想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

トウキョウソナタ、未来は明るいか

2010-05-05 11:44:37 | Weblog
黒沢清監督の「トウキョウソナタ」で一番印象深かったのは
中年女になったキョンキョンでもなくダントツ演技で主演を
食うバイプレーヤー香川でもなく、長男の大学生の言動であった。

未成年という設定だったから19歳、大学へは入ったばかりである。
その息子が父親に逆らい、母の嘆きも受け付けず、いっぱしの
大人ぶって物言うサマはかつて自分が若かった頃を思い出すなんて
ちょろいもんでもなく、はるかに度を超えているのであった。



黒沢監督はこの手の家族、人間関係のギクシャクとした、縺れたり
破れたりしたものをこれまでも描いてきている。
少ない台詞でほぼ全容解明でき、わかりやすくかつ平板ではない。
役者もうまいが脚本がいい、定番役所が出てくる以外は。
カンヌでも東京でも絶賛されたという評判に、素直にそうかそうかと
同感できる映画であった。
一箇所でも、これがあれであればなあというようなところがある作品、
それでも8割がた納得できればスッキリする。目指せ8割!とりあえず
(と独白するうさこ)。

ネタばれになるといけないので映画のあらすじは書かないけど、
クダンの長男が唐突な行動に出るところがある。そんなバカな的な。
言い出したら聞かないのである。
それを若者の特徴、と言って済ますのは歳だけくってるバカな年長者
ではなかろうか。そういう人はいずれわかるさなんて訳知りに言う。

それは若者ゆえではなく無知な人間の特徴なのではないかと思う。
なぜなら、若者イコール無知とは限らない
歳若くても知性も理性も備えた人はけっこう存在する。著名な天才で
なくともそこそこの知性でもギリギリセーフの境界線は守れるのだし。
ああ、なんてバカなと言われる人はその境が見えないのである。

若者の特徴ではなく無知の特徴は我が強いことだ。
自制心や周囲を気遣う心を、かけらほどにも持たない。
そういうヤツは無知から脱出できず、傍からは簡単に無謀、そりゃヤバイ
ぜよと言われる事にほとんど警戒心など持たない。やっちまうのである。
そして失敗し、傷つく。そして人を恨むのである。周囲になんらかの
理由を探しだしこじつけ、言い訳するのがオチである。

誰に対してというより自分で自分に言い訳せずにはいられない。
それほど我が強いのだ。
この、決して自分を責めない、そこが無知の極みである。
ゆえに歳をとろうが季節がめぐろうが、雨が降ろうが矢が飛んで
こようが堂々巡りである。悪循環であることを知るには輪の外に立ち
己を見る客観性がなければならないが我の強さはそれを阻むのである。



無知は罪という言葉があるが、この罪はまず己自身に対する無責任さ、
そして次に生んでくれた親に対する罪である。
映画のなかのバカ息子もキョンキョン演じる母親を絶望させ、深い深い
奈落へと突き落とすのであった。
だが「トウキョウソナタ」は決して滅びだけ描いた作品ではない。
それが多くの共感を得、作品としての価値を高めているのであるなあ。
バカ息子の行く末はどうあれ、対照的な存在を登場させ、再生する芽が
ないわけではないというささやかな救いで締めくくられていた。
その存在は、知とは脳ではなく感じる力がもたらすものであることを
表現していて、映画の中で唯一光を与えていた。

今、沖縄で基地移設反対の声を上げている多くの人々のなかに若い人もいる。
基地から遠く離れた内地、トウキョウでノンキに育った若者が映画のなかの
バカモノのようになり下がる、それは時間の問題だということを警告した
この作品のもうひとつの意味が、今この時節に切実に響いてくる。
そこで2割増し、スッキリ感は10割でした。




コメント
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