梅雨明けだそうな。
昨夜まで降っていて、雨上がりの湿気が残る森だけど。
風がざわざわと木々を揺らして吹き抜けていきます。
夏かあ… 育む季節だなあ…
そこへ、どどどどどと地響きがした後、家じゅうが
みしみしと揺れ始めました。
震度4だと電話をもらって知りました。
先日の大地震の記憶が生々しいので東北地方は揺れれば
即、警戒! 怠れません。
と言って何したかというと、廊下を小走りに抜けて
庭へ降りただけ。地面の揺れがないのに、ほっとして
ベイビーがそばにいることにほっとして
ふたたび、夏かあ… 育くむ季節かあ… と木を見て
いました。
福島沖が震源地と聞いて、海の日で遊びにでかけている人々
がたくさんいるだろうことを想いました。
子供が親を殺す事件が続いています。
殺す前に、すでに始まっていたはずの事々には
どう向き合ってきたのでしょうか。
震源地、人にあるのならば、それは探れます。
夏心、あれば…
閉じ込められた言葉に支配される人の脳は
暴挙に出るけれど、少しも興奮していない
自らの心。分離してしまった言葉と霊。
脳を埋め尽くす記号としての言葉には
言霊はない。
であれば、人が鎮まれるはずもないのだ。