プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

川口敏春

2023-10-19 21:48:59 | 日記
1967年
重松コーチからいろいろ教えをうけた。とくにカーブのあとに投げる直球が、高めに入る傾向を注意された。もっと低めのコントロールをつけないとダメだ。どんなにいいカーブを投げても、そのあとのタマが高めにいったら、せっかくのカーブが生きてこない。タマのコンビネーションのむずかしさがわかった。高校時代は毎日同じような練習の繰り返しだったが、プロはさすがに違う。毎日、毎日練習に変化があり、覚えるのにひと苦労だ。だが半面では意欲もわいてくる。これは楽しいことだ。なんとか一日も早く自分のピッチングのフォームを固めたいと思う。つらいこともある。ともかく初めてのキャンプでわからないことばかり。いろいろと気を使ったりして精神的な圧迫を感じる。もっと図太くなろう。十日はキャンプ二度めの休養日。だが独身組は足止めを食い、家に帰れないそうだ。チョッピリがっかりしたが、せっかくの休日だ。ゆっくり休んでこれからの練習に備えてスタミナをたくわえよう。

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岩崎忠義

2023-10-19 21:06:20 | 日記
1967年 

東京オリオンズに入団が決まった津久見高三年の岩崎忠義選手(18)は、三十一日午前十時二十七分津久見駅発急行列車で上京した。埼玉県川口市で一日から行われる東京キャンプに参加する。岩崎選手は津久見高の中心選手で、一昨年、昨年の甲子園大会に出場、また昨年の大分国体準優勝の原動力となった。同選手は二年生のときから三塁手で三番を打ち、俊足強打の大型選手としてプロ球界から注目されていた。
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甲斐和雄

2023-10-19 20:54:45 | 日記
1966年


四番甲斐もさきの九州高校野球予選の準決勝で延岡高から奪った3打席3本とも三塁打という快記録をつくって以来、ますます調子を上げている。
1967年


甲斐は力の柳田にたいしてワザの甲斐というところ。細身だが、ファイトがある。また四番打者ながら、塁に出ると走りまくる。城島渉外課長もその足にひかれたという。守備面はまだ勉強しなければならないが「打撃にパンチがあり、うまいタマのとらえ方をする選手」(中西監督)


朝から風が強く、冷たい。キャンプにきてからいちばん寒かった。マシンバッティングでも初めてのうちは手にしびれがきてまいった。だが、寒いからといって力を抜くようなことはできない。先輩たちもガンガンやっている。とくに力の違いは想像以上だ。投手のタマのスピード、打球のスピードも高校時代とは段違いだ。ことし入った同期生はだれでも一日も早く第一線に出たいと思っている。ぼくも同じ気持ちだ。それにはコツコツと努力を積むほかない。さいわい二週間前疲れから痛めた左足の痛みもすっかりなくなって体調はじゅうぶんだ。しかしつくづく感じることは、まだからだができていないことだ。だからいってそうからだを鍛えよう。現在の目標はあこがれの中西監督さんやコーチのノックを早く受けることだ。これまで親元を離れたことのないぼくだ。だからやはりさびしい。だがプロ一年生、そんな感傷にひたってはおれない。

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