが鈍くなっているのは、疲れが出ているからだと思う、いま今シーズンの打率をはっきりいうわけにはいかないがかなりやる」と岩本コーチ。三原監督も「すごい伸び方ですね。もともとパワーのある選手だったが、急にうまさを身につけたね。しかし、ちょっと気の弱いところがある。それが気がかりといえば気がかりだが…。しかしあれだけやれれば上々ですね」いずれにしても、近鉄のウィークポイントといわれていた三塁に短期間で躍り出たのは立派だ。懸念された三塁守備もバッティングがよくなってからは、みちがえるほどの上達ぶり。岩本コーチも「私も外野から三塁に変わったことがあるが、バッティングのいいときは守りにも自信が出てくるものだ。相川はもともと三塁手。あまり気にしないでのびのびやった方がいい」こういって励ます。岩本コーチのこもった指導がなければ現在の相川はなかっただろう。
オープン戦が終わったとき三原監督は顔をほころばせながらこういった。「一番成長したのは三塁の相川でしょう。特にオープン戦中盤までの当たりはたいしたものだった。永淵の不振を彼一人でカバーしたようなものだ」それほど相川は著しい進境をみせている。キャンプ当時の評判は決して芳しいものではなかった。三塁のポジションを松原と阿南を加えた三人でせり合っていたが、バッティングも守備も荒かったため一番見劣りしていた。相川は二年前、中日から近鉄に移籍したことし六年目の選手で混血児だ。岩本コーチは、体格のいい相川に惚れこんだが、どうも性格的にチャランポランなところがあって、練習に身を入れない。酒が好きで、ムラッ気があり、直情経行型の性格である。この情報を分析して指導したところ岩本コーチの眼力があり、うまさがあった。煽てたり、宥めたり、そうこうするうちに相川は目にみえて上達した。紅白戦に出場すると彼のバットは突然火を吐いた。中日、近鉄での五年間、眠り続けていた素質が一度に開花した。それがすぐ三原監督の目にとまった。それ以後、三塁は決まって相川だった。またその期待に応えてよく打った。オープン戦で六ホーマーを記録したのだ。その中には同点ホーマー、決勝ホーマーありで内容も盛りだくさんだった。「ちょっと気がかりなのがオープン戦の終盤から調子を落としていることだ。バットの振りが鈍くなっているのは、疲れが出ているからだと思う、いま今シーズンの打率をはっきりいうわけにはいかないがかなりやる」と岩本コーチ。三原監督も「すごい伸び方ですね。もともとパワーのある選手だったが、急にうまさを身につけたね。しかし、ちょっと気の弱いところがある。それが気がかりといえば気がかりだが…。しかしあれだけやれれば上々ですね」いずれにしても、近鉄のウィークポイントといわれていた三塁に短期間で躍り出たのは立派だ。懸念された三塁守備もバッティングがよくなってからは、みちがえるほどの上達ぶり。岩本コーチも「私も外野から三塁に変わったことがあるが、バッティングのいいときは守りにも自信が出てくるものだ。相川はもともと三塁手。あまり気にしないでのびのびやった方がいい」こういって励ます。岩本コーチのこもった指導がなければ現在の相川はなかっただろう。