1982年
北陽高時代、槍投げで高校生歴代7位の公認記録を持つ投手が、阪急の二軍にいる。松畑佳明投手。昨年ウエスタンで2試合、計2イニングを投げた実績しかないが、今季首脳陣の注目を浴びており、異色の投手である。北陽高時代は陸上部で槍投げの選手。54年9月、高校3年の時、大阪の長居競技場で行われた大阪私学大会で62㍍96を投げ、全国ランキング第七位の公認記録を出した。「野球は小学校5年の時から始めた。高校も野球をやるために入学した」しかし北陽高に入学して1週間とたたないころ、練習中に右足脛骨の骨を折った。2週間ほどギプスをはめ、とれたと思ったら、練習に駆り出された。しかし完治していないので、思い切った練習が出来ず、松畑はレギュラーをはずされてしまった。北陽高の野球部は当時100名近くおり、レギュラーになれそうもない連中は、淀川の堤防にいってはランニングばかりやらされた。タマ拾いすらさせてもらえない。2年の終わりに野球部を辞めて、陸上部へ入部。槍投げを始めた。「高校で野球は諦めたが、野球への夢を大学に賭けよう。大学へ行ってもう一度野球をやりたい。そのためにも高校生活最後の1年間は槍投げをやって、十分に足腰を鍛えたいと思った」体に天性の強靭なバネがあった。ぐんぐん力をつけて高校陸上界で注目されるようになった。長居陸技場で高校歴代7位の公認記録を出した。「いつの間にか、槍投げでオリンピックに出てやろう、オリンピック出場は夢ではないと考えるようになりました」高校を出る頃には同志社大・京都産業大から入学の勧めがあり、陸上で頭角を現している京都産業大への入学する意志を固めていた。その際にブレーブスから話がきた。10日間近く迷ったが、野球への未練がふくらんできた。「現在、宝塚市で鉄工所を経営している父親・欣治さん・47歳)も、高校・大学時代を通じ硬式野球をやっていた。父にも野球への夢があった。それも野球に賭ける一つのきっかけとなった。55年、ドラフト外で阪急入りをした。一軍の梶本ヘッドコーチが松畑のピッチングを見て、目を見張る思いをしたのは昨年の秋期練習の時。「ピッチングモーションに天性のリズムがある。体のバネも素晴らしい。未完の大器だと思った。確かに野球はよく知らないが、鍛えれば将来のブレーブスを背負ってたつ投手になる逸材だ」松畑は3年目を迎えようとしているが、ファームの実績はほとんど無い。一昨年は1試合に登板し2イニング、昨年は2試合に登板し1イニングを投げただけ。その彼を梶本コーチが抜擢した。「高知に行ったら紅白戦第一戦に先発させる。」2月11日、彼は紅白第一線で紅組先発投手として登板した。この時、山森、大橋、島谷、松井、藤本らに投げた。立ち上がり、山森、大橋にいきなり連続ホームランを打たれた。が、後はきっちりと抑えた。島谷、松井、藤本と三振にしとめていった。高知キャンプから帰った今、天保コーチが松畑にコーチしている。「ウエスタンには今季どんどん登板させる。夏以降には絶対上で投げられるようにしてみせる。ブレーブスの秘密兵器になることは間違いないだろう」
北陽高時代、槍投げで高校生歴代7位の公認記録を持つ投手が、阪急の二軍にいる。松畑佳明投手。昨年ウエスタンで2試合、計2イニングを投げた実績しかないが、今季首脳陣の注目を浴びており、異色の投手である。北陽高時代は陸上部で槍投げの選手。54年9月、高校3年の時、大阪の長居競技場で行われた大阪私学大会で62㍍96を投げ、全国ランキング第七位の公認記録を出した。「野球は小学校5年の時から始めた。高校も野球をやるために入学した」しかし北陽高に入学して1週間とたたないころ、練習中に右足脛骨の骨を折った。2週間ほどギプスをはめ、とれたと思ったら、練習に駆り出された。しかし完治していないので、思い切った練習が出来ず、松畑はレギュラーをはずされてしまった。北陽高の野球部は当時100名近くおり、レギュラーになれそうもない連中は、淀川の堤防にいってはランニングばかりやらされた。タマ拾いすらさせてもらえない。2年の終わりに野球部を辞めて、陸上部へ入部。槍投げを始めた。「高校で野球は諦めたが、野球への夢を大学に賭けよう。大学へ行ってもう一度野球をやりたい。そのためにも高校生活最後の1年間は槍投げをやって、十分に足腰を鍛えたいと思った」体に天性の強靭なバネがあった。ぐんぐん力をつけて高校陸上界で注目されるようになった。長居陸技場で高校歴代7位の公認記録を出した。「いつの間にか、槍投げでオリンピックに出てやろう、オリンピック出場は夢ではないと考えるようになりました」高校を出る頃には同志社大・京都産業大から入学の勧めがあり、陸上で頭角を現している京都産業大への入学する意志を固めていた。その際にブレーブスから話がきた。10日間近く迷ったが、野球への未練がふくらんできた。「現在、宝塚市で鉄工所を経営している父親・欣治さん・47歳)も、高校・大学時代を通じ硬式野球をやっていた。父にも野球への夢があった。それも野球に賭ける一つのきっかけとなった。55年、ドラフト外で阪急入りをした。一軍の梶本ヘッドコーチが松畑のピッチングを見て、目を見張る思いをしたのは昨年の秋期練習の時。「ピッチングモーションに天性のリズムがある。体のバネも素晴らしい。未完の大器だと思った。確かに野球はよく知らないが、鍛えれば将来のブレーブスを背負ってたつ投手になる逸材だ」松畑は3年目を迎えようとしているが、ファームの実績はほとんど無い。一昨年は1試合に登板し2イニング、昨年は2試合に登板し1イニングを投げただけ。その彼を梶本コーチが抜擢した。「高知に行ったら紅白戦第一戦に先発させる。」2月11日、彼は紅白第一線で紅組先発投手として登板した。この時、山森、大橋、島谷、松井、藤本らに投げた。立ち上がり、山森、大橋にいきなり連続ホームランを打たれた。が、後はきっちりと抑えた。島谷、松井、藤本と三振にしとめていった。高知キャンプから帰った今、天保コーチが松畑にコーチしている。「ウエスタンには今季どんどん登板させる。夏以降には絶対上で投げられるようにしてみせる。ブレーブスの秘密兵器になることは間違いないだろう」