どうもこんばんは、若年寄です。
今回のお題は、内田樹氏。
「内田樹のトンデモここに極まれり」
な記事を見つけたので、これをいじっていこうと思います。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
内田樹氏の妄言が、文春オンラインという比較的影響力のありそうな会社のサイトで紹介され、この人の著作物が出版される。インタビュー形式になってますが、文春側の人はどういう気持ちでこの妄言を聞いていたんでしょうか。
たいていの人は「また内田樹かー」と聞き流していると思うのですが、たまに真に受けてしまう人がいるから困ります。つい先日も
「それなりに筋が通ってる感じがしました」
と言う人がいて驚いてしまいました。
内田樹氏の妄言、放置しようかと思ったのですが、当ブログで前回ネタにした宇沢弘文も登場するので、前回記事の関連記事としてアップしてみます。
※前回記事
『社会的共通資本』という駄作 ~看板が違うだけで、中身は社会主義~ - 若年寄の遺言
それが、「過疎地に引きこもりを住まわせよう」です。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
内田 自然の力は本当にすごいんです。廃屋って、外から見るとそれとわかるほど荒れ果てますよね。人が住まなくなると、すぐに壁がはげ落ち、瓦が落ち、柱まで歪んでしまう。前に東京で見かけた廃屋は、半年後に通りがかったら竹が屋根を突き破っていました。その家に人が住んでいる頃にも、庭には竹林があったんでしょうけれど、竹が家の下にまで根を伸ばして、床を突き破るというようなことはなかった。人間がそこに住んでいるというだけで、自然の繁殖力は抑制されるからだと思います。
======【引用ここまで】======
内田樹氏は、「人間がそこに住んでいるというだけで、自然の繁殖力は抑制される」という考えをもっており、この妄言を元に主張を展開しています。
これについては、内田樹氏の発言に理解を示す方から、
「何にもしないで、ただ人が居るだけなら、そりゃ竹も生えてくるでしょうけど、人が住む以上、雑草抜いたり竹の子採ったりするでしょ…ていう前提の話だと思いますよ」
という擁護発言があったのですが、前提としての軽作業の必要性について、内田樹氏本人が明確に否定しています。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
もう1つアイディアがあるんですけれど、それは「引きこもり」の人たちに「歩哨」をしてもらうというものです。
一説によると、日本にはいま100万人の「引きこもり」がいるそうです。その人たちに過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう。里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる。部屋にこもって1日中ゲームやっていても、ネットをしていても、それだけで役に立つ。
======【引用ここまで】======
わざわざ括弧付きで
「過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう」
「里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる」
と述べています。さらに重ねて、「部屋にこもって1日中ゲームやっていても、ネットをしていても、それだけで役に立つ」と述べています。
・・・そんなわけがあるか(笑)
反例として↓をご覧ください。
自然が自宅に迫ってくる恐ろしさ、その対応の大変さが伝わってきます。
〇竹害ひどい、我が家の竹害問題と対策
竹林が範囲を広げてくると、そこに人が住んでいても関係ありません。住んでいる人が竹を切って掘って薬撒いて重機を入れて、やっと竹害を抑えることができます。住んでいるだけで竹の繁殖力が抑制される・・・なんてことはありません。庭に竹林があれば、根の伸びる方向によっては床の下にやってきます。それが竹になり、床を押し、ある日「あれ?床が盛り上がってる?」となって初めて、住んでいる人が気付くわけです。住んでいる人間としては、「床を突き破られたら大変!」と床下に潜って竹を切り、根を絶ち、竹林も伐採し、必要なら薬も撒いて、重機で掘り起こして、それでようやく床を突き破られるのを防ぐことができるのです。引きこもりが家でじっとして事足りる案件ではありません。ちょっとした軽作業のレベルでもありません。
人が住むことで、建物内部の換気が出来たり、部屋に虫が常駐するのをある程度防ぐことができ、その結果部屋の壁や天井はいくらか長持ちするかもしれません。しかし、引きこもりが部屋の中にいるだけでは、家周辺の植物の繁殖は抑えられません。自然の力は本当にすごいんです。引きこもりが部屋にいるだけでは、自然の繁殖力に飲み込まれます。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
昔はどんな神社仏閣でも「寺男」とか「堂守」といわれる人たちがいました。門の開け閉めをしたり、鐘を撞いたり、掃除をしたり、たいした仕事をするわけでもないのですが、広大な神域や境内に人が1人いるだけで大きな建物が維持されて、森に呑み込まれるということは起きなかった。
======【引用ここまで】======
おじいちゃん、住んでいるだけじゃダメなんですよー
おじいちゃんが知らないだけで堂守さんはいろんな仕事をしているんですよー
引きこもりを移住させても、家でずっとゲームしてたら家の周りは荒れ放題ですよー
内田おじいちゃんは自分とこの家や道場をどう管理してるのかなー?全部人任せかなー?
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
内田 人間はフロンティアを開拓して、自然を後退させてきたわけですけれど、これからの人口減少時代では、自然の侵略を防いで都市文明を守ることがフロンティアの仕事になる。
======【引用ここまで】======
フロンティアの開拓には、そりゃあ大変な労力が必要です。無数の木を切り倒し、獣を追い払い、大岩を取り除き、飲み水を確保し、仮住まいをこしらえ、地面を均し、家を建て、土を耕し、植えた作物が実るまでの間の食糧を確保しなければいけません。
フロンティアの維持にも相当な労力が必要です。草刈を継続しなければすぐ荒れ地に戻りますし、耕し続けなければ田畑としての機能が著しく低下します。雨が降れば、排水路や道が川のようになり崩れることも考えられます。水が滞れば虫が湧きます。家も修繕しなければいけません。
自然災害、天候不良、凶作、野獣の襲撃、様々な理由により開拓途中で諦めた人、開拓後に維持管理できずに元の場所へ帰った人、そこで亡くなった人もいたことでしょう。
昔は、農業・林業によって得られる利益やメリットが、開拓・維持に伴う危険性や労力といったデメリットを上回っていたから、里山での生活が成り立ったのです。ある程度の自給自足の能力を備えた人が、「今のままでは生活が行き詰まるけど、あの山を切り拓けば今よりも飯が食えるかもしれない」というインセンティブに導かれて開拓に従事したことで、人間の生活する範囲は広がっていきました。その当時の技術・生活様式等々に照らして、里山を開拓し維持することでその当事者が以前よりも豊かになれたから、人の住む場所が広がったのです。
その後、技術革新や生活様式の変化によって、里山を開拓し維持するメリットが相対的に減少しました。米も野菜も、機械と肥料を使って平地で大規模に実施する方が、安くて大量に生産できます。人々は、不便な山間部よりも便利な平地の都市を選びました。昭和から平成、令和にかけて、人々は仕事や利便性を求めて里山から都市へ移住していきましたが、この移住した人々は里山に戻ることはほとんどなく、その子供達も都会に住み続けています。
======【引用ここから】======
いまの地方政策は、コンパクトシティ構想に見られるように、過疎地を積極的に無人化して、住人を地方の中核都市に集めて、行政コストを下げるという発想です。住人を1か所に集めてしまえば、交通網や通信網や社会的インフラの整備コストが一気に削減される。官僚たちはそういうことを机の上で電卓を叩いて計画しているのでしょうけれども、実際には里山が無人化すると、自然と文明の緩衝地帯がなくなる。そうなると、都市のすぐ外側にまで森林が迫り、野獣が徘徊するようになる。
文明を守るためには、自然と都市の中間に里山が広がっていることが絶対に必要なんです。里山は自然の繁殖力を抑制し、それを人間にとって有用なものに変換する装置です。
======【引用ここまで】======
里山が無人化し、都市のすぐ外側まで森林が迫り、野生動物が徘徊するようになる。これは確かにリスクかもしれません。この野生動物に対し、都市住民が都市において直接的に対峙するコストと、都市から費用を出して緩衝材としての里山を維持し里山を盾として野生動物に対処するコストと、どちらが大きいのでしょうか。里山を維持するための労力を考慮せずに、
「文明を守るためには里山が広がっていることが絶対に必要なんです」
などと述べるのは、官僚もビックリな机上の空論です。
内田樹氏としては、
建前「自然と都市の中間に里山が広がっていることが絶対に必要なんです」
本音(自分の生活圏が野生動物の生活圏と接するのが絶対に嫌なんです)
という事なんでしょう。
人間の生活圏と野生動物の生活圏とは、どこかで接点を持っています。その接点を里山とするか、都市で直接接するかは、その地域や時代の技術や生活様式等によって異なります(海外では、ハイエナが城壁を越えて街へ入り込み、商店や民家の間を普通に歩いている光景も見られる、とか)。人間と野生動物とが接する部分では、どう接するかに知恵や工夫を施さなければいけません。リスクやコストを無視してはいけません。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
経済学者の宇沢弘文先生によると、全人口の20-25%くらいは農村に住まなくてはならないそうです。いま日本の農業従事者は人口の1.3%です。農村人口というのは別に農業従事者のことではありません。自然の過剰な繁殖力を抑制するために里山に住む人たちのことです。宇沢先生が出した20~25%の農村人口という数字にはそれほどきちんとした統計的な根拠はないんじゃないかと思います。割と直感的な数字だと思います。でも、この直感を僕は信じます。全人口の5分の1くらいは都市ではなく、里山エリアに住んだ方がいい。そこで年金生活をしてもいいし、作家活動をしてもいいし、音楽をやってもいいし、陶芸をしてもいい。とにかく里山に「人がいる」ということが大事なんです。
======【引用ここまで】======
はい出た、社会主義とほとんど見分けがつかない「社会的共通資本」でお馴染みの宇沢弘文です。
宇沢の信奉者曰く、数理経済学者としての業績はノーベル賞級らしいのですが、その後の「社会的共通資本」の提唱については哲学者・・・風のただの居酒屋談義のオジサンというのが、私の感想です。内田樹氏と同じ穴のムジナです。
そんな数理経済学者であったはずの宇沢の「全人口の20-25%くらいは農村に住まなくてはならない」という主張に、内田樹氏は賛同しています。ただ、宇沢も内田樹氏も、きちんとした統計的な根拠は持ち合わせていません。宇沢の著書『社会的共通資本』を読んでみても、その根拠は不明です。
「全人口の5分の1くらいは都市ではなく、里山エリアに住んだ方がいい。」
と述べる内田樹氏ですが、自身が館長を務める凱風館ってどこにあるの?
当然、どこかの山奥か限界集落だよね?
・・・と思っていたら・・・
・・・ええええっ、神戸市の市街地ですって!?!?!?
よし、凱風館をどこかの限界集落か消滅集落に移転させ、内田樹氏と道場に通う門下生達を歩哨として送り込もう。門下生全員が難しいなら、まずは内田樹氏ひとりでもいい。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
そういうミクロな求人とミクロな求職をマッチングする仕組みができれば、かなりの数の「引きこもり」が里山の「歩哨」として暮らして、かつて西部開拓者が経験したような達成感や全能感を経験して、メンタル的に回復するというようなことが起きるんじゃないか。そんなことをぼんやり夢想しています。
――やりたがる人、意外に多いと思います(笑)。
内田 フロンティアを守るのに実はそんなに頭数は要らないんです。大伽藍を守るのに「寺男」が1人いて、寝起きしているだけで十分だという話をしましたけれど、西部開拓でもそうなんです。
======【引用ここまで】======
フロンティアを守るのに、そんなに頭数は要らない。大伽藍を守るのに寺男が一人いて寝起きしているだけで十分なんです・・・よね?
インタビューの聞き手をしている文春オンライン側の人も、
「やりたがる人、意外に多いと思います(笑)。」
と悠長な事を言ってますが、真夏に草刈りを3時間した次の日にまた草刈りをしなきゃいけないとなったら、(笑)とか出てこないでしょうね。
凱風館移転に合わせて一緒に限界集落に住んだらいいと思います。
======【引用ここから】======
僕が提案する「逆ホームステッド」法は、放置された私有地や無住の家屋を自治体が接収して、コモンにして、そこに住んで5年間生業を営んだ人に無償に近いかたちで払い下げるというアイディアです。
======【引用ここまで】======
70年ほど前、日本で似たような事をやりました。政府が地主から土地を接収し、小作人に無償に近い形で払い下げる「農地改革」です。
農地改革の結果、小作人は喜びました。しかしその後、農地が農家一軒ごとに細切れにされたため、農業の規模拡大・効率化は阻害され、非効率な三ちゃん農業を細々と続けています。そうした兼業農家が、農業従事者のかなりの割合を占めています。農業は家業であって就職先にはならない、というイメージが固定化され、若者は就職先のある都会に出ていく・・・農村の衰退、過疎化の原因を辿っていくと、平等主義的な農地改革の失敗があります。
放置された土地・建物について、
「この土地を買おうと思ったのに、名義人は20年近く前に死んでいる。相続人が全部で数十人いる。誰が所有者か分からない。相続人を追いかけるのは事実上不可能だ」
といった事態は実際に生じています。これに対処するため、民法等を改正し、所有関係を整理する手段を定めるのは良いかもしれません。
しかし、所有者は分かっているがその所有者が放置している場合に、自治体が接収するのは、単なる財産権の侵害であり正当化できません。欲しいと思った人が、対価を払って所有者から買えば済む話です。内田樹氏や故宇沢弘文といった老人の思い付き妄言を実現するために、自由の基礎である私有財産制を犠牲にするなんて以てのほか。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
もともと土地というのは私有すべきものではないと僕は思っています。一時的に公共のものを借りて使用しているだけで、使用しなくなったら、再び公共に戻すということでよい。
======【引用ここまで】======
宇沢弘文を信奉する社会主義者が、馬脚を露しましたよ。
「人口の20%程度は里山に住むべきだ。引きこもりが里山に住んだらいい」
という妄言は、個人の自由や個人の選択を蔑ろにし、コストやリスクの度外視に基づくものですが、この根底には社会主義・全体主義的な考え方があるのです。
何もしない引きこもりは過疎地へ送り込め、そうすれば社会全体の役に立つ・・・これって、杉田水脈氏の「生産性」発言と同じレベルの問題発言だと思うのです。少子化対策にならないからLGBTへの税金投入は正当化されないという杉田氏と、里山を維持するために自治体が引きこもりを里山に住まわせろという内田氏、この両者は一定の社会目標を達成するため個人の生き方に政府が介入しようとする点で共通しています。
「LGBTには生産性がない」? JobRainbowが改めて解説 | LGBT就活・転職活動サイト「JobRainbow」
======【引用ここから】======
このように、「社会に役立つ」「社会に役立たない」という基準で人の価値を判断するのは、いずれ「役立たない人は生きている価値がない/他の人よりも価値が低い」という考え方(優生思想)に結びついてしまいます。
======【引用ここまで】======
ということで、前回は宇沢弘文の『社会的共通資本』を買って読んで批判したのですが、今回の文春オンラインで宣伝されている内田樹氏の『コモンの再生』は、絶対に買いません(笑)。もう、おじいちゃんの妄言にお金を出したくありません。
今回のお題は、内田樹氏。
「内田樹のトンデモここに極まれり」
な記事を見つけたので、これをいじっていこうと思います。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
内田樹氏の妄言が、文春オンラインという比較的影響力のありそうな会社のサイトで紹介され、この人の著作物が出版される。インタビュー形式になってますが、文春側の人はどういう気持ちでこの妄言を聞いていたんでしょうか。
たいていの人は「また内田樹かー」と聞き流していると思うのですが、たまに真に受けてしまう人がいるから困ります。つい先日も
「それなりに筋が通ってる感じがしました」
と言う人がいて驚いてしまいました。
内田樹氏の妄言、放置しようかと思ったのですが、当ブログで前回ネタにした宇沢弘文も登場するので、前回記事の関連記事としてアップしてみます。
※前回記事
『社会的共通資本』という駄作 ~看板が違うだけで、中身は社会主義~ - 若年寄の遺言
【根拠なき「住んでるだけで大丈夫」】
「妄言」とは、「出まかせで根拠の無い言葉」を指します。内田樹氏は、根拠のない出まかせに立脚して思い付きの施策を提言しています。それが、「過疎地に引きこもりを住まわせよう」です。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
内田 自然の力は本当にすごいんです。廃屋って、外から見るとそれとわかるほど荒れ果てますよね。人が住まなくなると、すぐに壁がはげ落ち、瓦が落ち、柱まで歪んでしまう。前に東京で見かけた廃屋は、半年後に通りがかったら竹が屋根を突き破っていました。その家に人が住んでいる頃にも、庭には竹林があったんでしょうけれど、竹が家の下にまで根を伸ばして、床を突き破るというようなことはなかった。人間がそこに住んでいるというだけで、自然の繁殖力は抑制されるからだと思います。
======【引用ここまで】======
内田樹氏は、「人間がそこに住んでいるというだけで、自然の繁殖力は抑制される」という考えをもっており、この妄言を元に主張を展開しています。
これについては、内田樹氏の発言に理解を示す方から、
「何にもしないで、ただ人が居るだけなら、そりゃ竹も生えてくるでしょうけど、人が住む以上、雑草抜いたり竹の子採ったりするでしょ…ていう前提の話だと思いますよ」
という擁護発言があったのですが、前提としての軽作業の必要性について、内田樹氏本人が明確に否定しています。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
もう1つアイディアがあるんですけれど、それは「引きこもり」の人たちに「歩哨」をしてもらうというものです。
一説によると、日本にはいま100万人の「引きこもり」がいるそうです。その人たちに過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう。里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる。部屋にこもって1日中ゲームやっていても、ネットをしていても、それだけで役に立つ。
======【引用ここまで】======
わざわざ括弧付きで
「過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう」
「里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる」
と述べています。さらに重ねて、「部屋にこもって1日中ゲームやっていても、ネットをしていても、それだけで役に立つ」と述べています。
・・・そんなわけがあるか(笑)
反例として↓をご覧ください。
自然が自宅に迫ってくる恐ろしさ、その対応の大変さが伝わってきます。
〇竹害ひどい、我が家の竹害問題と対策
竹林が範囲を広げてくると、そこに人が住んでいても関係ありません。住んでいる人が竹を切って掘って薬撒いて重機を入れて、やっと竹害を抑えることができます。住んでいるだけで竹の繁殖力が抑制される・・・なんてことはありません。庭に竹林があれば、根の伸びる方向によっては床の下にやってきます。それが竹になり、床を押し、ある日「あれ?床が盛り上がってる?」となって初めて、住んでいる人が気付くわけです。住んでいる人間としては、「床を突き破られたら大変!」と床下に潜って竹を切り、根を絶ち、竹林も伐採し、必要なら薬も撒いて、重機で掘り起こして、それでようやく床を突き破られるのを防ぐことができるのです。引きこもりが家でじっとして事足りる案件ではありません。ちょっとした軽作業のレベルでもありません。
人が住むことで、建物内部の換気が出来たり、部屋に虫が常駐するのをある程度防ぐことができ、その結果部屋の壁や天井はいくらか長持ちするかもしれません。しかし、引きこもりが部屋の中にいるだけでは、家周辺の植物の繁殖は抑えられません。自然の力は本当にすごいんです。引きこもりが部屋にいるだけでは、自然の繁殖力に飲み込まれます。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
昔はどんな神社仏閣でも「寺男」とか「堂守」といわれる人たちがいました。門の開け閉めをしたり、鐘を撞いたり、掃除をしたり、たいした仕事をするわけでもないのですが、広大な神域や境内に人が1人いるだけで大きな建物が維持されて、森に呑み込まれるということは起きなかった。
======【引用ここまで】======
おじいちゃん、住んでいるだけじゃダメなんですよー
おじいちゃんが知らないだけで堂守さんはいろんな仕事をしているんですよー
引きこもりを移住させても、家でずっとゲームしてたら家の周りは荒れ放題ですよー
内田おじいちゃんは自分とこの家や道場をどう管理してるのかなー?全部人任せかなー?
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
内田 人間はフロンティアを開拓して、自然を後退させてきたわけですけれど、これからの人口減少時代では、自然の侵略を防いで都市文明を守ることがフロンティアの仕事になる。
======【引用ここまで】======
フロンティアの開拓には、そりゃあ大変な労力が必要です。無数の木を切り倒し、獣を追い払い、大岩を取り除き、飲み水を確保し、仮住まいをこしらえ、地面を均し、家を建て、土を耕し、植えた作物が実るまでの間の食糧を確保しなければいけません。
フロンティアの維持にも相当な労力が必要です。草刈を継続しなければすぐ荒れ地に戻りますし、耕し続けなければ田畑としての機能が著しく低下します。雨が降れば、排水路や道が川のようになり崩れることも考えられます。水が滞れば虫が湧きます。家も修繕しなければいけません。
自然災害、天候不良、凶作、野獣の襲撃、様々な理由により開拓途中で諦めた人、開拓後に維持管理できずに元の場所へ帰った人、そこで亡くなった人もいたことでしょう。
昔は、農業・林業によって得られる利益やメリットが、開拓・維持に伴う危険性や労力といったデメリットを上回っていたから、里山での生活が成り立ったのです。ある程度の自給自足の能力を備えた人が、「今のままでは生活が行き詰まるけど、あの山を切り拓けば今よりも飯が食えるかもしれない」というインセンティブに導かれて開拓に従事したことで、人間の生活する範囲は広がっていきました。その当時の技術・生活様式等々に照らして、里山を開拓し維持することでその当事者が以前よりも豊かになれたから、人の住む場所が広がったのです。
その後、技術革新や生活様式の変化によって、里山を開拓し維持するメリットが相対的に減少しました。米も野菜も、機械と肥料を使って平地で大規模に実施する方が、安くて大量に生産できます。人々は、不便な山間部よりも便利な平地の都市を選びました。昭和から平成、令和にかけて、人々は仕事や利便性を求めて里山から都市へ移住していきましたが、この移住した人々は里山に戻ることはほとんどなく、その子供達も都会に住み続けています。
【コスト無視した机上の空論】
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン======【引用ここから】======
いまの地方政策は、コンパクトシティ構想に見られるように、過疎地を積極的に無人化して、住人を地方の中核都市に集めて、行政コストを下げるという発想です。住人を1か所に集めてしまえば、交通網や通信網や社会的インフラの整備コストが一気に削減される。官僚たちはそういうことを机の上で電卓を叩いて計画しているのでしょうけれども、実際には里山が無人化すると、自然と文明の緩衝地帯がなくなる。そうなると、都市のすぐ外側にまで森林が迫り、野獣が徘徊するようになる。
文明を守るためには、自然と都市の中間に里山が広がっていることが絶対に必要なんです。里山は自然の繁殖力を抑制し、それを人間にとって有用なものに変換する装置です。
======【引用ここまで】======
里山が無人化し、都市のすぐ外側まで森林が迫り、野生動物が徘徊するようになる。これは確かにリスクかもしれません。この野生動物に対し、都市住民が都市において直接的に対峙するコストと、都市から費用を出して緩衝材としての里山を維持し里山を盾として野生動物に対処するコストと、どちらが大きいのでしょうか。里山を維持するための労力を考慮せずに、
「文明を守るためには里山が広がっていることが絶対に必要なんです」
などと述べるのは、官僚もビックリな机上の空論です。
内田樹氏としては、
建前「自然と都市の中間に里山が広がっていることが絶対に必要なんです」
本音(自分の生活圏が野生動物の生活圏と接するのが絶対に嫌なんです)
という事なんでしょう。
人間の生活圏と野生動物の生活圏とは、どこかで接点を持っています。その接点を里山とするか、都市で直接接するかは、その地域や時代の技術や生活様式等によって異なります(海外では、ハイエナが城壁を越えて街へ入り込み、商店や民家の間を普通に歩いている光景も見られる、とか)。人間と野生動物とが接する部分では、どう接するかに知恵や工夫を施さなければいけません。リスクやコストを無視してはいけません。
【根拠なき「全人口の5分の1は里山に住むべき」】
内田樹氏の妄言は続きます。日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
経済学者の宇沢弘文先生によると、全人口の20-25%くらいは農村に住まなくてはならないそうです。いま日本の農業従事者は人口の1.3%です。農村人口というのは別に農業従事者のことではありません。自然の過剰な繁殖力を抑制するために里山に住む人たちのことです。宇沢先生が出した20~25%の農村人口という数字にはそれほどきちんとした統計的な根拠はないんじゃないかと思います。割と直感的な数字だと思います。でも、この直感を僕は信じます。全人口の5分の1くらいは都市ではなく、里山エリアに住んだ方がいい。そこで年金生活をしてもいいし、作家活動をしてもいいし、音楽をやってもいいし、陶芸をしてもいい。とにかく里山に「人がいる」ということが大事なんです。
======【引用ここまで】======
はい出た、社会主義とほとんど見分けがつかない「社会的共通資本」でお馴染みの宇沢弘文です。
宇沢の信奉者曰く、数理経済学者としての業績はノーベル賞級らしいのですが、その後の「社会的共通資本」の提唱については哲学者・・・風のただの居酒屋談義のオジサンというのが、私の感想です。内田樹氏と同じ穴のムジナです。
そんな数理経済学者であったはずの宇沢の「全人口の20-25%くらいは農村に住まなくてはならない」という主張に、内田樹氏は賛同しています。ただ、宇沢も内田樹氏も、きちんとした統計的な根拠は持ち合わせていません。宇沢の著書『社会的共通資本』を読んでみても、その根拠は不明です。
「全人口の5分の1くらいは都市ではなく、里山エリアに住んだ方がいい。」
と述べる内田樹氏ですが、自身が館長を務める凱風館ってどこにあるの?
当然、どこかの山奥か限界集落だよね?
・・・と思っていたら・・・
・・・ええええっ、神戸市の市街地ですって!?!?!?
よし、凱風館をどこかの限界集落か消滅集落に移転させ、内田樹氏と道場に通う門下生達を歩哨として送り込もう。門下生全員が難しいなら、まずは内田樹氏ひとりでもいい。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
======【引用ここから】======
そういうミクロな求人とミクロな求職をマッチングする仕組みができれば、かなりの数の「引きこもり」が里山の「歩哨」として暮らして、かつて西部開拓者が経験したような達成感や全能感を経験して、メンタル的に回復するというようなことが起きるんじゃないか。そんなことをぼんやり夢想しています。
――やりたがる人、意外に多いと思います(笑)。
内田 フロンティアを守るのに実はそんなに頭数は要らないんです。大伽藍を守るのに「寺男」が1人いて、寝起きしているだけで十分だという話をしましたけれど、西部開拓でもそうなんです。
======【引用ここまで】======
フロンティアを守るのに、そんなに頭数は要らない。大伽藍を守るのに寺男が一人いて寝起きしているだけで十分なんです・・・よね?
インタビューの聞き手をしている文春オンライン側の人も、
「やりたがる人、意外に多いと思います(笑)。」
と悠長な事を言ってますが、真夏に草刈りを3時間した次の日にまた草刈りをしなきゃいけないとなったら、(笑)とか出てこないでしょうね。
凱風館移転に合わせて一緒に限界集落に住んだらいいと思います。
【「逆ホームステッド法」?】
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン======【引用ここから】======
僕が提案する「逆ホームステッド」法は、放置された私有地や無住の家屋を自治体が接収して、コモンにして、そこに住んで5年間生業を営んだ人に無償に近いかたちで払い下げるというアイディアです。
======【引用ここまで】======
70年ほど前、日本で似たような事をやりました。政府が地主から土地を接収し、小作人に無償に近い形で払い下げる「農地改革」です。
農地改革の結果、小作人は喜びました。しかしその後、農地が農家一軒ごとに細切れにされたため、農業の規模拡大・効率化は阻害され、非効率な三ちゃん農業を細々と続けています。そうした兼業農家が、農業従事者のかなりの割合を占めています。農業は家業であって就職先にはならない、というイメージが固定化され、若者は就職先のある都会に出ていく・・・農村の衰退、過疎化の原因を辿っていくと、平等主義的な農地改革の失敗があります。
放置された土地・建物について、
「この土地を買おうと思ったのに、名義人は20年近く前に死んでいる。相続人が全部で数十人いる。誰が所有者か分からない。相続人を追いかけるのは事実上不可能だ」
といった事態は実際に生じています。これに対処するため、民法等を改正し、所有関係を整理する手段を定めるのは良いかもしれません。
しかし、所有者は分かっているがその所有者が放置している場合に、自治体が接収するのは、単なる財産権の侵害であり正当化できません。欲しいと思った人が、対価を払って所有者から買えば済む話です。内田樹氏や故宇沢弘文といった老人の思い付き妄言を実現するために、自由の基礎である私有財産制を犠牲にするなんて以てのほか。
日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ | 文春オンライン
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もともと土地というのは私有すべきものではないと僕は思っています。一時的に公共のものを借りて使用しているだけで、使用しなくなったら、再び公共に戻すということでよい。
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宇沢弘文を信奉する社会主義者が、馬脚を露しましたよ。
「人口の20%程度は里山に住むべきだ。引きこもりが里山に住んだらいい」
という妄言は、個人の自由や個人の選択を蔑ろにし、コストやリスクの度外視に基づくものですが、この根底には社会主義・全体主義的な考え方があるのです。
何もしない引きこもりは過疎地へ送り込め、そうすれば社会全体の役に立つ・・・これって、杉田水脈氏の「生産性」発言と同じレベルの問題発言だと思うのです。少子化対策にならないからLGBTへの税金投入は正当化されないという杉田氏と、里山を維持するために自治体が引きこもりを里山に住まわせろという内田氏、この両者は一定の社会目標を達成するため個人の生き方に政府が介入しようとする点で共通しています。
「LGBTには生産性がない」? JobRainbowが改めて解説 | LGBT就活・転職活動サイト「JobRainbow」
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このように、「社会に役立つ」「社会に役立たない」という基準で人の価値を判断するのは、いずれ「役立たない人は生きている価値がない/他の人よりも価値が低い」という考え方(優生思想)に結びついてしまいます。
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ということで、前回は宇沢弘文の『社会的共通資本』を買って読んで批判したのですが、今回の文春オンラインで宣伝されている内田樹氏の『コモンの再生』は、絶対に買いません(笑)。もう、おじいちゃんの妄言にお金を出したくありません。