プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

外山博

2023-10-11 22:19:21 | 日記
1967年
秋季練習を行っている中日は、七日正午から中日球場で紅白戦を行った。若手のホープ外山が、ストレートと落差の大きなカーブで四回を4安打に押さえたのが光った。

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スタンレー橋本

2023-10-11 22:09:17 | 日記
1974年
32年、来日して暴れん坊東映のクリーン・アップを打ったスタンレー橋本一塁手(在ハワイ・保険会社勤務)が、「ウォーリーのハッスル・プレー100%だったネ。ウォーリーの場合、初めは一人ぼっちのうえ、言葉も通じなかったから、これだけでもツー・ストライクのハンディがあったと思うのネ。彼の力で、みんな日本に来られたと思う。ボク、彼の家の隣に住んで、よく面倒みてもらったヨ」と言うように、与那嶺は来日二世部隊のまとめ役であった。

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辻中貞年

2023-10-11 22:00:47 | 日記
1972年
大阪市東住吉区の路上で、集金帰りの店員が後をつけてきた男にナイフで脅されて、74万円入りの袋を奪われた。通りかかった近くの果物屋さんと大工さんが追っかけ、大工さんは途中石を拾い文字通りランニングスロー。これが見事当ってひるんだ賊は捕まった。この大工さんは辻中貞年さん(36)で元近鉄球団のプロ野球選手。30年には公式戦で4勝をマークした投手。辻中さんの投げた石は四個。「肩が冷えたので、0-3と追い込まれ、やっとストライクですよ」とはさすが。

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玉井英紀

2023-10-11 21:55:05 | 日記
1958年
昨春、県大会で優勝した玉井投手が健在だ。精神的にも技術的にも進歩して3点以上許すことはめったにない。武器は外角の速球と打者の手元へぐっとのびるシュート。「これまで玉井のワンマンチームといわれてきたが、井門コーチの熱心な指導で全体にまとまってきた。守備に信頼ができると、玉井も息を抜くことができる」と木村野球部長は喜んでいる。

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