プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

河守峰男

2014-03-14 22:10:02 | 日記
1976年

プロで自分の力をためしてみたい。こう云って草薙のキャンプに参加、見事首脳陣の目にかなって入団した河守選手である。小柄ではあるが根性はなかなか立派、左腕からくり出す速球も威力があり、極めて面白い存在である。精進一つで一軍の試合も夢ではなく、今後の努力に大いに期待したい。
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米谷延夫

2014-03-14 21:47:58 | 日記
1975年

近代時代、オールジャパンの一員に選ばれ、社会人野球(大昭和富士)ではベストナインに3回選ばれたという好打者。社会人生活も体験しているだけにこの社会での在り方に対する心構えも十分できている。キャリアーも豊富だし数少ない捕手陣にあって稀少価値がある。キビキビとした文句ない捕手タイプ。どこまで伸びるか楽しみの持てる新人だ。
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三好幸雄

2014-03-14 21:34:13 | 日記
1968年

三好投手は、どちらかといえばパッとしない、見ばえのしない投手。他球団の打者の印象は薄いはずだが、相手に回すとこれほど打ちにくい投手はいないらしい。「トニー。お前の顔を見たら、他のチームの打者が闘志を失うのと違うか。意気込んでボックスに立っても、マウンド上のピッチャーを見たら、ヌーッとしとったら、力抜けるよ。ほんとに・・・」こういって冷やかされても三好は平気な顔。「これは親譲りの顔だから、もうどうしようもないよ。相手が闘志をなくせば、儲けもの。それがこっちのつけ目さ」とニヤリとして見せた。あとひとりの打者を打ち取れば、大羽が勝利投手というところで、三好がリリーフを命じられたことがあった。三好はいつもと変わらぬ表情でマウンドへ。そうして、カーブとシュートでゆさぶった挙句、大胆にもストレートを決め球にしてピンチを切り抜けた。三好は、吉川英治の「宮本武蔵」の愛読者であって「ボクなんかまだまだですが、あの本を読んで無心に勝利ありという剣の心が、わかったような気がします」といっている。トニーというバタくさいニックネームに似合わず、その中味は、なかなか日本的なものを持っている三好である。
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長田裕之

2014-03-14 21:24:08 | 日記
1967年

長田が十日の南海戦で五勝目をあげた。開幕直後、好調のスタートを切り、トントン拍子で四勝をあげた長田が調子をおとしたのは夏場にはいってからで、ノラリクラリのカーブ、シュートでゆさぶるのが身上のピッチングだが、肝心のストレートが夏バテからさっぱり走らなくなったのがその原因。しかし、十日の南海戦では、そのストレートに威力があり、勝負どころで投げるシュートの切れも鋭く、五回三分の二を二安打一点に押える見事なピッチングだった。「九月いっぱい二軍で練習していたんだ。ことしはもうお呼びじゃないのかなと半分あきらめていたら、きのう急にベンチ入りをいわれた。このままシーズンに終わったらもうおしまいだと思ったから、このチャンスをつかむのに必死だった」十年選手らしくもなく、長田は流れる汗をふくのも忘れて興奮気味。過去九シーズンで三勝が自己最高だが、それを上回る五勝目をつかんだのだから興奮するのも当然の話。「これで来年も野球が出来るかな」と長田はホクホク顔だった。
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川内雄富

2014-03-14 21:16:34 | 日記
1967年

「川内ね。聞いたことのない名前だがどんな選手だい」下関球場で一番レフト川内と先発メンバーのアナウンスが行われると一塁側大洋のベンチは、一瞬ざわめいた。はじめ大洋側は当て馬と考えたようだが、当て馬はこんどの規約改正で、一度は打席に立つか守りにつくことになっているため、どんな選手が出てくるか、広島の攻撃を待った。ところが、ヒットにこそならなかったが、いきなりいい当りを放ったから二度びっくり。「なかなかいい振りをしているんじゃないか、鍛えればよくなる」という声も出たほどだった。川内は広陵高二年を中退、広島の新人テストで採用されたプロ入り二年生。昨シーズンも終盤に代打で起用され、今シーズンも、対産経四回戦の六回、一死一、二塁の好機に代打で起用され、三塁手城戸を誤らして内野安打を放っている。しかし、他球団にとっては無名の新人に等しい存在だ。長谷川監督は、川内を起用している理由を「あれは練習でもいい当りを放つし、振りがいいが、何よりも勝負強いのがいい。大事な場面でも気遅れせず、かえってハッスルするその根性、粘り強さを買ったんだ」と語っている。確かに二十歳そこそこの少年に似ずシンの強いところを持ち合わせている川内だが、長谷川監督の親心があるのは見逃せない。それというのも、川内は、両親がなく、おばあちゃん子。祖父母がわが子のようにかわいがっているが、ことしになりおじいさんがめっきり老衰してきたため、孫の晴れ姿を見たいと口グセのようにいっていると聞き、それでは進境著しい川内を使ってやれと思っているフシがあるからだ。長谷川監督の親心を知ってか知らずか、川内は意欲満々だ。「ボクは、いままで強肩だけが取り柄でしたが、それも遠投が正確ではなく期待にそえませんでしたが、せっかくのチャンスを逃さないように全力をあげてやります。それが亡くなった母の供食でもあり、祖父母への孝行だと思っています」ある無名選手の活躍の陰で、美談の花が咲いていた。
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鎌野裕

2014-03-13 22:33:04 | 日記
1973年

日大藤沢高ー関東学院大ー日本楽器
妻 晴美
1㍍77 80㌔ 右投右打

新婚。いくら投げてもこわれないタフな男。根性もなかなかのもの。サイドハンドのクセ球で球質が重い。

1試合0勝
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上森合直幸

2014-03-13 22:28:59 | 日記
24.8.5生

岩手西山中ー日特金属工業
1㍍73、73㌔ 右投右打

・軟式出身の変わり種。球筋が定まっていて、バッティング投手としては最高。主力打者のよき調整役である。

・フリーバッティング投手の親分。一時間でも投げるスタミナは陰の大きな戦力だ。
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国岡恵治

2014-03-13 21:55:15 | 日記
1970年

阪急の国岡恵治投手(十八)=鴨島商=には梶本二世の期待がこめられている。そのスケールの大きさはスカウト間で定評があったし、一八二センチの本格派左腕に対し「太田(三沢高ー近鉄)や西井(宮崎商ーアトムズ)より将来性の点ではむしろ有望」の声さえ上がっていた。徳島県鴨島商といえば中央球界では知られていない無名校。そのチームを背負って立った国岡は四番、エースとして一昨年夏甲子園進出を果たしている。昨年夏は南四国大会決勝で惜敗したものの、身上の剛速球に「カジ(梶本)が入団したときのようにスケールが大きい。ウチは巨人を倒す大目標があるし、三輪田(大昭和)と並んで国岡に期待している」交渉にあたった藤井スカウトのことばが七十年代のホープに贈るお年玉であろう。
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浜名敏幸

2014-03-13 21:40:22 | 日記
1975年

昭和31年6月17日生
大分県臼杵市 臼杵商高校
1㍍80、75㌔ 右投右打

高校在学中は定岡(鹿児島実)、堂園(鹿児島)の陰にかくれてはいたがその実力は専門家も認めている。南九州三羽ガラスの一員でスピードを身上とする本格的な投手。九州男児としての独特のよい根性をもち足の速さもすばらしいものをもっている。投手で脚力が秀れているということは先天的なもので下半身が安定していることが実証される。左の岡本との先陣争いに希望が持てそう。
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堀田明

2014-03-13 21:27:39 | 日記
1966年

ノンプロ日本新薬にいたとき、積水化学に補強され、夏の都市対抗大会で大活躍。決勝戦では産経の佐藤進(当時富士鉄室蘭)から決勝の左中間二塁打を奪っている。一回戦では中日・小川健(当時熊谷組)から右中間にタイムリーしたり、勝負強さではそのころから目立っていた。大阪の興国商業学園で、はじめ投手と一塁手をこなし、外野手一本になったのは二年生の春から。三年生のとき、春の選抜大会で甲子園に初出場、一回戦で強豪坂出商とぶつかって、延長15回、4時間以上の大熱戦のすえ敗れた。関大では藤井(阪神)の一年後輩。4年の秋、卒業試験でろくに練習もしていないときに臨時に四番を打たされたが、13試合に2ホーマーをふくめ3割2分をマーク。関西六大学リーグのベストテン七位にはいった。関大では文学部新聞学科をえらんだ変わりダネ。西部劇の大ファンだが、出演の映画俳優などまるで覚えていないという大まかなところがある。
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一ノ関英徳

2014-03-13 21:15:04 | 日記
1971年

あくまで将来に期待がかけられた左腕投手。東北人特有のネバリ強さで練習には黙々と取り組む。今シーズンはイースタン・リーグで実績を残すことが、自分で道を開くことになる。たとえバッティング投手でも買ってでて、コツをつかむのが必要。
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宮脇敏

2014-03-13 21:06:13 | 日記
1973年

前期は一軍についてバッティング投手をしていたが、リストワークがよく、将来が楽しみ。ストレートとシュートが武器。
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詫摩和文

2014-03-13 20:40:59 | 日記
1969年

鹿児島県下では中西二世と呼ばれ「二、三年先にはウチの中心バッターになれる」(別所監督)と期待を集めながら、ことしの佐伯キャンプ(二月二十五日)で連係プレーの練習中、奥宮捕手と激突、右足首骨折で全治三カ月の重傷を負ったアトムズのルーキー詫摩が、六月の声を聞いてようやく復帰した。武山のロッテ九回戦(武山)でいきなり四番、左翼手として登場。まだ余り無理が効かないため、一打席打っただけですぐに松屋と交代したが、強打の詫摩の復活には首脳陣はじめ、獲得に奔走した宇高スカウトもホッとした表情。詫摩は昨年のドラフトでアトムズが第三位に指名、「リストの強さとバッティングのうまさは超高校級」と定評があった有望株。一年目のキャンプでいきなり重傷を負ったルーキーも珍しいが、それだけに詫摩の再起への意欲は大変なもの。「大事なキャンプ、それも終わり頃になって大ケガするなんて・・・あの時は本当に情けなかった。でも、ようやくバットも振れるようになったのでこれからブランクを一気に挽回します」と明るい顔つきだ。
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渡辺一夫

2014-03-13 20:28:21 | 日記
1968年

連覇をめざす阪急ブレーブスに新入団の渡辺一夫(右投右打)はいままで名のある大会出場の経験がなく、あまり球界には知られていなかったが、今夏仙台地区予選で相手高を16奪三振、ノーヒット・ノーランにおさえる活躍をし、がぜんスカウト連の目を見張らせた「カーブは曲がらないからあまり投げないがストレートは自慢できます」と何も臆せずにいってのけるところなど首脳陣のいう「将来チームの大黒柱として働ける力を持った投手に間違いない」ということを裏付けている。
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柿崎幸男

2014-03-12 21:25:47 | 日記
1975年

・・・柿崎幸男選手

三沢高校

31、11、28生 1㍍76、72㌔

ドラフト5位。100㍍11秒1の俊足の持ち主。勘が鋭く、パンチ力も抜群で、高校時代3年間で通算20ホーマーをマークしている。積極性、指導力をかわれて主将に選ばれた。「思い切りのよいバッティング、バネのある体は衣笠そっくり」と期待を集めている。
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