東京都立中央図書館で開催された青山高校同窓の友人Sくんの講演会に行ってきました。
お題は「描きながら考えたアフリカ」。20年ほど前、ナイロビ大学で建築学を教えるかたわら、ナイロビの街で市井の人を描いた彼が、ケニアを語りました。
彼曰く、彼が大学で教えた建築学は、いわば空中からの建築学、ケニアの将来を支えるであろうエリートを育てるためには有用でも、ただちに人を豊かにするものではない。
そんな煩悶を抱えながら、彼は街に出て、覚えたてのスワヒリ語で市井の人に声をかけ、絵を描かせてもらった。彼の描くのは人物画、いつしか彼は街の人から「ムチョラジ」(スワヒリ語で絵描きさんの意)と声をかけられるようになったそうです。
この言葉は、のちに彼が書いた本の題名にもなっています。
「アフリカの毒にやられた」、彼はそう言っていました。描くことを通じて、街のエネルギー、ないことを言わない、あるものを使って生きる人々の逞しさを感じた彼は、アフリカの魅力から離れられなくなってしまった。
50歳も半ばで勤めていた建築事務所を退職した彼は、ケニアの友人と法人を立ち上げ、両国の架け橋になろうとしています。
夜は彼を含む同窓生8名(なぜか男ばかり)で忘年会。
会場は母校近くの鹿児島料理屋。
彼以外にも、大学教授、米国在住の陶芸家、東京湾で海底トンネル建設中の奴(沈埋函=ちんまいかん工法というのだそうで)。自分の人生が平凡に思えてくる、わが母校の出身者は実に多彩。
お題は「描きながら考えたアフリカ」。20年ほど前、ナイロビ大学で建築学を教えるかたわら、ナイロビの街で市井の人を描いた彼が、ケニアを語りました。
彼曰く、彼が大学で教えた建築学は、いわば空中からの建築学、ケニアの将来を支えるであろうエリートを育てるためには有用でも、ただちに人を豊かにするものではない。
そんな煩悶を抱えながら、彼は街に出て、覚えたてのスワヒリ語で市井の人に声をかけ、絵を描かせてもらった。彼の描くのは人物画、いつしか彼は街の人から「ムチョラジ」(スワヒリ語で絵描きさんの意)と声をかけられるようになったそうです。
この言葉は、のちに彼が書いた本の題名にもなっています。
「アフリカの毒にやられた」、彼はそう言っていました。描くことを通じて、街のエネルギー、ないことを言わない、あるものを使って生きる人々の逞しさを感じた彼は、アフリカの魅力から離れられなくなってしまった。
50歳も半ばで勤めていた建築事務所を退職した彼は、ケニアの友人と法人を立ち上げ、両国の架け橋になろうとしています。
夜は彼を含む同窓生8名(なぜか男ばかり)で忘年会。
会場は母校近くの鹿児島料理屋。
彼以外にも、大学教授、米国在住の陶芸家、東京湾で海底トンネル建設中の奴(沈埋函=ちんまいかん工法というのだそうで)。自分の人生が平凡に思えてくる、わが母校の出身者は実に多彩。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます